まほろばblog

Archive for 11月 19th, 2011

柚子の里から

土曜日, 11月 19th, 2011

宮城の北村さんからご案内が来ました。

あの柚子の里をご存知でしたか。

たくさん、素晴らしい柚子が届きましたね。

でも今回の震災と原発事故で、柚子は諦めたが、離農とその土地は諦めず、

覚悟を決めて、放射能とともに、地域に骨を埋めるつもりで生きようとされています。

先ずは、自分の立っているその場の現状を、現実を知るべく「放射能測定室」を立ち上げました。

ご興味のある方、そのお近くに住まわれている知人の方にお知らせ下さい。

再びと、あの柚子が食べられます事を。・・・・・・・・・・・・・

「歌に命を込めて 私は歌い続ける」

土曜日, 11月 19th, 2011

       
       
村上 彩子 (ソプラノ歌手)
        
 『致知』2011年12月号
連載「第一線で活躍する女性」より
       
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諦め切れずに受けた5回目の試験がダメだと分かった時には、
大泣きしながらとぼとぼ家に帰りました。
絶望し、もうこのまま死んでしまおうって。

何も口にしない日が何日か続いたある日のこと。
ふと以前テレビで観た戦没画学生の絵画などが飾られている
無言館のことが頭に浮かんできました。

その瞬間、何かに突き動かされるように、
私は取るものも取りあえず
一路無言館のある長野へと向かったのです。

館内に飾られた画を一枚一枚眺めているうちに、
こんなにも才能ある学生たちが戦争で散っていったのかと、
大きなショックを受けました。

そのうちに、今度はどこからともなく
悲痛な叫びが聞こえてきたんです。

「本当は生きたかった」と。

そして「おまえは生きていくことができるんだぞ」って。

私、頭をガツンと殴られた感じがして、その場に泣き崩れました。

こんなにも才能溢れる方々が無念のうちに亡くなられた。
それに引き換え自分はたった五回の受験に
失敗したくらいで死のうとしたことが、
とてもおこがましくて恥ずかしく思いました。

翌年一次試験を突破し、七回目にして晴れて合格しました。
実はこの間、心のうちに大きな変化がありました。
無言館から帰ってからバイト先を一新し、
明るい自分を演じ始めました。

大学に入ったらオペラを勉強したかったので、
なんの希望がなくても演じてみようと心に決めたのです。
そうしたら自然と仕事が楽しくなって
一所懸命頑張るようになりました。

すると今度は周りの人に感謝されるようになって、
応援してくださる方まで出てきたんです。

私はそれまでずっと親を憎むことを
生きる唯一のエネルギーにしていました。
それがこの時、心の中に初めて
人に感謝するという心が芽生えて、
それが私に力を与えてくれました。

親を恨んだり、周りの裕福な受験生を憎む心が
知らず知らずに私が奏でる音楽に乗り移っていたのだと思います。
このことを私に気づかせるために、
こんなにも長い期間が必要だったのかと
納得がいったら元気が漲ってきましてね。
最後の一年は何の迷いもなく勉強に打ち込むことができました。