まほろばblog

Archive for 12月, 2011

「一途一心」より

火曜日, 12月 27th, 2011

心に響く言葉の一部をご紹介します。
 

………………………………………………………………………………

●日野原重明(聖路加国際病院理事長・百歳の現役医師)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   

   運命は与えられるものではなく、
   自分から動いてデザインしていくものだというのが
   私の考え方です。

   そうやってあなたの生きる道を選び取り、
   つくり上げていきなさいというのが、
   いまの私から伝えたいことですね。

  
●都倉亮(スウェーデン社会研究所理事、がん闘病で生死の境を何度も彷徨う)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   カトリックの祈りに「いまと臨終の時を祈りたまえ」
   という一節があります。
   人間にとって確実なことは、いまという瞬間と、
   いつか訪れる臨終しかない。

   大切なのはいま自分のできることを一所懸命やること、
   一途に、一心に、自分の力を
   尽くしていくことなのだと思います。

●遠藤功(早稲田大学大学ビジネススクール教授)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   一つひとつの改善・改良は地味で小さいものかもしれない。
   しかしその蓄積がやがて大きな効果を生み出し、
   日本企業の飛躍発展に繋がった。

   現場力こそ競争力の根幹であり、
   これを失ったら日本企業は終わる。
   逆にもっと強く鍛えていけば、
   世界の中でも勝ち残っていけるはずである。

●鈴木誠(ナチュラルアート社長)
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   ハッピーリタイアとかあり得ませんよ。
   それは使命感というよりも、
   単純にこの仕事が大好きなんです。

   それくらい一途になれる仕事に巡り合えたのは、
   本当に幸せだと思っています。

 「幸せの鐘を鳴らそうよ」

日曜日, 12月 25th, 2011

        
   大沼 えり子

      (作家、NPO法人ロージーベル理事長)

 『致知』2012年1月号
       「致知随想」より

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 一人の少年のために、
 一人の少年のあの笑顔を取り戻すために、
 私は保護司(ほごし)になりました。

 あれは長男がまだ小学一年生の時でした。
 私は嫁ぎ先の割烹料理店の切り盛りに
 慌ただしい毎日を送っていましたが、
 鍵っ子だった自分と同じ寂しさを、
 我が子には味わわせたくないと思い、
 午後には一時帰宅し、おやつをつくって迎えていました。
 
 せっかくつくるのなら、と
 息子の友達にも振る舞うようになり、
 いつしか我が家は大勢の子供たちの
 賑やかな遊び場となりました。
 
 私は彼らが心底愛おしく、うちに来る子は
 すべて自分の子のつもりで接していました。

 その中に一人、他の子と遊ばず
 いつも私のそばから離れない少年がいました。
 
 母親が病のため愛情に飢えていたのでした。
 母親の温もりを知ってほしいと思い、
 とりわけ彼には愛情を注いでいました。

 そんなある日、事件が起きました。
 少年が息子と一緒に遊びに行った友達の家から、
 マスコット人形を盗ったというのです。
 
 友達の弟が大切にしていた人形だったため、
 母親まで巻き込んだ騒ぎになり、
 私のもとに相談に見えたのです。

 私は日頃から子供たちに、
 うちの子になるならルールを守ろうねと
 言い聞かせていました。
 
 嘘をつかない、人に迷惑をかけない等々、
 自分が親から言われてきたことばかりです。

「はい!」

 と元気に答える彼らの中でも、
 とりわけ嬉しそうに頷いていたのがその少年でした。

 それだけに、彼が人のものを盗ったとは
 信じられませんでした。
 
 しかしなくなった人形を少年の家で見た、
 と息子が言うのです。
 
 家庭の事情で玩具も満足に買ってもらえない少年。
 盗ったのではなく、きっと欲しかったのだ。
 私はそう考え、とにかく一緒に謝ろうと言いました。

 ところが彼はいくら言い聞かせても謝ろうとしません。
 裏切られた気持ちになった私は、
 もううちには二度と来ないで、
 と強い口調で言ってしまいました。

 二週間くらいたった頃、布団を干していると、
 門のあたりに小さな人影がありました。
 チャイムを押そうとしてためらい、
 行ったり来たりしているのはあの少年でした。
 
