死の街
月曜日, 9月 19th, 2011小樽出身の鉢呂経産相が失言事件で辞任した。
地元で贔屓にしていた訳でもないが、
国難の最中、いささか不毛の寸劇に、前途の危きを嘆じた。
『死の街』発言だが、何故これが問題なのか理解に苦しむ。
当地の被災者の方々の心情を慮っての事であろうが、
それはお門違いというものだ。
氏自身が現地を視察して、偽らざる真情を吐露したものと思う。
3kmか、20km圏内か知らぬが、人影もない街中を見て、
誰もが「ゴーストタウン」と感じるだろう。
それは、捨て台詞でも揶揄でもなく、現実を直視した悲壮感ではなかったか。
しかも、彼は脱原発、反TPP派の先鋒で、間違っても、
その言辞に悪意はなく、むしろ復興への決意が込められていたのでは
ないかと、察するのだ。
「放射能が移る・・・・」とか何とかのオフレコも報道各社、
みな正確な言葉書きはなく、まちまちなのも皆本当に聴いたのかと疑う。
仮にあったとしても、軽率さは否めないが、本意ではないはずだ。
石原知事なら、一言の元に記者を蹴散らすであろうが、
それよりも、そんな重箱の隅を突っつき合い、言葉狩りに興じる裏に、
何かの闇を感じざるを得ないのだ。
今、何が本意で、何を託し、何を互いにやっていかねばならぬかが、
分かっていない事を案じる。
政治家も情けないが、それを取り巻くマスコミ報道関係者の見識なきを憂う。
そして、その土壌を生んだ、我々国民の体たらくが問われているのだろう。
責任は一人ひとりにある。
この国を、何処に導けばよいのか。
先ず、ひとりの決意にかかっている。