『宮下文書』が「ムー」に
水曜日, 9月 14th, 20114,50年もの長い間、刊行し続けている学研の『ムー』。
その10月号に「宮下文書」が大きく取り上げられ、
25頁にわたって掲載されている。
記者の方に、本家との仲介をして、晴れて記事となった。
ご興味のある方は、ご一読のほどを。
4,50年もの長い間、刊行し続けている学研の『ムー』。
その10月号に「宮下文書」が大きく取り上げられ、
25頁にわたって掲載されている。
記者の方に、本家との仲介をして、晴れて記事となった。
ご興味のある方は、ご一読のほどを。
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix201109funbe.html
「まほろばたより 9月号」に、島田編集長が記した
『フンベの伝言』の伝承者・畠山さんが、
シンクロしたかのように、道新に掲載された。
その悲しみの山海を越えて、
再びと海に生きるアイヌ漁師の真精神に学びたい。
(記事をクリックすると拡大します)
『致知』2007年12月号
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仏法に「無財の七施」という教えがある。
財産が無くても誰でも七つの施しができる、
喜びの種をまくことができるという教えである。
財産が無くて、どうして施しができるのか。何を施せるのか。
『雑宝藏経』は、
「仏説きたもうに七種施あり。
財物を損せずして大果報を得ん」
として、七つの方法を示している。
一は「眼施」──やさしいまなざし。
二は「和顔悦色施」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。
三は「言辞施」──あたたかい言葉。
四は「身施」──自分の身体を使って人のために奉仕する。
五は「心施」──思いやりの心を持つ。
六は「床坐施」──自分の席を譲る。
七は「房舎施」──宿を貸す。
大きなことでなくともいい。
人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、
花を咲かせることができると釈迦は教えている。
自らのあり方を調えよ、という教えでもあろう。
「無財の施」の教えで思い出すことがある。
生涯を小中学生の教育に捧げた
東井義雄先生からうかがった話である。
ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
種目にクラス対抗リレーがあり、
各クラスから選ばれた代表が出場した。
その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。
からかい半分で選ばれたのである。
だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、
水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。
その泳ぎ方がぎこちないと、プールサイドの生徒たちは笑い、
野次った。
その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。
校長先生である。
校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、
「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。
こういう話もある。そのおばあさんは寝たきりで、
すべて人の手を借りる暮らしだった。
そんな自分が不甲斐ないのか、
世話を受けながらいつも不機嫌だった。
ある時一人のお坊さんから「無財の七施」の話を聞いたが、
「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかない」
と言った。お坊さんは言った。
「あなたにも与えられるものがある。
人にしてもらったら、手を合わせて、
ありがとうと言えばよい。
言われた人はきっと喜ぶ。
感謝のひと言で喜びの種をまくことができる」。
おばあさんは涙を流して喜んだという。
喜べば喜びが、
喜びながら喜び事を集めて
喜びに来る。
悲しめば悲しみが、
悲しみながら悲しみ事を集めて
悲しみに来る
──若い頃、ある覚者から教わった言葉である。
喜びの種をまく人生を送りたいものである。
最後に、東井先生からいただいた詩を紹介したい。
《 雨の日には 雨の日の
悲しみの日には悲しみを
とおさないと見えてこない
喜びにであわせてもらおう
そして
喜びの種をまこう
喜びの花を咲かせよう
ご縁のあるところ
いっぱいに…… 》
宮端清次(はとバス元社長)
『一流たちの金言』より
~第1章 名経営者の逸話が教えてくれること~
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リーダーシップの勉強を始めようと私が思ったのは、
30年以上前のことです。
都庁で管理職になった頃、
現役を退いたソニーの井深大(いぶか・まさる)さんの講演を
聴きに行ったんです。
そこで井深さんは1時間ほどリーダーシップの話をされましたが、
私にはよく分からなかった。
すると終了後に、ある女性が手を挙げて
「失礼ですが、いまのお話はよく分かりませんでした。
私のような主婦にでも分かるように話をしてくれませんか」
と言ったんです。
司会者は大慌てでしたが、さすがは井深さんですね。
ニコッと笑って、こんなお話をされました。
「ソニーの社長時代、最新鋭の設備を備えた厚木工場ができ、
世界中から大勢の見学者が来られました。
しかし一番の問題だったのが便所の落書きです。
会社の恥だからと工場長にやめさせるよう指示を出し、
工場長も徹底して通知を出した。
それでも一向になくならない。