 彼がそうして毎日うちに立ち寄っていることを息子から聞き、
 私は思わず駆け寄って抱きしめました。
 
 少年が「ごめんね」と繰り返しながら漏らした言葉に、
 私は頭をぶたれたようなショックを受けました。

「あれは盗ったんじゃなくて、もらったんだ……」

 あの時、なぜもっと事情を聞いてあげなかったのだろう。
 大好きな人から謝罪を強要され、幼い少年の心は
 どんなに傷ついたことだろう……。

 その後、少年は再び我が家に
 遊びに来るようになりましたが、
 家庭のことで心を荒ませ、
 いつしか顔を見せなくなりました。
 
 中学へ進学してからは、家の前を通る度に
 髪の色や服装が奇抜になっていき、
 声をかけても返事すらこなくなりました。

 そしてとうとう鑑別所に送られる身となったのです。

 もちろん直接の原因ではありませんが、
 あの時、無垢な彼の心を傷つけた後悔の念は、
 私の中に燻り続けていました。
 
 彼に償いがしたい。
 もう一度彼の笑顔に会いたい――
 
 ずっとそう思い続けていたので、
 保護司のお話をいただいた時は
 二つ返事でお引き受けしたのです。

 その時からたくさんの少年たちに出会ってきました。
 心が痛むのは、彼らのほとんどが、
 生まれてこの方、腹から笑ったことがないという事実です。
 
 みんな幸せが欲しくて、欲しくて、
 懸命に手を伸ばしているのに、
 どこかで歯車が狂ってしまっている。
 彼らは自分のことをカスとかゴミだと言いますが、
 私は彼らを無条件で好きになります。

「君が大事なんだ。
 可愛くて、可愛くて仕方ないんだよ」

 と言うと、涙をポロポロ流します。
 
 非行を犯して一時的に愉快になっても、
 それは真意ではなく、その後ずっと罪の意識で
 ビクビクしながら過ごすことになる。
 人に感謝される行いを積み重ねてこそ、
 本当の幸せを手にできるといつも説いています。

 あの少年が保護観察になると聞いた時、
 私は観察官の方に頼んで彼を担当させてもらいました。
 
 嫌がっていた彼は、
 私が彼のために保護司になったと告げると、
 驚きの表情を浮かべました。

「もう一度君の笑顔を見たいんだよ。一緒に幸せを探そう」

 彼は声を上げて泣きました。
 
 いまは寿司職人として独立を目指して頑張っています。
 ようやく軍艦が握れるようになった頃、
 彼は私をお店に招待してくれました。
 
 カウンター越しに彼の笑顔を見た瞬間、
 私は思わず胸がいっぱいになりました。
 目頭を押さえながら食べた彼のお寿司は、
 世界一の味がしました。

 かかわった少年たちのことは、
 片時も頭から離れません。
 
 観察期間が過ぎても慕ってくる彼らから、
 私は与えた以上の喜びを与えられ、
 抱えきれないくらいの心の財産をいただいています。

 その後、家族がなかったり、家族崩壊の中、
 帰る家もなく希望を失った少年を
 「お帰り」と迎えてあげる家をつくりたいと考え、
 私は立ち直り支援の「少年の家」「ロージーベル」を
 立ち上げました。
 
 平成二十三年にNPO法人に認定。
 現在少年たちが日々笑いの中、生活をともにしています。

 人は誰でも心の中に幸せの鐘を持っています。
 一人がその鐘を鳴らすと、
 周りの鐘も共鳴して幸せ色に変わっていくのです。
 
 その鐘の音が共鳴し合い
 周りをどんどん幸せ色に変えてゆけるよう、
 今日も私は少年たちに、一緒に幸せの鐘を鳴らそうよ、
 と呼びかけ続けています。
 
 そう、人は幸せになるために
 生まれてきたのですから。

「松下幸之助翁の製品開発信条」

土曜日, 12月 24th, 2011

      
       
   北 康利 (作家)
        
