まほろばblog

Archive for 9月 18th, 2011

国語世論調査

日曜日, 9月 18th, 2011

先日、文化庁が発表した国語に関する世論調査。

(この言葉自体、適切かな??)

「ら」抜きが、一段と増えて、言われても誰も違和感が感じられない世代になった。

たとえば、「・・・来れる?」とは日常語に定着してしまった。

もう「来られる」といえば、むしろ尊敬語のように感じてしまう。

それほど、言葉の変遷は激しい。

先日、金田一晴彦さんの思い出番組で『枕草子』の当時の読みを、

再現したのを聞いたが、全く今の日本語とは程遠く、外つ国の言語ようだ。

そのような情緒溢れる平安期の語感を失った現代語は、

極めて物質的な角張った印象を受けた。

それから漢語や普段の常套句などが、

随分意味違いで認識されているのも目に付いた。

「雨模様」「姑息」「号泣する」・・・・など、意味を取り違って

お互いうなづき合っているのも、可笑しいと言えば可笑しいだろう。

私なども、穴があったら、入りたい気分だ。

「森下自然医学」10月号 『去私と忘我』

日曜日, 9月 18th, 2011

「森下自然医学」10月号が届きました。

先日、中国如皋に世界長寿調査の旅に会長に同伴して行ったばかりです。

いずれ、その報告がこの冊子に掲載発表される事でしょう。

お楽しみに・・・・・・。

この6月、巴馬へ視察旅行から帰った翌日に、

八王子の国際長寿科学研究所の森下会長を主だった一行と

尋ねて、旅の報告をし、みなさんで語らい合いました。

その様子が、二回にわたって掲載されます。

多士済々、その道のエキスパートが揃ったので、

話が多岐に亙り、読んで大変面白い物となりました。

今月の「北の空から」は『去私と忘我』と題して、

清元宗家と分かれた流派がよりを戻した話に端を発し、

無私になることの意味合いを綴ってみた。

この後、阿部一理先生との対談や、

如皋長寿調査団報告も後号続くので、お楽しみに。

「人間の脳波を止めてしまう言葉」

日曜日, 9月 18th, 2011

        
       
            植松 努

                                    (植松電機専務)
        
            『致知』2011年9月号
             特集「生気湧出」より
             

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夢というのは自分で大好きなことを
やってみたいという思いでしょうね。
だったらやったらいい。それだけの話です。

大好きなことをしっかり持つには感動が一番です。

「やってみたい」「すごい」という心があれば、
夢はいくらでも見つかると思いますよ。

でも、その時にできない理由を
いくつも思いついてしまうんですね。

そして、そのできない理由すら考えなくなる最悪の言葉が

「どうせ無理」

なんです。
この言葉が人間の脳波を止めてしまう。
思考が止まると楽ですが、それだと何も始まらない。

「どうせ無理」

ではなく

「だったらこうしたらできる」

と頭を切り替えて考え続けることで
道は拓けると思います。

だけどモチベーションはやる気だけで
高まるものではないんですね。
物事に挑戦し、それを諦められない理由が、
僕の場合は火事場の馬鹿力の源になっています。

僕は「どうせ無理」という言葉が大嫌いです。
この言葉が人の可能性を奪い、その連鎖が
正しくて優しくて弱い子供たちに向かうと知っていますからね。

繰り返すようですけど、僕は「どうせ無理」という言葉を
この世からなくしたい一念で宇宙開発をしています。
目の前の壁が大きいほど、その思いは強くなります。

だから、毎日火事場の馬鹿力を
出すことができるんだと思います。

                  * *

開発の世界ではゼロから一を生み出すという
大変厳しい問題に挑戦することもありますね。

これは一を二にしたり三にしたりというのとは
比較にならない難しさです。

その時、従来のやり方を維持しようとしたら
負けが始まるんです。

過去のノウハウばかりでなく
時に自分自身すら否定してしまって
「これでいいのか」と本気で動き出す時に、
ゼロから一が生まれるのだ思います。

いまの日本に必要なのは、
その執念と元気なのではないでしょうか。