Archive for 3月, 2012
オリジナルジャム3種発売!
木曜日, 3月 29th, 2012「豆食」ディナーOPEN!!
木曜日, 3月 29th, 2012「人生のチアリーダー」
木曜日, 3月 29th, 2012 『致知』2012年4月号「致知随想」
※肩書きは『致知』掲載当時のものです
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「私、チアに入りたいんだけど、一緒に見学に行こうよ」
友人からのこの誘いがすべての始まりでした。
高校に入学し、部活に入る気もなかった私は、
友人に付き添いチアリーディング部の練習を見に行きました。
目に飛び込んできたのは、先輩たちの真剣な眼差し、
全身で楽しんでいる姿、そして輝いている笑顔でした。
それを見た時、
「すごい!! 私も入りたい!!」
という衝動に駆られたのです。
しかし、次の瞬間、
「でも私には無理……」
という気持ちが心を塞いでしまいました。
私には生まれつき手足がほとんどありません。
短い左足の先に三本の指がついているだけ。
病名は「先天性四肢欠損症」。
指が五本揃っていなかったり、
手足がないなどの障害を抱えて生まれてくるというものです。
幼少期から母親の特訓を受け、一人で食事をしたり、
携帯でメールを打ったり、字を書くことや
ピアノを弾くこともできますが、
手足のない私には到底踊ることはできません。
半ば諦めかけていましたが、
「聞いてみないと分かんないよ」という
友人の声に背中を押され、顧問の先生に恐る恐る
「私でも入れますか?」と聞いてみたのです。
すると先生は開口一番、
「あなたのいいところは何?」
と言われました。
思わぬ質問に戸惑いながらも、私が
「笑顔と元気です」
と答えると、
「じゃあ大丈夫。明日からおいで」
と快く受け入れてくださったのです。
手足のない私がチアリーディング部に入ろうと決意したのは、
「笑顔を取り戻したい。笑顔でまた輝きたい」
という一心からでした。
生まれつき積極的で活発だった私は、
いつもクラスのリーダー的存在。
そんな私に転機が訪れたのは、小学校六年生の時でした。
積極的で活発だった半面、気が強く自分勝手な性格でもあり、
次第に友達が離れていってしまったのです。
そんな時、お風呂場で鏡に映った自分の身体を
ふと目にしました。
「えっ、これが私……。気持ち悪い……」
初めて現実を突きつけられた瞬間でした。
孤独感で気持ちが沈んでいたことも重なり、
「よくこんな身体で仲良くしてくれたな。
友達が離れてしまったのは身体のせいなのでは……」
と、障害について深く考えるようになり、
次第に笑顔が消えていきました。
そのまま中学三年間が過ぎ、
いよいよ高校入学という時になって、
「持って生まれた明るさをこのまま失っていいのだろうか。
これは神様から授かったものではないか」
と思うようになり、そんな時に出会ったのが
チアリーディングだったのです。
初めのうちはみんなの踊りを見ているだけで楽しくて、
元気をもらっていました。
しかし、どんどん技を身につけて成長していく
仲間たちとは対照的に、何も変わっていない自分が
いることに気づかされました。
「踊りを見てアドバイスを送って」と言われても、
「踊れない自分が口を出すのは失礼ではないか」
という思いが膨らみ始め、仲間への遠慮から
次第に思っていることを言えなくなってしまったのです。
せっかく見つけた自分の居場所も明るい心も失いかけていました。
「チアを辞めたい。学校も辞めたい……」。
そんな気持ちが芽生え、次第に学校も休みがちになりました。
しかし、私が休んでいる間も、
「明日は来れる?」と、チアの仲間やクラスメイトは
メールをくれていました。
「自分が塞ぎ込んでいるだけ。素直になろう」
そう分かっていながらも、一歩の勇気がなく、
殻を破れずにいる自分がいました。
その後、三年生となった私たちは、
ある時ミーティングを行いました。
最終舞台を前に、お互いの正直な気持ちを
話し合おうということになったのです。
いざ始まると、足腰を痛めていることや学費の問題など……、
いままでまったく知らなかった衝撃的な悩みを
一人ずつ打ち明けていきました。
「みんないっぱい悩んでいるんだ。辛いのは私だけじゃない……」
そして、いよいよ私の番。震える声で私は話し始めました。
「自分は踊れないから……
みんなにうまくアドバイスができなくて……
悪いなって思っちゃって……
みんなに悪いなって……
だから、だから、これ以上みんなに迷惑かけたくなくて……」
続く言葉が見つからないまま、涙だけが流れていきました。
そうすると一人、二人と口を開いて、
「私たち助けられてるんだよ」
「有美も仲間なんだから、うちらに頼ってよ」
と、声をかけてくれたのです。
そして最後、先生の言葉が衝撃的でした。
「もう有美には手足は生えてこない。
でも、有美には口がある。
だったら、自分の気持ちはハッキリ伝えなさい。
有美には有美にしかできない役目がある!!」
これが、私の答えであり、生きる術でした。
チアの仲間や顧問の先生に出会い、
私は自分の使命に気づかされました。
声を通して、私にしか伝えられないメッセージを
届けたいとの思いから、高校卒業の二年後、
二〇一一年六月にCDデビューを果たし、
アーティストとして新たなスタートを切りました。
十二月には日本レコード大賞企画賞をいただくことができたのです。
チアリーダーという言葉には、
「人を勇気づける」という意味があります。
私は誰かが困っていたり、悩んでいたりする時に、
手を差し伸べることはできません。
しかし、声を届けることはできる。
チアリーディング部を引退したいまも、
私は人生のチアリーダーとして、
多くの人に勇気や生きる希望を与えていきたいと思っています。
「上の人にかわいがってもらうには?」