   『致知』2011年12月

 連載「日本を創った男たち」より    

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大正12(1923)年松下電器は大きな飛躍を遂げる。

それが従来の製品の十倍の耐久時間を持つ
「砲弾型電池式自転車ランプ」の開発であった。

彼が他の経営者と違っていたのは、
売れそうでも売り急がず、
慎重に商品改良を繰り返したことだ。

商売は儲けることが大事なのではない。
儲け続けることが大事なのだ。

幸之助の製品に対する考え方のよくわかるのが、
昭和17年10月30日、社主達示として出された
「製品劣化に関する注意」の冒頭の一節である。

<製品には親切味、情味、奥床しさ、ゆとり の
 多分に含まれたるものを製出し、
 需要者に喜ばれることを根本的の信念とすること>

製品の条件として、“親切味、情味、奥床しさ、ゆとり”を
挙げるメーカーなど聞いたことがない。

だが、こうした点にこそ、松下電器が消費者の心に届く製品を
つくり続けてきた秘密がある気がしてならない。

「運命は自分の言葉と行動で決まる」

金曜日, 12月 23rd, 2011

『中村天風に学ぶ成功哲学』

                                    渡部  昇一著

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立派な書斎と池のある庭。

著者である渡部昇一氏は、
この二つを手にしたいという夢を実現しました。
そこには図らずも、
哲人・中村天風氏の教えの実践があったと振り返ります。

著者は本書の中で、天風氏の理論と、
自身が日本に紹介しベストセラーとなった、
マーフィーの成功法則が類似していることに着目。

    *     * 

たとえば・・・・・・

   マーフィーは、意識が比較的働かなくなったときに、
   いい夢を抱くことを勧めています
   すなわち寝入りばなということです。
   眠りに入るときに、自分の願望などを思い浮かべ、
   目の前に描くようにするのです。
    
   (中略)

   すると、知らず知らずのうちに、思い描いた願望が
   実現する方向に潜在意識が働くとマーフィーはいっています。
   彼は無数の実例を挙げて、これが本当であることを証明しようとしています。

   (中略)

   天風さんはこういいます。
   「寝つくまでのあいだ、たとえ昼間どんな場合があろうとも、
    それは寝床の中に持ち込まないこと。
    寝床の中はあとうかぎり積極的な心を堅持しなければ駄目ですよ。
    理想からいったらば、寝がけは何も考えないほうがいいんです

などの潜在意識のコントロールによって、
豊かな人生を築く術が説かれます。

また、前向きな言葉の習慣化によって夢を叶える方法も紹介されますが、
著者の実践に裏打ちされたものだけに説得力があります。

    *     * 

各章の終わりには、天風氏の言葉が紹介されるため、
天風哲学の要点を知ることができ、
これまで天風氏になじみのなかった方にも易しい一冊です。

  「あなた方の心のなかの考え方や思い方が、あなたたちを
   現在あるがごときあなた方にしてるんだ」

  「少しでも自分の心のなかに消極的なものを感じたならば、
    断然それを心のなかから追い出してしまわなければいけない。
   己の心のなかにあるものは、己の心を明るく、朗らかにするもののみ、
   という心がけが必要なんです」

  「自分の理想を現実化しようと思ったら、不平不満を抜きにして、
   すべてをありがたい方面から考えるようにしなさい、
   すべてをありがたい方面から」

  「生まれつき弱い人でも、
   積極的に訓練化という習慣をつけると
   強くなる。強く生まれた子でも、
   訓練で積極化しないとだめになっちまう」

    *     * 

本書で語られる天風氏の思想の要訣は
「人生は心一つの置きどころ」
であり、心の持ち方一つで人生が変わることです。

渡部昇一氏による中村天風論から、
人生を成功へと導く最上のエッセンスを掴んでください!

本書の帯にはあの日本電産社長・永守重信氏の
このような言葉が掲載されています。

 「『運命は自分の言葉と行動で決まる』
  これが天風哲学に学んだ私の人生訓です」

「教科書に載るような研究をしろ」

木曜日, 12月 22nd, 2011

              
                   
            鈴木 章 (ノーベル化学賞受賞者・北大名誉教授)
                       &
 數土 文夫 (JFEホールディングス相談役) 

        
      『致知』2012年1月号
        特集「生涯修業」より

     http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html

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數土 ブラウン先生(※)からは人格的な面での影響も受けましたか。

      ※ハーバート・ブラウン氏。ノーベル化学賞受賞者。
       パデュー大学にて鈴木章氏、根岸英一氏を教える。

鈴木 僕は既に日本に職があって助教授だということは知っていたから、
   帰国する時
   「他の人には言わないが、おまえは日本で
    ポジションがあるから学生を指導する方法を教える」
   と教えてくれました。 

   まず、学生が来たら三か月間はちゃんとよく見ておけと。
   別に何か注意したり、指導するとか、そういうことではなく、
   その人物がきちんとやっているかどうか見ておくように。

   それで、この学生は何も言わなくてもちゃんとやると分かれば、
   特に何も言わずに見守っていろ。しかし、そうでない場合は、
   横道に逸れないようちゃんと指導しなければならない、と。

數土 それは企業の人材育成でもまったく同じことです。

鈴木 僕自身もブラウン先生に
   「ああしろ、こうしろ」と言われたことはなかったですが、
   「教科書に載るような研究をしろ」ということは、
   何度も繰り返し言われたことですね。
   要するに誰もやっていない、新しい研究で有用な仕事をしろ
   ということです。

