まほろばblog

Archive for 2月, 2012

 「生きるとは命を燃やすこと」

火曜日, 2月 21st, 2012

  栗城 史多 (登山家)

   『致知』2012年3月号
     特集「常に前進」より

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【記者:8,000メートル峰は常に死と隣り合わせの世界だと思いますが、
    実際に死に直面されたことはありますか?】

人間の心と体はきちんと繋がっていますので、
山の中で危険なことがあっても
悪いことは一切考えないようにしています。

ただ一回だけ、これはどうしようもないということがありました。
2009年秋、世界第7位の高峰、
ヒマラヤのダウラギリを登頂し、下山していた時のことです。

登頂後は一刻も早く酸素の濃い7,500メートル以下まで
下りないと危険なので、夜中も下山を続けていました。

と、その時。

氷雪の急斜面でアイゼンがすべって、滑落してしまったんです。
どう足掻いても止まらず、どんどんスピードは加速していきます。
その上、その先には落差千メートルほどの断崖絶壁が待ち構えていました。

で、これはもう落ちるなと思った時に、
たまたま自分の体が何かに引っかかって止まった。

タルチョといって、登山の時に必ず使う
チベットの祈りの旗を誰かがそこに差していたんです。
それがあったおかげで、私は奇跡的に一命を取り留めました。
あの時は神様っているなと思いましたね。

【記者:しかし、それだけの危険を冒してまで、
    なぜ山に挑み続けるのでしょうか?】

やはり母の影響が大きいですね。
母は、私が17歳の時にがんで亡くなりました。
体中にがんが転移していく中、普通だったら
「辛い」「痛い」と、弱音を吐くところだと思うのに、
母はそういうことを一切口に出さなかった。

必死にがんと闘っている母の姿を見た時、
私は母から

「一所懸命生きなさい」

と言われているような気がしたんです。

その母のメッセージが私の中に強烈に残っていて、
いまもなお、自分を突き動かす原動力になっていると思います。

私は講演をしていて、聞かれるんです。
 
 
 「死の危険を冒して登ることは怖くないんですか」
 
 
と。

しかし、私は決して死というものが
悪いものだとは捉えていません。
終わりがあるからこそ、いまがあることに感謝し、
一所懸命生きることができると思うんです。

生きるとは、長く生きるかどうかではなく、
何かに一所懸命打ち込んで、
そこに向かって命を燃やしていくことだと思います。

たとえ90歳まで生きたとしても、夢も目標もなく、
何にもチャレンジしない人生はつまらない。

8,000メートル峰は無酸素ではずっと生きられません。
そこへは酸素ボンベを使って、
グループで登っていったほうが死のリスクは低くなりますが、
私はそれをやるかといったら絶対にやりません。

それは安全で、堅実であるがゆえに、
自分の力を100%出さなくても登れてしまいます。

自分の全力を出さないで登頂したとしても、
それは単なる記録であって、
私にはあまり価値を感じられません。

大切なことは、登頂までの過程で、
いかに自分の100%を超えた、
110%、120%の未知なる領域に
辿り着けるかということです。

名器と変身

月曜日, 2月 20th, 2012

千住さんと言えば芸術三兄弟で、つとに有名である。

兄の博さんは日本画家、明さんは作曲家、そして真理子さんはヴァイオリニスト。

お母さんの文子さんの子育て奮闘記が面白い。

そして一家して真理子さんに、億もする天下の名器「ストラディバリウス」を

獲得する奮戦記もすごい!

先日、新聞に彼女のコメントが載っていた。

「ストラディバリウスは仲良くなるのが難しい楽器。苦労しました」とあり、

すさまじく素晴らしい音がすると。

しかし、それは7~8時間も、弾き続けた後でなければ現れない、と。

ここである。

名器だから、誰もが簡単に鳴ってはくれない・・・ところに妙味がある。

それどころが、プロにしてほぼ一日中弾き続けて・・・・

やっとの事で、大王様がお出ましである。

鈍器は弾き続けても、やはりそれ以上に鳴らない鈍器だが、

名器は奮闘したあとのご褒美を、チャンと呉れる。

そこが違うところなんだろう。

何か人生に似ている。

とことんやると、ひっとして大変身する、あなたかもしれない。

響く言葉

月曜日, 2月 20th, 2012

●篠沢秀夫(学習院大学名誉教授、『クイズダービー』でもおなじみ) 
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   一々他者に認めさせなくても、
   「いまに見ていろ、オレだって」と目前の屈辱に耐え、
   人に見えない努力を続ける。
   
   自己のアイデンティティを温めて心に保ち、
   小さな自分を超える一歩を重ねればよい。

   

