エゾシカ通信1号
土曜日, 4月 28th, 2012エゾシカ協会より、「安心」「安全」「美味しくてヘルシーなエゾシカ肉」でAAO通信が届きました。
両店舗の店頭に並べてますので、無料ですのでお読みください。
座談会、食べ所、買い所、もろもろ論説・・・・・気軽な読み物になっております。
エゾシカは地域を救う!!
http://www.yezodeer.com/ エゾシカ・サイトへどうぞ!!
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GW明けの11、12,13日は5月の感謝ディー。
その前日10日~13日まで、本店二階で「春のうさと展」を行います。
ここ2,3日で、一斉に春の気が北国にも押し寄せて来た感じです。
山菜も、日々種類と量が増えて来ました。
多数品数を揃えて、ヤンジーとアグネスがお待ちしております。
特に人気の高いインナー物を豊富に発注しますので、嬉しくなります。
やはり、皮膚に直に当たるモノの素材は健康や気分を左右します。
麻や綿で清々しい毎日を送りましょう。
3月の30日に訪問した「うさと京都本社」です。
烏丸の通りで、広いスペースでゆったりと楽しめます。
お近くの方は、どうぞお尋ねください。
寺田さんの葬儀場の控え室で休んでいた所、向こうから見知らぬ方から声をかけられた。
初対面、あのcobo株式会社、酵母研究一家の植田夏雄さん親子であった。
開口一番、エリクサー水の威力を矢継ぎ早に話され、こちらが目を丸くしてしまいました。
発酵がとにかく早く、しかもきめ細かく雑にならず。
そのステージごとに、最上の質を醸すなどなど・・・・・
そして、初めてフリーズドライ化に成功して、9月頃には販売されるとか。
片山さんにご紹介を受けたのが、1月。
早くも酵母の製品化になるなど、ビックリ!
全くの素人から始め、何の予備知識も先入観もないところから微生物の世界に入られたとか。
そこが、私ととても似ていて共感を覚えました。
息子さんも、とても研究熱心で、週4,5日は酵母の講演で、全国各地から集まるとか。
寺田さんと志を同じくする方々が多く現れ、多方面で活躍されているのですね。
嬉しく思います。
きっと、寺田さんも喜んで、いっぱい手を貸して下さるに違いありません。
植田さんのcoboのおはなし、これから詳しく知らされると思いますので、ご期待を。
21日(土)に、フォアベルク日本・アントン・ヤッチ社長が来店された。
ドイツ出身の親日派で、母国の誇る掃除機コーボルトを引っ下げて来日。
今や、全国を股にかけて、東奔西走の毎日。
川口支社長や磯さんの過剰(笑)な前宣伝に洗脳されて、相当期待されたご様子。
店に着かれるや、「ここの人や空気が素晴らしい」と第一声の外交辞令(スミマセン!お気を使わせて)。
しかし、商品群を見るや、かなりのオーガニック通に、はなはだ親しみを覚える。
ドイツは、なにせ世界一の環境国であり、オーガニックの最先端国である。
あのような表面お堅い理論武装家のようで、日本と共感する面が極めて多い。
世界の老舗の数は、日本に次いで二位のマイスター立国である。
技術や信用を第一とする。
また、バッハやベートーベンを、何処よりもこよなく愛する日本国民でもある。
いかにも、ドイツから発した掃除機コーボルトである。末永く息が長い。
じっくり構えて、行く末を俯瞰して行こう!
地下洞の見学を終え、ソフテで喫茶する。
ベーカリー・宮本くんの焼くオーガニック粉のライ麦パンをいたく絶賛!
ご自分でも焼かれるほど、パンには精通。
記念の一枚、はいパチリ!
この日のために、わざわざチーズケーキを作った大和さん。
これも旨い!と絶賛。確かに、誰が食べても唸る。
二人とも、本場の通に褒められ、大満足、大自信!
これも記念に、はいパチリ!
また、5月に来道、またお会いするのが楽しみです。
またまた、アーテスト福田が山の木々で、兜と刀を作ってしまいました!!