數土 以前、鈴木先生は
   「重箱の隅をつつくような研究はするな」
   と学生に指導しているとおっしゃっていましたが、
   通じるものがありますね。

鈴木 プロダクティブというか独創的というか、
   そういう仕事をしなさい、と。

   これは僕が化学屋だから言うんじゃなくて、
   独創的な仕事を目指すというのは
   他の仕事でも全部同じだと思います。

   商売をやっている人でも新聞をつくっている人でも、
   人の後追いをしていたんじゃ、いい仕事はできないでしょう。

 「駐在員の三段階」

水曜日, 12月 21st, 2011

       
       
       
 桜井 正光 (リコー会長)
        
 『致知』2008年3月号
               特集「楽天知命」より
   http://www.chichi.co.jp/monthly/200803_pickup.html#pick3

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 向こう(イギリス)にいた時に、
 これは日本とは違うなと実感する場面に出くわすたびに、
 その出来事を二百ページくらいの分厚い手帳に
 メモしておいたんです。
 
 そして社長になって自分のホームページに
 「世界の中の日本」というページを設けて、
 それを順番に紹介したんです。

 その中に、「駐在員の三段階」というのがあります。

 最初の段階は語学もそんなに流暢ではなくて、
 表現力もヒアリング能力もあまりないから、
 誰もが相手の話を真剣に聞くんです。
 
 先方も日本人のことをあまり知りませんから同じで、
 お互いにそうやって非常に
 いいコミュニケーションが取れるんですね。

 ところが、いくらコミュニケーションを取っても、
 リコーでいうと厚木工場の生産性や品質レベルを
 上回るものにはならない。
 
 「いったいどうなってるんだ」
 とお互いに相手のせいにし始めるのが第二段階です。

 イギリス人というのは出勤率が90%で、
 だいたい十人に一人はいつも来ないんです。
 それでこちらが
 
 
 「出勤率が悪いからダメなんだ」
 
 
 と言えば、彼らは
 
 
 「日本人はいつも昼間に仕事をしないで、
  残業や休日出勤で仕事をする。
  我々と一緒になってやってくれない」
 
 
 と言い返す。お互いに批判し合うんです。

 だけどこの批判の時代が案外大事で、
 これをやっていると、お互いにいくら批判し合っても
 何も生まれないことが分かってくる。
 
 現実を受け入れ、どうすべきかを考え始める。
 
 ここは厚木ではなくイギリスなんだと。
 
 ここでいかに品質を上げ、生産性を上げるかということで、
 出勤率90%でも生産性が落ちない方法を考え始めるわけです。
 これが第三段階なんです。

 経験からすると、一段階、二段階がそれぞれに約一年半。
 三年くらいしてようやく建設的、改革的な関係を築けるんです。
 
 だから、駐在員を二段階の誹謗中傷の時代に
 日本に戻してしまうと、外国に対して
 非常に悪い印象を持って戻ってくるからよくない。
 
 三段階の建設期までいって戻すのが一番いいですね。
 

放射能はいらない_1/4

火曜日, 12月 20th, 2011

ゆず・みず・だいずの「株式会社きとうむら」の日野さんからのメッセージです。
(http://www.kitomura.jp)
日野さんといえば、自然食品店のあのGAIAを創業した、あの日野雄策さんです。

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「1987年に私が製作したビデオ『放射能はいらない』がyoutubeにアップされていました。
なんと27000回を越える視聴回数! なんとも感慨深いものです。

YouTube Preview Image

著作権は放棄します。
市川教授の分かりやすい解説が、疑問に答えてくれるはずです。
皆さん拡散してください。

                                    日野雄策  」

「ヒルティに学んだ心術」

火曜日, 12月 20th, 2011

         
       
  渡部 昇一 (上智大学名誉教授)

     『人間学入門』より
 http://www.chichi.co.jp/book/ningengaku_guide.html

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ヒルティ(スイスの哲学者)がエピクテートスを訳しているんです。
エピクテートスは有名なストイックな哲学者です。
そのエピクテートスを訳したヒルティの前書きがいいんだ。

ヒルティというのは非常に熱心なキリスト教信者なんですが、
彼はその文章の中で、キリスト教の教えは非常に高い教えだから、
本当にわかるためにはある程度、
人生の苦難をなめたりしなきゃならん。