●栗城史多(エベレスの単独・無酸素登頂をめざす29歳の登山家)
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  私がエベレストを登頂できずに下山して帰ってくると、
  周りからは「失敗した」って言われるんです。
  でもそれはちょっと違います。
  
  成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは
  「何もしないこと」です。
  私は山登りを通して、挑戦し続けていく先に
  必ず登頂や成功があるのだと確信しています。

●桜井正光氏(リコー会長)
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    私が若い人たちに伝えたいことは、
    「仕事は上司から与えられるものではなく、
     自分で探し出すもの」
    ということだ。
    
    自分の仕事のアウトプットを利用するお客様は
    誰なのかを考え、その人たちの役に立つ子を探して実行すれば、
    必ず成果となって現れる。

●福島孝徳(デューク大学教授)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    人は私のことを「神の手を持つ男」なんて言いますが、
    本当は神様に助けられて生きている男なんです。
    「神のように病気を治す男」ではなく、
    神様に祈りながら必死で病気と闘っている男なんですね。

●佐野公俊(「仏の心を持つ医師」といわれる脳外科医)
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    藤田の元総長である藤田啓介先生は
    「努力をする者にのみ神の啓示がある」
    とおっしゃいました。
  
    人は自分の生まれてきた使命を知るために、
    神の啓示を受ける。
    自分が信念を持って努力し続ける時、
    独創的な閃きが生まれるのかもしれません。

松本君、エゾシカハンターに!

日曜日, 2月 19th, 2012

15日、エゾシカ協会の会合がかでる27で開かれた。

今回、元農園スタッフ、松本知也君と一緒に。

彼は、「北海道のマタギ」を目差して、鹿ハンターの試験に

先日合格したばかりだった。

彼の精悍な顔、鋭い眼光は、北海道一のハンターになる素質一杯だ。

今、エゾシカ問題で、最も頭を悩ますのは、ハンターの高齢化だ。

そんな時、彼の出現は、まさに北海道の希望の星でもある。

協議会のメンバーは、道庁、北海道新聞社をはじめとして、

各地の指定解体会社、大学関係、ホテル・レストランと多士済々で、

しかも、衛生処理マニュアルに基づく「ザ・プレミアム鹿肉」の普及に携わる

いわば、正統派の鹿肉普及協会でもある仲間に支えられて、

松本君は恵まれた好スタートを切る。

前途に祝福あれ!!

その後、北京料理の「養源郷」にて、

エゾシカ肉の様々な料理法による珍品を堪能させてもらった。

薬膳料理としても、これからの発展が見込まれるのではなかろうか。

まほろば自然農園の畑を隣にする我満さんは、協会理事で、

その日、焼肉グリルを持ち込んでの張り切りよう。

ジューシーな焼き立ては、どこでも味わえない絶品。

来る3月2日、3日の感謝デーに、

本店・厚別店で振る舞われる。

お楽しみに。

松本君もスタッフとして応援に駆けつけます。

「ひな祭り」ケーキを

日曜日, 2月 19th, 2012

バレンタインが終わると、今度は「ひな祭り」。

店内は、ひな祭りムードで、桜色。

クリスマス、バレンタイン、そして、桃の節句で、

まほろばオリジナルケーキがまたまた出ますよ。

大和パテシエが丹精込めた女性のための女性によるケーキ。

6号18cm 抹茶・チョコ ¥4.800

5号15cm 抹茶・チョコ ¥3.200

「意志は技術を凌駕する」

日曜日, 2月 19th, 2012

             高部正樹(元傭兵)

        『致知』2011年12月号「致知随想」
         ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

………………………………………………………………………………………………

 一九八八年から二〇〇七年までの十九年間、
 私は傭兵としてアフガニスタン、ビルマ、ボスニアなど、
 世界各地の最前線で戦闘に携わってきました。

 傭兵とは、正規軍兵士と違い、その国の国籍を持たない、
 雇われた外国人兵士をいいます。

 日本ではあまり馴染みのない傭兵という道を
 私が選んだ理由はただ一つ。

「自分以外の誰かのため、何かのために
  命を懸ける強い男になりたい」
 
 
  という一心からでした。

 そう思い立ったのは小学校低学年の頃。
 子供向けの戦記物や特攻隊に関する本を読み、
 国を守るために命を捧げた軍人たちの姿に
 純粋な憧れを抱いたのです。
 
 守るべきものを守り抜く人間になりたい。
 子供心にそう感じた私は、この時、
 将来は絶対軍人になると心に誓いました。

 高校を卒業した後、私は航空自衛隊のパイロットを
 養成する航空学生に運よく合格し、航空自衛隊に入隊。
 しかし、訓練中に背中を怪我してしまい、
 除隊せざるを得ませんでした。