本当に器用なもんで、忙しいさ中、よくぞ作れるものぞ!と感心しています。
いよいよ週末からゴールデンウイーク。
5月5日は、節句で大和男子(おのこ)の日。
特別仕立てのケーキを用意しています。
寺田本家、啓佐さんの葬儀から帰って参りました。
同じ神崎町の永興寺で、しめやかに執り行われましたが、
小雨の中、全国から彼を慕う多くの方々が参列されました。
奥様の雅代さんのやせ細った体躯が、痛々しくお慰めする言葉にもなりませんでした。
祭壇に飾られた啓佐さんの写真は、Vサインのとても優しいまなじりでユーモアを湛え、
とても亡くなったとは思えないものでした。
焼香机に飾られてあった生前の写真を、雅代さんの許可で撮らせて頂きましたが、
彼の剽軽な明るく朗らかな表情が懐かしく、居ないことがとても不思議に思えました。
これも不謹慎ながら、彼の素晴らしい何とも言えない風格の漂う肖像画を囲んで、
ご家族の写真を撮らせて頂きました。
みなさん、どこまでも明るく清らかな聖家族であることに、感動してしまいました。
悲しみのどん底にいらっしゃるのに、微笑みを持って対せらるご様子に、
一層悲しみが深まります。
しかし、この写真で、私たちが癒されてしまいました。
啓佐さんが、天上で、いやすぐそこで、
「何を泣いているの、僕はここにいるよ!いないない、バーー」
とおどけているような気がします。
変なおじさんやバカ殿の仮装をして、みんなを驚かせるのが大好きでした。
「今度、みんなをビックリさせることをしたいね」と、何時も言っていました。
きっと、お蔵の微生物たちも、そんな彼が大好きで、楽しく働いて、五人娘を醸したのだ思います。
啓佐さんの遺した心の微生物は、みんなの心の中に移って繁殖し、今もなお増殖し続けています。
きっときっと、日本中に「啓佐菌」で満ち溢れるに違いありません。
その時こそ、彼の『発酵道』が完成されるのでしょう。
寺田本家は、これから寂しくなるどころか、ますます賑やかに、華やかになることでしょう。
それは、何時も輪の中心に啓佐さんが生きているからです。
周平 拝
さる4月18日、寺田本家23代目当主・寺田啓佐儀、安らかに永眠いたしました。
これまで大変お世話になった皆様にもきちんとご挨拶しないままに他界してしまった義父に代わりまして改めて御礼を申し上げます。
自分の思うがままに生き、好きなことを言っているのに、いろんなところで社長社長と皆様に持ちあげていただき、いつの間にか輪の中心になっている、父はそんな人でした。
皆様を愛して皆様に愛された人でした。「自分らしく・心地よく・仲良く」生きることが微生物の有るがままの姿であり、自然に寄りそうとはまさにそう生きることだよ」と常々申しておりました。
目に見えない微生物に生き方を学んだ父はまさに微生物のような生き方を体現していたんだなと思い起こされます。父はいろんなところにたくさんの種を蒔いて旅立っていきました。その種を育くみ、発酵させ続けていくのが残された私たちの役割であり、「発酵して幸せに暮らすお手伝いがしたい」と申しておりました父が残してくれた使命だと考えております。
改めて生前に父がいただいた皆様の温かいお心遣いに心より御礼申し上げます。
皆様のお役に立つ寺田本家として家族・蔵人一同精進してまいります。今後も変わらぬご支援を賜れば幸いでございます。ともに発酵してまいりましょう。ありがとうございます。
寺田本家24代目当主 寺田 優
昨朝、宮嶋さんから「寺田さんが亡くなられた」との訃報を頂いた。
「えっ、まさか!」信じ難い急報に、全国の知人に確かめたが、誰も知ってはいなかった。
だが、夕刻、寺田さんの近所の方から真相を伝えられた。
そして、22日通夜の日取りを聞かされ、初めて死の事実なるを悟った。
思えば、二人して講演するはずだった31日の前夜、電話した時、入院するとの決断された時だった。
3月のこうさきのお祭りに風邪を引いてこじらせたらしい。
ここ何年かの寺田さんの働きぶりは、発酵ブームと相まって、本人の意思では
止められないほどの勢いが加わって、無理に無理を重ねられたのだろう。
笑顔をいつも絶やさずにおられたが、体力的には限界を遥かに超えていたに違いない。
うれしきも、たのしきも、周りにはそうであっても、気を配りながらの人への思いやりは、
やはり、体力を蝕むほど、過労に過労が追い討ちをかけた。
