まほろばblog

Archive for 3月 3rd, 2012

「・・・メタサイエンス」宮嶋さん本出版

土曜日, 3月 3rd, 2012

宮嶋さんの処女作「みんな、神様をつれてやってきた」に続いて、

第二弾「いのちが教えるメタサイエンス」が発刊された。

何時も、彼が説く語り節なのだが、なかなか難解で、

分かったようで分からないことが多かったが、

こうして上梓されると、図解もあり、何より噛み砕いて説いているので、

これはそういうことだったのか、こういうことだったのか、と肯く事しきり。

これで、宮嶋理論は初めて世に問われたのであり、

これからその真価が発揮されるのでしょう。 北海道十勝に入植して三十年が経ち、共働学舎の牧場としてかたちをなしてきたころ、前著『みんな、神様をつれてやってきた』(二〇〇八年、地湧社)を書いた。さまざまな負担を抱えて牧場にやってきた人たちと、働きながら生活を成り立たせようと悪戦苦闘をしているうちに、思わぬ幸運にも恵まれて、自然に添った暮らしぶりやチーズ作りが注目されるようになってきた。

 
 世の常識にとらわれず、炭を埋めたり自然素材で牛舎や住宅を建てたりと、これだと思ったことは根拠を探りつつも躊躇せずに実行してきた。そうしてその人、その動物や作物、その土地の持つ潜在的な力を引き出すようつくった牧場空間は、多くの実りをもたらした。そこには長年の自然観察と、かつて学んだ物理学や生態学の、そして名も知らぬ先人たちの知恵が生かされている。
 その一部を前著の巻末「注」に書き添えたところ、思わぬ反響があった。これまで多くの方たちに支えられてここまでやってこられた。そこから学んだことを還していく時が来たと思い、筆を執った。僕たちがつくってきたこの牧場の仕組みが読者の皆さんにも役立つかもしれない。
そこには経済中心に動いてきたこの社会が抱える閉塞感を解決するヒントがあるはずだ。

                                         宮嶋 望

炭、水、光、木、チーズと多方面にわたって説かれ、

ことに水に関しては、エリクサーについても言及している。

まほろばでも、取り扱っているので、是非お読み下さい。

「いのちが教えるメタサイエンス」 地湧社 ¥2,000 【税別】 まほろば扱い

これは絶品!!シカ肉

土曜日, 3月 3rd, 2012

すごい!これは、すごい!!!!!!!!!!
本当にビックリ!!!!!!!!!!!!!
エゾシカ肉が、こんなに旨いものだとは、
昨日は、心から感動しました。
鹿肉料理、今までいろいろ食べてきましたが、
こんなに旨い料理に会ったことがない。
料理というより、炭火でただ焼いただけだ。
このグリル、我満さんが製造特許を取ったほどの優れもので、
肉の旨味を逃がさぬよう工夫されている。
如何なる食肉も、これには到底叶わないだろう。
飼料や飼育法など、案ずる事がなく、
ただ野性の醍醐味をストレートに堪能出来るのだ。

エゾシカに対する認識が、昨日を境に一変しました。
それほど感動というか、むしろ心に深く沁み込む感銘を受けたという方が正しい。
自然と人工を観念的に認識していたが、エゾシカで自然の凄味が体験できた。
もうこれは、食べるしかないです。
今日、厚別で試食会を開いていますし、
明日、臨時に本店でもう一度、開催します。
皆さんで、この感動を分かち合いましょう。

家庭でのホームパーティーや
何かのイヴェントに、このグリルの貸し出しや
この腿の鹿肉を販売するのも、いいかなと思ってしまいました。
それほどのものですから、
どうぞ、お声をお掛け下さいませ。

 「仕事は自ら探し出すもの」

土曜日, 3月 3rd, 2012

       
 桜井 正光 (リコー会長)