 このまま日本にいても、幼い頃から憧れていた
 自分以外の誰かのため、何かのために戦う
 人間にはなれないと感じ、それならば
 日本の枠にこだわる必要はない、
 海外へ行って傭兵になろうと決意しました。

 ちょうどその頃、ある写真週刊誌に
 アフガニスタン紛争に参加した
 日本人の記事が掲載されていたのです。
 
 それを見た時、私は「あぁこれだ」と思い、
 すぐさま連絡を取ろうと試みました。
 
 なんとか人づてに紹介してもらい、
 その人の事務所に足を運んだのですが、
 私が何を言っても「やめたほうがいい」の一点張り。
 結局、相手にされず、追い返されてしまいました。

 しかし、絶対に傭兵になると腹の底から決めていた私は、
 パスポートとビザ、パキスタン行きのチケットを手に、
 出発の前日、再び事務所へ向かいました。

 「どうにもならないかもしれないけど、
  とにかく向こうに行って、自分で道を探してみます」

 私が決意のほどを伝えると、

 「ここの事務所にもお前みたいなやつが何人か来たことがある。
  でも話を聞きに来るだけで実際に行った奴は一人もいない。
  だから俺は最初、お前を追い返した。
  
  だが、お前はパスポートもビザもチケットも持ってきた。
  お前は百万人に一人の人間かもしれない」

 そう言って、現地の事務所に向けた紹介状を書いてくれました。
 そして二十四歳の時、安定した将来も、お金も、
 何もかも捨てて、私は身一つで海外へ飛び出しました。

 一九八八年、当時ソ連の侵攻を受けていたアフガニスタンに
 単身で乗り込み、ソ連軍との戦闘に参加。
 一九九〇年代には、ビルマ(現・ミャンマー)軍事政権から
 独立を目指すカレン族の解放軍に加わりました。

 最前線は、まさに死と隣り合わせです。
 アフガニスタンにいた時は、ソ連軍の戦闘ヘリコプターに襲撃され、
 打ち込まれたロケットがすぐ近くで炸裂。
 
 その破片が背中に突き刺さり、負傷しました。
 あと二、三秒逃げ遅れていたら、直撃して死んでいたかもしれません。

 またある時は、倉庫のような建物の窓から
 敵を銃撃していたのですが、その建物に迫撃砲が着弾。
 すぐ隣の窓にいた仲間二人が死んでしまいました。
 
 私は瓦礫の下敷きになっただけで済んだのですが、
 もしポジションが逆だった場合、
 その砲弾は私に当たっていたわけです。

 最前線を生き延びるかどうかは確率の問題です。
 どんなに経験や訓練を積んでも
 死ぬ確率をゼロにすることはできません。

 しかし、最後に生死を分けるのは人間の意志だと思います。
 これは私が十九年間、最前線を生きてきた中で得た実感です。

 その中で一つの判断にしていたのが遺書です。
 遺書を書いた仲間たちは不思議なほどに死んでいきました。
 絶対に生き残ろうと思えば遺書を書こうとはしないはずです。
 
 遺書を書くということは、心やイメージが死ぬほうへ
 向かってしまっているということでしょう。

 負傷した時も同様です。
 例えば、地雷は運が悪くても
 膝から下が飛ばされる程度の威力なのですが、
 中にはそれだけでショック死してしまう人間がいる。

 「俺は絶対に死なない。絶対に生き残る」
 
 と強く思っている人間は、やはり死にづらいのです。
 最前線を戦う兵士は人殺しの訓練を
 十分に受けたプロフェッショナル。
 
 仮に技術が互角だとしたら、そこで勝敗を決するのは心です。
 相手を圧倒する気迫がなければ、生き残ることはできません。

 私が大切にしている信条の一つに
 
 
 「意志は技術を凌駕する」
 
 
 という言葉があります。

 最前線だけでなく、人生のあらゆる戦いの場で最も重要なのは、
 その人間の意志なのです。
 
 何かをやろうとする時、まず為すべきことは
 技術を磨くことではなく、自分の意志を固めることだと思います。

 それはつまり、捨てる覚悟を持つということです。
 私は傭兵になるためにすべてを捨てました。
 
 あれもやりたい、これもやりたいなどと欲張っていては、
 結局どれも中途半端に終わってしまうだけなのです。

 私たちに与えられた命は一つ。
 その命は使ってこそ意味があると思います。
 傭兵を引退して日本に帰ってきたいま、
 これからの人生は祖国日本のために
 自分の命を精いっぱい尽くしていきたいと思っています。