発酵というゆったりとした時間の推移を見守る蔵元主人の勤めは、
ただじっと毎日、樽のそばを通りすがれば、良いものだったはずだ。
そうはのんびりさせてくれなかった世間の発酵ブームの火付け役として、
東奔西走する日々を悔やまれてならない。
(最後の姿となったお祭りでの「バカ殿」に扮した寺田さん。彼らしい優しさと笑いに、
悲しみが伝わる。上記三点の写真は、いずれも国際自然医学社の山司記者の撮影)
今朝の道新に、「老少不定」「みな同じ年」と仙厓さんが云ったとのこと。
あの震災で、老若男女皆歳を違えて、あの世に旅立った。
寺田さんには、まだまだ働いて貰わねばならない歳で、
そんな意味では、みな同じ歳の感を否めない。
燎原の火のごとく、今「国菌」なる麹ブームで、
日本が変わる良き前兆と思っている。
日本は、微生物から変わる。
小さき世界から革命が起こる。
そんな小さき世界に目を向けてくれた寺田さんの功績は、
後代、語り継がれるであろう。
天上にて、日本をみそなわされて戴きますようご冥福と、
寺田本家の益々の繁栄を祈りたいと思います。
『致知』2012年4月号
特集「順逆をこえる」より
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【記者:部屋の額縁に収められている
「情熱に勝る能力なし」というのは、ご自分で書かれたものですか】
そう、これは座右の銘。
私の思い描くリーダー像でもあるんです。
45、6歳の時に土光敏夫さんの本を読んでいて
浮かんできたのがこの言葉でした。
その本には、要するに頭がいいからリーダーになる
というのは限界がありますよ、ということが書かれていました。
なぜか。
頭のよさで勝負しようとすると、
人間の性で自分より優れた人間を蹴落とそうとするんですね、
片方では優秀な人材が欲しいと言っていながら。
これは大なり小なり人間誰もが持つものなんだと思います。
では土光さんはどう言っていたかといえば、
能力ではなく、情熱を争えと。
つまり誰よりも会社を愛して、
そして常に全力投球で会社に命を懸ける、というくらいの
情熱を持つ人こそがリーダーとして最も相応しいということです。
この時ですよ、あぁそうか、
情熱に勝る能力はないなと心底思ったのは。
だから情熱がなくなったら私は社長を辞めますよ。
その代わり情熱が続く限りは頑張る。
だってそれが会社のために一番いいと思いませんか。
本当に命懸けなら会社が順調な時はもちろん、
逆境に立たされたとしても体を張って守る覚悟ができているんだから。
年が若いから地位を譲るとかそういうのは一切関係ない。
ただしもし仮に私よりも情熱溢れる人が現れたら、
その時はその人が社長になるべきだと思います。
「森下自然医学」5月号が、昨日届く。
開くと会長の「巻頭随想」に、20011年3月11日・・・・との題がある。
当日当時、会長は羽田上空の機中で着陸待機。
着陸後、大混乱の空港内。交通網は全面ストップ。
頼むはTAXIのみ、その列500番を数える。
しかし、夜間と寒さとひもじさで次々とみな脱落、5,6番目になるに十数時間に及ぶ。
ついに、早朝に至りて土曜診療に間に合うを得たり、と。
以前から聞いていた話ではあるが、その簡にして妙を得た達文に感銘。
文語体と旧字体と俳諧調の絶妙な味わいは今日見れるものではない。
後世遺したい文体文章である。
そして、80歳を超えて、なお矍鑠とした体力・気力は驚くばかり。
若き頃、食うものも食えずの学徒動員の鍛錬の賜物とおっしゃられる。
見習うこと久しくして厳なるものがある。
昨年、中国ルーカオにご一緒した世界長寿郷視察。
再び、5月27日から6月1日まで「国際自然医学・海外大学講座」が開かれ、
ただいま、参加者募集中です!!!
都市型長寿郷のモデルを視察して、わが町わが村を長寿郷にしてみませんか。
シリーズ「食を支える人たち」で寺田本家さんが紹介されました。
3.18に行われた「発酵の里 こうざき酒蔵まつり」が開かれ、
6万人が内外から集まったとのこと、驚きますね。
第二回目の「倭詩/やまとうた」は「吾は汝(な)を引き、汝(なれ)は吾(あ)を選(よ)る」という一文。
中国古琴、「幽蘭」との出会いとある方のその研究等々を書き、
縁生の不思議さを綴ったものです。
みなさま方々との出会いは、家族に再会したようなもの、
出会いを大切に育ててゆきたいものですね。