渡部 昇一 (上智大学名誉教授)
『人間学入門』より
http://www.chichi.co.jp/book/ningengaku_guide.html
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ヒルティ(スイスの哲学者)がエピクテートスを訳しているんです。
エピクテートスは有名なストイックな哲学者です。
そのエピクテートスを訳したヒルティの前書きがいいんだ。
![083-epictetus-2[1]](https://www.mahoroba-jp.net/newblog/wp-content/uploads/2011/12/083-epictetus-21.jpg)
ヒルティというのは非常に熱心なキリスト教信者なんですが、
彼はその文章の中で、キリスト教の教えは非常に高い教えだから、
本当にわかるためにはある程度、
人生の苦難をなめたりしなきゃならん。
だからこれからという若い人が
宗教的な悟りを開いちゃうのは考えもんだといっている。
本当の人生の困難に会ったときに、
昔、どこかでこんな教えを読んだことがあったというんで、
かえってね、宗教に感激する心がなくなることもある。
それで、むしろ、青年には自分は
エピクテートスのような生き方を教えたいといって、
わざわざ、訳しているわけです。
エピクテートスの哲学というのは、
一種の“悟り”の哲学です。
どういうことかというと、自分の置かれた環境の中で、
自分の意志で自由にならない範囲を
しっかりと見極めるということです。
自分の意志の範囲にあるかどうか。
そこにすべてが、かかっているということです。
ただ、それがはっきりとわからないとだめです。
はっきりわかると、自分の意志の範囲の中にあるものは、
自分が考えて最善の手を打つ。
打ちたくなければ打たなくてもいいが、
すべては自分の意志の範囲にないもの、これはあきらめる。
こういうものに対しては、絶対に心を動かさないということです。
![portrait_03-hilty-jung-vekl[1]](https://www.mahoroba-jp.net/newblog/wp-content/uploads/2011/12/portrait_03-hilty-jung-vekl1-245x300.jpg)
外界のもの、地震とか天災とかは自分の意志の範囲にない。
友人や世の中の人が自分をどう思うかも、
自分の自由にはならない。
こういう自由にならないものに、
自由にならないといって、腹を立て、
心の平静を失うのは愚かだということです。
こういう物に対しては絶対に自分の心を騒がせない。
例えば、ぼくが三十年前に上智大学を
一流大学と思ってもらいたい、
やってることはいいんだからといったって
他の人は認めないものはどうしようもない。
これは意志の範囲にはないんです。
ところが、教えられていることはついていくのが
苦しいくらい高級なものをびしびしやっている。
すると、これを十分に消化するために毎朝、
五時に起きて朝めしまで二時間勉強することから
始めようというのは、それをやるかどうかはまったく、
これは自分の意志の範囲です。
意志の範囲にあることはいいわけをしないで、自分でやる。
で、意志の範囲にないことは問題にもしない。
心を動かさない。
まぁ、こういうのが、ヒルティから学んだことの一つでしょうね。