水曜日, 3月 28th, 2012 『致知』2012年4月号
特集「順逆をこえる」より
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その頃(15歳頃)は自分が料理人になるとは
夢にも思わなかったんですが、
僕が出入りしていた旅館のチーフに
「手に職をつけたほうがいい」と言われ、
当時流行っていた「東京ブギウギ」に誘われて東京へ出たんです。
十九歳の時でした。
家を出ていく時、母は
「六ちゃん、人にかわいがってもらえや」
と言いました。親として一番悲しいのはいじめに遭ったり、
人から嫌われたりすることだったんでしょう。
一方、親父は
「石の上にも三年だ。
行ったからには石に齧りついてでも我慢しろ。
決して音を上げるな」
と。また、両親は浄土真宗の信者でもあり、
幼い頃からこんな話をよく聞かせてくれました。
「おまえは自分の境涯を喜ばなければならない。
この世に生まれてきて、
目の見えない子や耳の聞こえない子もいる中で、
おまえには鼻はついている、耳はついている、
五体満足に全部揃っている。
それを喜ばずに何を喜ぶんだ」。
「辛いこと、苦しいことがあっても嘆いてはいけない。
逆境に遭ったら、それは神が与えた試練だと思って
受け止めなさい」
「たとえ逆境の中にいても喜びはある」。
そういう言葉の一つひとつが、
僕の人生において非常に支えになりましたね。
(料理の世界に入ってから)
僕は調理場でもなんでも、
いつもピカピカにしておくのが好きなんです。
例えば鍋が煮こぼれしてガスコンロに汚れがつく。
時間が経つと落とすのが大変だから、
その日のうちに綺麗にしてしまう。
そういうことを朝の三時、四時頃までかかっても必ずやりました。
それで、オヤジさんが来た時に
「お、綺麗やなぁ」と言ってもらえる。
その一言が聞きたくて、もうピカピカにしましたよ。
だからかわいがってもらえたんですね。
それと、毎日市場から魚が入ってくるんですが、
小さい店ですから鯛などは一枚しか回ってこない。
でも僕は若い衆が大勢いる中で、
その一枚を自分でパッと取って捌きました。
そうしないと、他の子に取られてしまいますから。
ただ最初のうちはそういうことを、
嫌だなぁと思っていたんです。
というのも、「いいものは他人様に譲りなさい」と
親に言われて育ってきましたから。
半年ぐらい随分悩んだんですが、
でもそんなことばかりをやっていたら、
自分は負け犬になってしまう。
だから僕も、まだ青いなりに
「仕事は別だ」って思ったんですよ。
仕事だけは鬼にならなけりゃダメだ、と。
そう思って、パッと気持ちを切り替えたんです。
結果的にそういう姿勢が先輩や親方からも認められ、
それからはもう、パッパ、パッパと仕事をやるようになりました。
* *
僕の若い頃には「軍人は要領を本分とすべし」
とよく言われたものです。
要領、要するに段取りでしょうな。
だから要領の悪い奴はダメなんですよ。
そうやって先輩に仕事を教えていただくようにすることが第一。
仕事場の人間関係でも一番大事なのは
人に好かれることで、もっと言えば
「使われやすい人間になれ」
ということでしょうね。
あれをやれ、これをやれと上の人が言いやすい人間になれば、
様々な仕事を経験でき、使われながら
引き立ててもらうこともできるんです。
「HOPE」トークショー
火曜日, 3月 27th, 2012酒井さんの「イデアワークス」主催で、講演会があります。
お笑いセラピスト尾崎里美さん等三人をお迎えしてのトークショーです。
もし感ずるところがあれば、ご参加ください。
「MOTHER WATER/母水」再び特許に!
月曜日, 3月 26th, 2012ELIXIRの象徴的意味合いのある「MOTHER WATER/母水」。
このMWのキーワードは、まほろばの存在意義と目的を表す重要なものだ。
ところが、10年の特許有効期限が過ぎて、再びと申請して下りたもの。
まほろばの生命線を表わすだけに、もし外れたらヒヤヒヤものだった。
無事、登録証も届いて一安心。
10年も過ぎ、第二期のエリクサー時代到来を呼び起こしたい。
「被爆をこえて生きる」
月曜日, 3月 26th, 2012 『致知』2012年4月号
特集「順逆をこえる」より
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就職して2年目の頃だったと思います。
「広島で桜沢如一先生の講演会があるから
一緒に行ってみましょう」
と、ある方から講演会に誘われました。
講演終了後、私は桜沢先生に挨拶に行きました。
私の顔を見るなり、桜沢先生の第一声はこうでした。
「うわぁ、汚い顔だねぇ~」
当時、私は肝臓の異常から顔に吹き出物がたくさん出ていて、
自分でも気にしていたのです。
周囲の人は誰も口にしませんでしたが、
それを面と向かって言われ、さすがにショックを受けました。
「私は原爆に遭っているので」と言うと、
「原爆症というものはありません」。
桜沢先生が私に向かって言われた言葉には驚きました。
そして、さらにショッキングなことを言われました。
「あなた、いまのままの生活を続けたら3年以内に死ぬよ」
「どうすればいいのでしょうか」
「七号食(玄米だけ。ごま塩は可)にしなさい」
それから、家に帰るなり白砂糖を捨て、余分なものを一切食べず、
白米を隣のお家に差し上げて、完全玄米生活を始めました。
家でも学校でも玄米だけ、お味噌汁も飲みません。
七号食は、食養の常識では10日間で一区切りなのですが、
詳しいことを知らずに始めた私は、1か月間も続けたのです。
その間、53kgあった体重が42kgまで減り、
顔中の噴火口も次第に消え、明らかに体調の変化が出てきました。
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