「四運を一景に競う」
水曜日, 10月 26th, 2011【悲しみはあした花咲く】(光文社版)に
次の様な推薦文をしたためておられます。
『青山俊董尼は、私の一番尊敬している尼僧さまです。きびしい修行をされ、若い尼僧さんたちを導かれています。この法話は若い人たちの迷いや悩みに答え、やさしい言葉で語られています。きっとあなたを救ってくれるでしょう』
青山 俊董 (曹洞宗尼僧)
『致知』2004年9月号
特集「恕」より
※肩書きは掲載当時です。
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(人生で一番大事だと思うことを
一つだけ挙げてほしいとお弟子さんに聞かれたら、
何とお答えになりますか?)
「慈悲」や「恕」以外でなら、
私がよく好んでサインするのは、
「投げられた ところで起きる 小法師(こぼうし)かな」
です。起き上がり小法師、つまり達磨さんが
ボーンと投げられたそこがいかなる場所であろうとも、
正念場として起き上がる。
腰を据えてまっすぐ正面を見据える、という意味です。
われわれはだいたい人生がうまくいかないとぐずったり、
うまくいくとのぼせ上がったりして、年中姿勢が崩れます。
しかし、いかなる場所でもぐずらない、
追ったり逃げたりしない、のぼせ上がらない、ダウンしない。
どういう状態であっても、しゃきっと姿勢を正せ という意味です。
* *
同じような意味で、
「四運(しうん)を一景(いっけい)に競う」
という道元禅師の言葉もあります。
四運というのは、季節で言ったら春夏秋冬。
人生で言ったら生老病死。
人生はいろいろ移り変わっていきます。
愛する日もあれば、憎しみに変わる日もある。
成功する日もあるし、失敗する日もある。
寒風吹きすさぶような中で
じっとしていなければならない日もある。
その時、多くが一喜一憂して、
追ったり逃げたりするわけです。
しかし一景というのは
「同じ姿勢」という意味で、
生も死も健康も病気も愛も憎しみも成功も失敗も、
全部同じ姿勢で受け止めよ ということですね。
だいたい、人生の移り変わりなんて
一目では見えませんからね。
愛する日は憎む日がくるとは思えない。
健康な日は病気で苦しむ日がくるとは思えませんでしょ。
いかなることが起こっても、そこで姿勢を正す。
人生なんていろいろあったほうが豊かでいいんです。
人生の調度品を揃えるような気で
楽しませてもらいましょう と思っています。