そのうちに『落書きをするな』という落書きまで出て、
私もしょうがないかなと諦めていた。
するとしばらくして工場長から電話があり
『落書きがなくなりました』と言うんです。
『どうしたんだ?』と尋ねると、
『実はパートで来てもらっている便所掃除のおばさんが、
蒲鉾(かまぼこ)の板2、3枚に、
“落書きをしないでください
ここは私の神聖な職場です”
と書いて便所に張ったんです。
それでピタッとなくなりました』
と言いました」
井深さんは続けて
「この落書きの件について、
私も工場長もリーダーシップをとれなかった。
パートのおばさんに負けました。
その時に、リーダーシップとは上から下への
指導力、統率力だと考えていましたが、
誤りだと分かったんです。
以来私はリーダーシップを
“影響力”と言うようにしました」
と言われたんです。
リーダーシップとは上から下への指導力、統率力が基本にある、
それは否定しません。
けれども自分を中心として、
上司、部下、同僚、関係団体……
その矢印の向きは常に上下左右なんです。
だから上司を動かせない人に
部下を動かすことはできません。
上司を動かせる人であって、
初めて部下を動かすことができ、
同僚や関係団体を動かせる人であって、
初めて物事を動かすことができるんです。
よきリーダーとはよきコミュニケーターであり、
人を動かす影響力を持った人を言うのではないでしょうか。
リーダーシップとは時と場合によって様々に変化していく。
固定的なものではありません。
戦場においては時に中隊長よりも、
下士官のほうが力を持つことがある。
ヘッドシップとリーダーシップは別ものです。
あの便所においては
パートのおばさんこそがリーダーだった。
そうやって自分が望む方向へ、相手の態度なり行動なりが
変容することによって初めてリーダーシップが成り立つのです。
桂小金治(タレント)
『一流たちの金言』 ~第5章 教えより~
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この頃(10歳頃)、
僕にとって忘れられない出来事があります。
ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、
吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。
無理だと知りつつも、家に帰って
ハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。
すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と
神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、
それで「ふるさと」を吹いたんです。
あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。
もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。
「俺にできておまえにできないわけがない」。
そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては
一人で草笛を練習しました。
だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。
諦めて数日でやめてしまいました。
これを知った親父がある日、
「おまえ悔しくないのか。
俺は吹けるがおまえは吹けない。
おまえは俺に負けたんだぞ」
と僕を一喝しました。続けて
「一念発起は誰でもする。
実行、努力までならみんなする。
そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。
一歩抜きん出るには
努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。
この棒に花が咲くんだ」
と。その言葉に触発されて
僕は来る日も来る日も練習を続けました。
そうやって何とかメロディーが
奏でられるようになったんです。
草笛が吹けるようになった日、
さっそく親父の前で披露しました。
得意満面の僕を見て親父は言いました。
「偉そうな顔するなよ。
何か一つのことができるようになった時、
自分一人の手柄と思うな。
世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。
錐(きり)だってそうじゃないか。
片手で錐は揉めぬ」
努力することに加えて、
人様への感謝の気持ちが生きていく上で
どれだけ大切かということを、
この時、親父に気づかせてもらったんです。
翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ
細長いものがある。
開けて見たらハーモニカでした。
喜び勇んで親父のところに駆けつけると、
「努力の上の辛抱を立てたんだろう。
花が咲くのは当たりめえだよ」
子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。
あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。
するとお袋は
「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。
お父ちゃんが言っていた。
あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」
僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。
いまでもこの時の心の震えるような感動は、
色あせることなく心に鮮明に焼きついています。