エゾしかバック
木曜日, 10月 20th, 2011
坂田 道信 (ハガキ道伝道者)
『一流たちの金言』 ~第5章 教えより~
http://www.chichi.co.jp/book/7_news/book934.html
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徳永先生は熊本県の歴史始まって以来
30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが
「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」
と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。
だからどの学校に行っても校長に嫌われるんですね。
自分より実力が上なものだから。
それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど
行く先々で教師たちが一番敬遠している
難しいクラスを受け持って
みんなを勉強好きに変えてしまうんです。
授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て
騎馬戦みたいに先生を担いで
「ワッショイ、ワッショイ」
と教室に連れて行ったというんです。
先生、早く教えてくれって。
先生は昼飯を食べない人でした。
なぜ食べないかというと、終戦直後、
昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちが
さーっと教室からいなくなる。
それでひょっと校庭を見たら
その子たちが遊んでいたんです。
その時から自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて
その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。
以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、
晩年になっても。
これは戦前の話ですが
「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」
と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、
「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」
という子が現われました。
先生はどの子が盗ったか分かるんですね。
それで全員外に出して遊ばせているうちに
盗ったと思われる子どもの机を見たら
やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。
先生はすぐに学校の裏の文房具屋に走って
同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。
子どもたちが教室に帰ってきた時
「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」
と言うと
「先生、ありました」
と。
そして
「むやみに人を疑うものじゃないぞ」
と言うんです。
その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。
* *
それから時代が流れ、戦時中です。
特攻隊が出陣する時、
みんなお父さん、お母さんに書くのに
たった一通、徳永先生宛の遺書があった。
もちろんナイフを盗った子です。
「先生、ありがとうございました。
あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を
送りたいと思うようになりました。
明日はお国のために飛び立ってきます……」
という書き出しで始まる遺書を残すんです。
それから、こんな話もあります。
先生が熊本の山間の過疎地の教員をやられていた頃、
両親が分からない子がおったんです。
暴れ者でね、とうとう大変な悪さをやらかした時、
徳永先生は宿直の夜、
「君の精神を叩き直してやる」
と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。
後に彼は会社経営で成功して
身寄りのない者を引き取って
立派に成長させては世の中に出していました。
「自分のいまがあるのは、小学校4年生の時に
徳永康起先生に抱いて寝ていただいたのが始まりです。
先生、いずこにおられましょうか」
という新聞広告を出して、40年ぶりに再会した
なんていう物語もありました。
この前もハガキ祭で教え子の横田さんという方に
思い出をお話しいただきましたが、
初めから終わりまでずっと泣いているんですよ。
定年退職をされた方だから
もう50年以上も前の思い出ですが
1時間ちょっとの間、ずーっと泣いている。
その方の感性も素晴らしいけど
やはり徳永先生の教育がすごかったんでしょう。
あの一大センセーショナルを巻き起こし、世界に精神世界を到来させた
米国の大女優、シャーリー・マクレーンの著書「オウト・オン・ア・リム」。
その翻訳者・山川紘矢・亜希子さんご夫妻が、まほろばにお越しになられました。
前日ご夫妻の講演会・ワークショップを主催された緒方紀子さんが、案内されました。
http://shiningang.exblog.jp/ (緒方さんのHPです。とてもステキな方です)
ご経歴からして(官僚出身)、お堅いと思いきや、
とても柔らかく優しいお人柄に、すっかり打ち解けて和やかにお話しができました。
無限心庵のことも、興味深く聞いて下さり、互いに高揚して笑いが絶えませんでした。
時間があったら、思わぬ展開があって、どんなことになっていたか。
帰りの車中、「緒方さん、良い所に連れて行って下さってありがとう!!とても楽しく、去りがたかったです!!」
と言って下さったそうです。ほんとうに楽しかった。
是非また、お越し下さい!!!