   『致知』2012年3月号
   連載「20代をどう生きるか」より
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 私がリコーに就職したのは一九六六年。
 オリンピック景気を最後に日本の高度経済成長期が終わり、
 「証券不況」という大きな不況の真っ只中だった。

 そもそもなぜリコーを希望したかというと、
 私は小さい頃から「これはなぜ動くのか」とその構造が知りたくて、
 買ってもらったばかりのおもちゃの解体に
 熱中するような子供だった。
 
 その好奇心が高じて理工学部へ進学。
 そして学生時代に熱中したのはカメラだった。
 
 必然的に就職先は製造業で、
 特にカメラを製造している企業を希望して、
 リコーに行き着いたのだ。
 
 ところが、面接時に衝撃的なことを言われた。
 
 
「いまほとんどカメラはやっていないよ。
  いまのうちの主力は複写機(コピー機)だ」
 
 
「???」

 当時、複写といえばガリ版刷りで、
 私は複写機そのものがどんなものか分からなかったが、
 咄嗟に「複写機でもいいです」と答えた。
 
 さらに「なぜこの時期にリコーなんだ? うちは無配だよ」
  と言われた。その瞬間、「無配」が何かが思いつかず、
 「いや“無敗”は望むところです」と答えた。
 
 いま振り返ると、よく通ったものだと思う。

 
 そうして最初に配属されたのは原価管理課という部門だった。
 しかし、不況の真っ只中、会社も無配の状態である。
 上司に言われたのは「おまえたちにやる仕事はない」と
 いうことだった。
 
 最初こそ仕事がなくて楽だと思ったが、
 三か月も経つと何もする仕事がないというのは
 こんなにつらいものなのかと身に沁みて感じた。
 
 他の部署の人たちが仕事をしていることへの焦り。
 また、もっと本質的な部分で、
 自分は会社や社会に何も貢献できていないという
 「役割」のなさへの焦りがあった。
 後々振り返って、社会人のスタート段階で
 
 
 「仕事があるありがたさ」
 「する仕事のないつらさ」
 
 
 を体感できたのは幸せだったと思う。

       * *

 さて、そこで私は
 「こうなったら、自分で仕事を探そう」と決意した。
 原価管理課は、製品の原価を計算し、
 コストダウンを提案して実践する部署だった。
 
 提案は誰に対して行うのか、我われの提案を
 利用する人たちにとってそれは十分な情報かどうか、
 もっと欲しい情報はないのか、ヒアリングに向かったのである。
 
 提案の利用者は、開発、設計、生産部門だから、
 各部署を回ってみると次第に自分がすべき仕事が見えてきた。
 
 複写機を取ってみても、いくつもの製品があり、
 それぞれの製品間で部品が類似しながらも
 微妙に違うものを使っていることに気がついた。
 
 
 「本当に違う必要があるのか」
 
 「コストアップの原因になってはいないか」……。
 
 
 いまならコンピュータで類似部品一覧を管理しているだろうが、
 あの当時、技術や設計の人間は手間隙かかる
 類似部品のリスト化に手をつけていなかった。
 
 私は五か月間、倉庫にこもって部品図面を種類ごとに分類。
 材質や形状、原価などを加えたリストを作成し、設計部署に渡した。
 その後、改善したほうがいい部分を指摘してもらい、
 どんどんブラッシュアップしていった。
 
 すると、現場は「部品を探す手間が省けた」と
 重宝してくれる一方で、同じような形状であれば
 一番安い部品を選ぶようになり、
 大きなコストダウンに繋がったのである。
 この経験から私が若い人たちに伝えたいことは、
 
 
「仕事は上司から与えられるものではなく、
 自分で探し出すもの」

 ということだ。
 
 自分の仕事のアウトプットを利用するお客様は誰なのかを考え、
 その人たちの役に立つことを探して実行すれば、
 必ず成果となって現れる。

 すなわち、それは自主自立、自己責任の全うということであり、
 いま日本全体で最も求められていることではないだろうか。