渡部 昇一 (上智大学名誉教授)
『人間学入門』より
http://www.chichi.co.jp/book/ningengaku_guide.html
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ヒルティ(スイスの哲学者)がエピクテートスを訳しているんです。
エピクテートスは有名なストイックな哲学者です。
そのエピクテートスを訳したヒルティの前書きがいいんだ。
ヒルティというのは非常に熱心なキリスト教信者なんですが、
彼はその文章の中で、キリスト教の教えは非常に高い教えだから、
本当にわかるためにはある程度、
人生の苦難をなめたりしなきゃならん。
だからこれからという若い人が
宗教的な悟りを開いちゃうのは考えもんだといっている。
本当の人生の困難に会ったときに、
昔、どこかでこんな教えを読んだことがあったというんで、
かえってね、宗教に感激する心がなくなることもある。
それで、むしろ、青年には自分は
エピクテートスのような生き方を教えたいといって、
わざわざ、訳しているわけです。
エピクテートスの哲学というのは、
一種の“悟り”の哲学です。
どういうことかというと、自分の置かれた環境の中で、
自分の意志で自由にならない範囲を
しっかりと見極めるということです。
自分の意志の範囲にあるかどうか。
そこにすべてが、かかっているということです。
ただ、それがはっきりとわからないとだめです。
はっきりわかると、自分の意志の範囲の中にあるものは、
自分が考えて最善の手を打つ。
打ちたくなければ打たなくてもいいが、
すべては自分の意志の範囲にないもの、これはあきらめる。
こういうものに対しては、絶対に心を動かさないということです。
外界のもの、地震とか天災とかは自分の意志の範囲にない。
友人や世の中の人が自分をどう思うかも、
自分の自由にはならない。
こういう自由にならないものに、
自由にならないといって、腹を立て、
心の平静を失うのは愚かだということです。
こういう物に対しては絶対に自分の心を騒がせない。
例えば、ぼくが三十年前に上智大学を
一流大学と思ってもらいたい、
やってることはいいんだからといったって
他の人は認めないものはどうしようもない。
これは意志の範囲にはないんです。
ところが、教えられていることはついていくのが
苦しいくらい高級なものをびしびしやっている。
すると、これを十分に消化するために毎朝、
五時に起きて朝めしまで二時間勉強することから
始めようというのは、それをやるかどうかはまったく、
これは自分の意志の範囲です。
意志の範囲にあることはいいわけをしないで、自分でやる。
で、意志の範囲にないことは問題にもしない。
心を動かさない。
まぁ、こういうのが、ヒルティから学んだことの一つでしょうね。