まほろばblog

Archive for 3月 19th, 2012

女人杜氏、登場!!

月曜日, 3月 19th, 2012

岩手県紫波町の「月の輪酒造店」さんから
「無農薬米純米酒『うすにごり 南部和蔵』が初入荷しました。
ここの4代目杜氏さんは、オーナーのお嬢さん横沢裕子さん。
伝統の血でしょうか、故郷に帰って、手造り仕事を終生の生業と心に定めた裕子さん。
これから、世の女性、男性の仕事場と限られていた所に進出して、
日本中に、大いに発酵時代を盛んならしめんことを。

若狭(現在の福井県)出身の横沢家初代は、
現在の地において麹屋を営んでおりましたが、
横沢家4代目の徳市が酒造りへの情熱に燃え、
酒造業を創業した1886年が月の輪の歴史の始まりです。
代々の当主は酒造りに携わっている事から平成3年より
現蔵元(横沢家7代目)の横沢大造が当主と杜氏を兼ねる
オーナー杜氏として酒造りの指揮を執っておりました。
平成17年11月1日に法人化した時点で
横沢裕子が杜氏となり新体制での酒造りをしております。
会社理念 「企業としてではなく 家業として」
法人化した現在でもこの理念を持ち続け、常に伝統の継承と技術の革新を目標に掲げ、
日本酒造りには不向きと言われるもち米を100%使用した純米酒の製造や、
原料の米を最大限に利用するしょうちゅうの製造にも取り組むなど
新しい事に挑戦し続けております。

http://www.tsukinowa-iwate.com/ 月の輪酒造HP

 酒を搾ると消えてしまうもろみの素晴らしい味と香り。
この香りを少しでも残そうと作られたのが「うすにごり 南部和蔵」です。
昔ながらの酒袋で、もろみを時間をかけて搾った、うすいにごりのあるお酒。
自然の重みで垂れ落ちる滴は、名残雪のようにほのかに淡く白く、
その濁りの部分はもろみの微粒子成分でなり、味・香りともにふくよかです。
是非とも、お試し下さい。

● 麹米・掛米/ひとめぼれ(無農薬)
● 精米歩合/65%
● アルコール度数/15,4%
● 日本酒度/+0~+3
● 酸度/1.5~1.8
● アミノ酸度/1.2~1.5

うすにごり南部和蔵(生酒) 1800L ¥2.750
                  720L ¥1.400

「営業の3つのポイント」

月曜日, 3月 19th, 2012

      
  津田 晃 (野村證券元専務)

    『致知』2012年4月号
   連載「二十代をどう生きるか」より

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 営業とは何だろうか。
 
 私は三つのポイントがあると考えている。

 まず押さえなければならないのは、
 給料についての認識である。
 
 辞書には事業主が使用人に対して払う報酬とあり、
 給料は会社からもらっているという認識が一般的だが、
 それは間違いである。
 
 給料はお客様からいただくものである。

 二つ目は、営業とは単に物を売りさばくことではない。

 お客様の問題を解決するソリューション・ビジネスで
 あることを心得なければならない。

 ドラッカーは企業の目的を顧客の創造と説いているが、
 これは営業にそのまま当てはまる定義である。
 駅前に立って一万円札を九千五百円で売ればどんどん売れるだろう。
 
 しかし一万円札を一万十円で売るのが営業である。
 そのためにはその価格に納得していただけるだけの付加価値を
 お客様に提供しなければならないのである。

 三つ目は継続力である。

 将棋で前人未踏の七冠を成し遂げた羽生善治氏は、
 「才能とは情熱や努力を継続できる力」とおっしゃっている。
 営業もコツコツと弛まぬ努力を続けた者こそが勝利を掴む。
 
 そこへプラス・ワンの努力を加えると、
 成功はより確かなものになる。

 例えばきょう予定していた十本の電話をかけ終え、
 さて帰ろうかという時に思い直してもう一本かけてみる。

 そのもう一本で注文がとれたりするものなのだ。
 一週間で五本、ひと月で二十本、
 プラス・ワンの努力の積み重ねは、
 いずれ大きな財産となって返ってくる。

 一所懸命努力していると、いろんな壁にもぶつかるだろう。
 しかしそこで立ち止まって悩んでいても物事は解決しない。
 行動してこそ物事は前へ動き出すものだ。
 
 そして迷ったらしんどいほうの道を選ぶこと。
 これを若い頃から鉄則としてきたことで、実力も養われ、
 運も味方にすることができた。

 全力疾走ができるのは若いうちだけ。
 このことを自覚して、とにかく自分の仕事に
 精一杯打ち込んでほしい。
 
 自分の入りたい会社に入れなくとも悩むことはない。
 実際、その会社が将来にわたって存続する保証は
 まったくないのだ。
 
 就社ではなく、本来の意味での就職へと頭を切り替え、
 縁あって入った会社で、与えられた職に全力を尽くし、
 その職においては一日も早くプロの域に達することである。

 私の義父は丁稚奉公からたたき上げて青果業で成功を収め、
 群馬県の業界理事長まで務めた人物だった。
 
 義父と酒を飲むと、いつも壊れたテープレコーダーのごとく
 
 
 「上見て励め、下見て暮らせ」
 
 
 と繰り返し言い聞かされた。
 
 理想を高く掲げ、辛い時には
 自分より苦しい立場の人を思って気持ちを切り替え、
 頑張ってほしいとの願いであった。
 
 その後決まって言われたのが次の言葉だった。