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私見 まほろば主人

最近、韓国映画「ロードナンバーワン」を観ているが、

私が生れた1950年に興った、あの朝鮮動乱、

南鮮の北進の凄まじい戦闘状況を描いているのだが、

主人公が死地にあっても失敗せず、不思議と生き残るのは、

何故か?と問われた時、平壌に待つ恋人に只管会いたい一心で

闘っている、との一言が、こうも運を開くのか、と思ったものだ。

そこに、高部氏の命がけの生き方の中に、同一のものを感じた。

それは、意志であり、志なのだろう。

成功するには、

「何をしたいか」

「何になりたいか」

という強烈な思い入れが必要だと、言っている。

「オリンピックで勝つための勝負脳の話」

木曜日, 2月 16th, 2012

        
       
 林 成之 (日本大学大学院総合科学研究科教授)
        
        
   『致知』2009年1月号
                  特集「成徳達材」より────────────────────────────────────

競泳日本代表の上野広治監督は
ここで手を抜くことなく、
もう一度オリンピック1週間前の韓国済州島での合宿で、

「オリンピックで勝つための勝負脳の話」

をしてほしいと要請してこられました。
無論、二つ返事で引き受けました。

人間の考え方一つで能力を
最高に発揮する脳の仕組みをまとめて
紹介したかったためです。

これまでで印象的だったのは、監督に呼ばれ、
春の国内選考会を見に行った時、
残り10メートル手前までは
体半分世界新記録や日本新記録より前に出ているのに、
残り数メートルになると、測ったように遅れ、
記録を取り逃がしている光景を目にしたことでした。

私はすぐ気がつきました。
これはみんなゴールをゴールだと思っているなと。

    (中略)

つまり残り数メートルはオリンピック選手ではなく、
普通の選手になってしまう
脳のピットホール(落とし穴)にはまる。

【記者:では、ゴールの時はどうすればよいのでしょうか?】

選手にも

「突き指してでも壁の向こう側をゴールだと思うんですか」

と質問されましたが(笑)、私は人間の本能を
使いましょうと言ったんです。

人間には

「生きたい」

「知りたい」

「仲間になりたい」

という3つの本能があるんですね。この

「仲間になりたい」

を使うんです。

かつて「刀は武士の魂」といって、
命懸けで戦う時に刀を抜きました。

それは刀そのものを魂といったのではなく、
自分が刀となって戦うからそう表現したのです。

同じように、残り10メートルは

「マイゾーン」

として、水と仲間となり、
一体化して泳いでくれと。

練習中も、このゾーンは自分が
最もカッコよくゴールするために、
ゴールの美学を追求しながら泳いでほしいと言ったのです。

多くの人は

「命懸けで頑張ります」

と口で言いますが、
命懸けで脳が働くシステムを使っていないのです。

勝負の最中、前回のアテネオリンピックではこうだった、
昨日コーチにこう注意されたなどと考えながら勝負をする。
これは作戦を考えながら戦っているので
命懸けの戦いにならないのです。

命懸けの戦いとは、過去の実績や栄光を排除し、
いま、ここにいる自分の力がすべてと考え、
あらゆる才能を駆使して
勝負に集中する戦い方をいうのです。
これには「素直」でないとできません。

素直でない人、理屈を言う人はあれこれ考え、
その情報に引っ張り回されます。
素直な人は、過去も未来もない、
いまの自分でどう勝負するかに集中できるのです。

 「魅力ある経営者たちに共通したもの」

水曜日, 2月 15th, 2012

  城山 三郎 (作家)

      『一流たちの金言』より
  ─────────────────────

日本信販の山田光成さんは
断られても断られても百貨店に通い詰めて、
とうとう何社かを説得して契約し、
日本信販をスタートさせる。

口で言ってしまえば簡単です。

だが、百貨店と契約するまでには
筆舌に尽くし難い苦労があったはずです。

いろいろなアイデアを抱く人はたくさんいます。
だが、それを創業に持っていき、軌道に乗せられるかどうかの
境目はここなんですね。多くはここを乗り越えられず、
アイデアは単なるアイデアで終わってしまう。

(その境目を乗り越えさせるものは)
「魔」でしょうね。

情熱と言ってもいいし狂気と言ってもいい。
何かをやるなら「魔」と言われるくらいにやれ、
「魔」と言われるくらいに繰り返せ、ということです。

渋沢栄一は埼玉の農家から出てきて一橋家に仕える。
侍になりたいんですね。
ところが、割り当てられたのは勝手番。
これでは上の人と話し、認めてもらうチャンスがない。