来月初めには、緒方さんがまたまたあのピアニストのウォン・ウィンツァンさんをお連れするとか。
お楽しみに・・・・・・・・。
「森下自然医学 11月号」が発刊されました。
今回の口絵には先月「森下世界長寿郷調査団」として参加した如皋の様子が載っています。
来月号には、詳しい内容が掲載される事でしょう、お楽しみに。
先月号に引き続いて「日本人の起源を訪ねて 2」が特集されています。
麻の真実について多士済々集まって語り合った内容の濃い対談でした。
特集2は、お馴染みの阿部一理先生を迎えましての森下先生との対談。
思い出話に花が咲き、今まで聞いていない貴重な秘話にも触れ、二人感動。
両方の司会を務めさせて戴いたので、連載原稿は書いたのですが、今回は遠慮しました。
「泊原発 プルサーマル延期」の報道。
しかし、やらせ問題を一時沈静化する、一時凌ぎの策でしかない。
あれほど前代未聞の大惨事を受けたにも関わらず、
また原子村がうずうずと復興する動きが見れる昨今、
信じ難い光景でもあり、渡し難い日本である。
費やす論議も虚しく、被災者の悲嘆は報われない。
大震災・福島原発で一時途絶えたTPP問題が、
俄かに再燃しています。
それが、掌が返ったように、野田首相が前のめりで参加賛成の意向に傾き、
雲行きが随分危うくなって来ました。
今日、「森下自然医学」に連載された『TPPとGNH』と題してまほろばの主張を掲載しました。
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix201110kitanosora_TPP.pdf
お読み下さい。
無論、まほろばはTPPは絶対反対の立場です。
現在、反TPPの論客として中野剛志さんが激しく世に問うています。
その主張するところをお聞き下さい。
「国を滅ぼすTPP 推進者の巧妙な手口・ダマしの数々 【中野剛志】」
毎月、トータルヘルスデザインさんから送られてくる『元気アップ通信』。
今月は、エリクサーを取り上げて下さったのですが、その中で会長の言にハッと驚きました。
それは、あの新幹線の名前「こだま」「ひかり」「のぞみ」なのですが、
実は、甚だ深い意味があったことに気づかされたのです。
何気ないその名前の深意が、以下の会長の文章で明かされています。
アインシュタインの相対性原理の光より早いものがない、という常識が常識でなくなった先日、
それよりも意識が早いとする宇宙の真相は、
まるで「のぞみ」号のように逸早く人生の扉を開く鍵のようです。
『元気アップ通信』「イメージの力が時代を創る」より
・・・・・・『エリクサーⅡ』を創ろうと決意したとき、宮下周平さんが意図したことは、ただ一つ。
すべてを生み、育み、癒し、復元させる「母なる水(母水・MOTHERWATER)」というイメージを
強くもったということ、ただそれだけなのです。
この大宇宙を統合するただ一点に意識を集中することで、
あらゆる情報が集まってきた、というのです。
もともとこの一点から、あらゆるものが生まれ、拡散していったのだから、
何もすべてを知る必要はない、その原初の一点に意識を集中すれば、
為さずしてすべてのものがそこに集まってくる、というのです。
学間の常識を超えていますね。
しかしこの意味が明らかになる日も遠からずやってくるのかもしれません。
名古屋大学などの国際研究グループによつて、
質量を持つ素粒子ニュートリノが光よりも速く移動する
という実験結果が得られたと発表されました。
そうだとしたら、私たちの物質世界の根幹を支える根本原理
『質量を持つものは光より速く移動できない』というアインシュタインの
相対性理論が絶対ではないということが明らかになったということになります。
ところで東海道新幹線は「こだま」より「ひかり」が速く、
「ひかり」よりも速いのは「のぞみ」ということだったのですが、
「ひかり」と「のぞみ」の間に「ニュートリノ」をはじめ、
数多くの列車がはいることになるのかもしれません。
いよいよ「意識の世界」を視野に入れないと「“のぞみ“は叶うもの」という、
この世の真実を把握することはできないということになるのだと思います。
“唯物”論から”唯識”論へ紆余曲折はあるものの、
いよいよ本格的な21世紀が始まるのでしょう。
伊藤 謙介 (京セラ相談役)
『致知』2011年11月号
特集「人生は心一つの置きどころ」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick2
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若い人ばかりでなく、自身の戒めとしても
拳拳服膺してきた言葉に、
「我一心なり」
というものがあります。
心を一つに定め、よそ見をするな, ということです。
ある女子プロゴルファーが話していて感銘を受け、
心に刻んだ言葉です。
若い頃は隣の芝生が青く見えるものですが、
一度思い定めたら、誰がなんと言おうと
二心なく貫いていくことが大事です。
これはきょうのテーマである
「人生は心一つの置きどころ」という言葉にも繋がると思います。
各々が一つのことをひたすら一所懸命やっていく。
そういう心を一つに集約したものが企業であり、
企業の業績に結実するとともに、
そうやって仕事に打ち込むことは、
自分自身のためにもなるのです。
その決意を固めるために私は常々
「心の中に佐渡島をつくれ」
とも言っています。
社長になった頃、仕事で新潟に行った時に
佐渡島まで足を伸ばしたのです。
流刑の地として有名な佐渡島には、
たくさんの人々が流されましたが、
能の世阿弥も流されていたということを
その時初めて知りました。
世阿弥は佐渡島という逃げ場のない場所で
何年にもわたり極限の暮らしを余儀なくされました。
勝手な想像ですが、世阿弥にとって
あの佐渡島での流刑生活があったからこそ、
能楽を世界的な文化に高めるほどの
思想的な深みを得たのではないかと思うのです。
我々は目標を設定しても、
必ずしも思い通りにいくとは限りません。
そうなるとエクスキューズ(言い訳)が
出てしまいがちですが、それを自分に許してはならない。
世阿弥が逃げ場のない佐渡の流刑生活を経て
能楽を大成したように、心の中で絶対に
後には引かない決意をしなければなりません。
それによって自分を高められ、
厳しい目標も達成できるのです。
そのためにも、
「井の中の蛙大海を知らず」
という言葉がありますが、これに
「されど天の深さを知る」
と付け加えなければなりません。
大海を知らなくてもいい。
自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、
すべてに通ずる真理に達することができるのです。
西郷南洲や大久保利通が、
情報のない時代に天下国家のみならず、
世界情勢までも知り得たのは、
やはり自分のいる場所を
とことん深掘りしていったからだと思います。
一芸を極めた芸術家が語る言葉に
万鈞の重みがあるように、
我々も自分の仕事に打ち込むことで
天の深さを知るのです。