千葉 恵弘
(石巻の避難所「明友館」リーダー)
『致知』2012年5月号
特集「その位に素して行う」より
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その日僕は石巻の実家に戻り、
母との食事を済ませてのんびり過ごしていました。
そんな中で突然これまで経験したものとは
桁違いの大きな揺れが起こって。
ただ、津波に対する意識は石巻の人には
ほとんどなかったと思うんです。
あのチリ地震(1960年)でも
津波は町に入ってこなかったといいますから。
とにかく丈夫で倒壊のおそれがない所に
逃げ込みたいという気持ちだったと思います。
明友館は石巻市不動町にある勤労者余暇活用センターという
施設の呼称で、当時10名ほどの職員が勤務していました。
指定避難所まで行くには1キロ以上の距離があり、
お年寄りには負担が大きい。
町内では倒壊による二次災害を避けるため、
明友館に逃げ込むよう我われが誘導していきました。
そんな感覚でしたから、あの津波が実際に上がってきた時には、
もうまさか! という感じでしたね。
建物の周りに津波が押し寄せる、瓦礫が流れ込む、
人が流されてくる……、
建物から覗ける範囲の視野でしたが、
水がじわじわ上がってきて、
1階にいた人が津波に追われながら駆け上がってくる。
ただ、いま自分の目で見ていること以外にはなんの情報もなく、
これが嘘か本当かも、何を信用していいのかも分からない状態でした。
その時、明友館には約140人避難民がいて
うち120人ほどはお年寄りでした。
それこそ足元もおぼつかないようなお年寄りで、
動けるのは10数人程度。
しかも明友館は指定避難所ではないため、
ラジオもなければ携帯電話も通じない。
食べる物も飲む物もなく、
とにかくそこでじっとしているしかない。
体を伸ばせるスペースもなかったので、
ギュウギュウ詰めで皆、三角座りをしていました。
※千葉氏はこの状況から、いかに避難所を運営し、
不安に怯える避難民を統率していったのか?
詳しくは『致知』5月号(P38~43)をご覧ください。