だが、上の人が毎朝乗馬の訓練をする。
この時なら話すチャンスがあるということで、
渋沢は馬と一緒に走って自分の思いや考えを上の人に話す。
毎朝それをやる。
すると、あいつは見どころがあるということで、
そこから彼の人生は開けていく。

渋沢は3つの魔を持っていた。

吸収魔、建白魔、結合魔です。

学んだもの、見聞したものをどんどん吸収し、
身につけてやまない。
物事を立案し、企画し、それを建白してやまない。
人材を発掘し、人を結びつけてやまない。
   
普通にやるんじゃない。大いにやるのでもない。
とことん徹底して、事が成るまでやめない。
そういう「魔」としか言いようのない情熱、狂気。

根本にそれがあるかないかが、
創業者たり得るか否かの分水嶺(ぶんすいれい)でしょう

心も発酵

火曜日, 2月 14th, 2012

 かわいいでしょう。

「心が発酵すると味な人生になる」・・・・・・・

『発酵仮面』こと小泉武夫先生から、上の猫ちゃんのハガキが届きました。

2月のたより「福島の奇跡、奇跡の福島」の記事をお送りしたからです。

先生の御実家は江戸時代からの造り酒屋で、倒壊して已む無く郡山に移転されたのです。

茨城大の中島教授の報告で、福島の農産物は、不思議と低線量であることが判明して、

同郷人として胸を撫で下ろされました。

 

放射能に発酵食品が有効であることが伝播されて、

今、空前の麹ブームです。

まほろばでもオリジナル『麹の力』を造っています。

また、4,5月には、オリジナル「しお麹」が販売されます。

有機米に七五三塩、そしてエリクサー水で醸した物です。

それと、その蔵元伝来の酵母が、何処にもない独特な物なので、

今から楽しみですね。

お待ち下さい。

「東の光」続々と

火曜日, 2月 14th, 2012

農園を手伝っていて下さった竹縄さんが

畢生の句集「東の光」を編んでから11年の歳月が流れた。

その後、毎年溢れる珠玉の俳句は付録Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと増刷され、

さらに昨年紡がれた句付きの帯が巻かれ、

今年、友の画をカードとして新作が綴られている。

汲めど尽きせぬ詩情は、生涯涸れる事がないのでしょう。

 

           (句集「東の光」 ¥1.500 まほろば取り扱い)

 

   「東 雲」    竹縄 律子

戻らざるチェルノブイリや十月耒

眼鏡拭き言葉失ふ秋の道

福島の次世代如何に秋曇る(2011.10.15)

 

終の地を離るものかは秋の風

時すでに世界の俳句秋の空

日溜まりに裏返す服ほどく秋

はなむしとせせこましきやあきのそら

薪ためて嫌ひて戻らぬ女道

さばさばとしてぱぱもよき冬仕度

芸術の秋や終活すすむ足

秋深く世界の変はる時を待つ

阿波の三代目同志の帯の夏

一巻は第二芸術ならず 夏

故郷の夏「交差点」出す友のゐて

ばば虎が天女と言えず喉仏

もう本に使えぬ暮らし大根買ふ

日を背に縄の目締めて懸大根

猿のごと素足で枝切る秋日中

疲れただ動いてとる秋ワインのむ

松手入れして緑濃く秋日受く

まことのほか俳諧なし筆納め(2011.10.31)

背骨なきTPP論毛糸編む

食の変代謝を乱す震災忌

編むしごと待つあそびして根雪前

日は少し長くなりつつ十二月

俳諧に四道を通す雪の街

ローカルの礎揺るがぬ雪の街

年の内世界に価値を問ふかぎり(2011.12.6)

 

呼吸浅き師走の饒舌みな流す

通過地に戻ることなき雪の道

極月の天女の服で平和待つ

団欒のノート新たに年の内

熊楠の棟の花に逢ひにけり

ブータンの空青く澄み換気閉づ

会寧に送る一心春を待つ

姑よりの雪の結晶ペンダント

明け際の夫の笑顔や冬至耒る

花は夫実は人類に大掃除(2011.12.24)

手作りの道をすすめる初句会

みな病めば涸れたる泪豪雪期

想像のたよりなき山一月尽

生かし合ふ二月の陽差し待つ校正

廻し読む顔と手と足日脚伸ぶ(2012.131)

 

初句会のうしの正夢師を離る

名のままに自立の叶ふ神の旅

「まほろば」の油の進化麻になる

護摩焚きの寺いっぱいの節分会

産直の荷に積む一書震災忌

眠る山豆乳パーティみそ作り(2012.2.5)