だからこれからという若い人が
宗教的な悟りを開いちゃうのは考えもんだといっている。

本当の人生の困難に会ったときに、
昔、どこかでこんな教えを読んだことがあったというんで、
かえってね、宗教に感激する心がなくなることもある。

それで、むしろ、青年には自分は
エピクテートスのような生き方を教えたいといって、
わざわざ、訳しているわけです。

エピクテートスの哲学というのは、
一種の“悟り”の哲学です。

どういうことかというと、自分の置かれた環境の中で、
自分の意志で自由にならない範囲を
しっかりと見極めるということです。

自分の意志の範囲にあるかどうか。

そこにすべてが、かかっているということです。

ただ、それがはっきりとわからないとだめです。

はっきりわかると、自分の意志の範囲の中にあるものは、
自分が考えて最善の手を打つ。

打ちたくなければ打たなくてもいいが、
すべては自分の意志の範囲にないもの、これはあきらめる。

こういうものに対しては、絶対に心を動かさないということです。

外界のもの、地震とか天災とかは自分の意志の範囲にない。
友人や世の中の人が自分をどう思うかも、
自分の自由にはならない。

こういう自由にならないものに、
自由にならないといって、腹を立て、
心の平静を失うのは愚かだということです。

こういう物に対しては絶対に自分の心を騒がせない。

例えば、ぼくが三十年前に上智大学を
一流大学と思ってもらいたい、
やってることはいいんだからといったって
他の人は認めないものはどうしようもない。

これは意志の範囲にはないんです。

ところが、教えられていることはついていくのが
苦しいくらい高級なものをびしびしやっている。

すると、これを十分に消化するために毎朝、
五時に起きて朝めしまで二時間勉強することから
始めようというのは、それをやるかどうかはまったく、
これは自分の意志の範囲です。

意志の範囲にあることはいいわけをしないで、自分でやる。
で、意志の範囲にないことは問題にもしない。
心を動かさない。

まぁ、こういうのが、ヒルティから学んだことの一つでしょうね。

「北の空から」最終稿・・・・

月曜日, 12月 19th, 2011

「森下自然医学」2012年正月号が届きました。

連載「北の空から」が今回で最終稿です。

最初、1年間の約束でしたが、28回も続けさせて頂き、

森下会長には、大変勉強させて戴き、感謝申し上げます。

今回は、世界第六番目の長寿郷として認定された如皋(ルーカオ)の

後半の報告を、小池さんがされています。

100歳老人の健康度が数字で報告されていて、興味深いものがあります。

「北の空から」は『日本人と情』と題しての一文です。

私の最も伝えたいことを、訴えたいことを書きました。

お読み下さい。

それを、厚別店長の穂積君が読んで、次のようなメッセージを書いて、驚きました。

「 『さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君かも』

「北の空から」連載お疲れ様でした。

愛する人との古歌の意を分かち合えたならば、・・・・

すべての日本人の遺伝子に組み込まれているはずです。

弟橘姫の父親は、穂積氏、忍山宿禰、何と穂積家のルーツ。

神奈川県川崎市高津区に、御祭神が日本武尊と弟橘姫の二神の橘樹神社があるのですが、

http://www.tachibana-jinja.jp/

姉が嫁いだ先が、まさにこの高津区という場所なんです。

すごい縁を感じずにはいられません。

本人は知らないと思いますが。」

【景行朝】弟橘媛(おとたちばなひめ)  

  弟橘媛。穗積氏,忍山宿禰之女。日本武尊之寵姬。
 尊征東夷,媛亦從行。一自相模泛海而東。

時風濤暴起,舩將覆。媛啟尊曰:

「是海神為祟也。請妾身當之。」

言訖,自投於海。暴風即止,三軍得濟。尊深哀歎之。

已平虜而歸,西踰碓日嶺,東望懷媛。

嘆曰:「吾嬬己矣!」因號東方諸州曰吾嬬。

これには、私も心底驚きました。

小中学生のころから、憧れの女性が弟橘姫だったものですから。

日本人の心の鏡だと思っています。

このように見えない所で、心の絆で繋がっているんだということに驚きました。

まほろばはそのような人たちが集まってきているのでしょう。

狭い日本、みんなそんな濃い血の集団なのです。

松香健次郎さんのカレンダー

月曜日, 12月 19th, 2011

今年もまほろばカレンダーが刷り上りました。

奇跡の生還を遂げた写真家・松香健次郎さんのことを、

以前ブログに書きました。

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/02/post_446.html

その松香さん渾身の想いで撮られた一枚一枚の写真です。

26日(月)から、レジ前で、お客様に無料配布いたします。

これを家に飾って、お役立て下さい。