寺田 一清 (不尽叢書刊行会代表)
浅井 周英 (「実践人の家」理事長)
『致知』2009年9月号
特集「一書の恩徳、萬玉に勝る」より
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年長者をも唸らせた森信三の教え
【寺田】 この『修身教授録』が
広く読み継がれるようになった原点は、
何といっても芦田恵之助先生です。
芦田先生は「恵雨会」という教師の勉強会を
主宰されるほど教育界では有名な先生で、
ある日森先生がその授業を見学に行かれ、
当時はまだガリ版刷だった『修身教授録』を手渡された。
すると芦田先生は非常に感激されて、
翌日か翌々日にお電話があったといいます。
そして後日、
「この『修身教授録』を我々恵雨会の
所依経(拠りどころとする経典)にしたい。
ついては息子が経営する印刷屋で印刷して製本させてほしい」
と頭を下げられたそうです。
【浅井】 芦田先生は森先生より20余年も年長でしたし、
お弟子さんも多くいらっしゃった。
その芦田先生が『修身教授録』を認められたばかりか、
森先生の非凡さに感服して、
晩年まで師として接しておられました。
偉い方だったと思います。
【寺田】 森先生は出版にあたって、
「印税は一切要りません。その代わり5巻にしてほしい」
という条件を出されました。
森先生の著作というのは、なぜか全5巻が多いんですよ。
それで「躾の三原則」とか、
原理的・実践的なものはほとんど三つです。
【浅井】 そういえば、そうですね。
【寺田】 そうして『修身教授録』全5巻を
芦田先生のご令息の会社から出版したところ、
傾きかけていた印刷所が立ち直ったというくらいですから、
そうとう広まったのでしょう。
しかし、森先生は最後まで印税は一銭ももらいませんでした。
【浅井】 ただ、教育界では広く知られていた『修身教授録』が、
いまは実業界などでも広く読まれるようになりました。
それは、やはり寺田先生の功績が大きいでしょう。
5巻あった同書を一冊に集約されたわけですから。
【寺田】 全5巻のうち一冊はまるまる女子教育に関するもの、
またもともと満州事変の前に話された内容ですから、
復刊するにあたっては時代にそぐわない内容もありました。
それを私のほうで取捨選択して、一冊に凝縮したものが、
いま致知出版社から出ている『修身教授録』です。
これは平成元年に出させてもらいました。
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「躾(しつけ)の三原則」とは・・・
第一 朝必ず親にあいさつをする子にすること
第二 親に呼ばれたら必ず、「ハイ」と
はっきり返事のできる子にすること
第三 履物を脱いだら必ずそろえ、
席を立ったら必ずイスを入れる子にすること
森先生は、躾はこの3つを根本とし
これらを徹底させれば、それだけで子供が
人間としての軌道にのると説かれていました。