「北の空から」最終稿・・・・
月曜日, 12月 19th, 2011「森下自然医学」2012年正月号が届きました。
連載「北の空から」が今回で最終稿です。
最初、1年間の約束でしたが、28回も続けさせて頂き、
森下会長には、大変勉強させて戴き、感謝申し上げます。
今回は、世界第六番目の長寿郷として認定された如皋(ルーカオ)の
後半の報告を、小池さんがされています。
100歳老人の健康度が数字で報告されていて、興味深いものがあります。
「北の空から」は『日本人と情』と題しての一文です。
私の最も伝えたいことを、訴えたいことを書きました。
お読み下さい。
それを、厚別店長の穂積君が読んで、次のようなメッセージを書いて、驚きました。
「 『さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君かも』
「北の空から」連載お疲れ様でした。
愛する人との古歌の意を分かち合えたならば、・・・・
すべての日本人の遺伝子に組み込まれているはずです。
弟橘姫の父親は、穂積氏、忍山宿禰、何と穂積家のルーツ。
神奈川県川崎市高津区に、御祭神が日本武尊と弟橘姫の二神の橘樹神社があるのですが、
http://www.tachibana-jinja.jp/
姉が嫁いだ先が、まさにこの高津区という場所なんです。
すごい縁を感じずにはいられません。
本人は知らないと思いますが。」
【景行朝】弟橘媛(おとたちばなひめ)
弟橘媛。穗積氏,忍山宿禰之女。日本武尊之寵姬。
尊征東夷,媛亦從行。一自相模泛海而東。
時風濤暴起,舩將覆。媛啟尊曰:
「是海神為祟也。請妾身當之。」
言訖,自投於海。暴風即止,三軍得濟。尊深哀歎之。
已平虜而歸,西踰碓日嶺,東望懷媛。
嘆曰:「吾嬬己矣!」因號東方諸州曰吾嬬。
これには、私も心底驚きました。
小中学生のころから、憧れの女性が弟橘姫だったものですから。
日本人の心の鏡だと思っています。
このように見えない所で、心の絆で繋がっているんだということに驚きました。
まほろばはそのような人たちが集まってきているのでしょう。
狭い日本、みんなそんな濃い血の集団なのです。