「岡潔先生から学んだこと」
火曜日, 5月 8th, 2012
占部 賢志 (中村学園大学教授)
『致知』2012年6月号
連載「語り継ぎたい美しい日本人の物語」より
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岡潔(おか・きよし)先生は、なつかしさの感情が
日本民族にとっていかに大切なものか、
心魂を込めて説いてやまなかった方でもあります。
ある時はこんなふうに言われました。
「ともになつかしむことのできる
共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、
たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか」
(『春宵十話』)
この「なつかしさ」については、印象深い思い出があります。
時は昭和四十七年、筆者が大学一年生の時です。
博多で開かれていた市民大学講座に岡潔先生がお見えになり、
特別講演をされたのです。
登壇された先生の白髪痩躯(はくはつそうく)の姿を
目の当たりにして息を呑みました。
隆々とした白い眉も印象に焼き付いています。
椅子にお座りになって講演を始められると、
何やらポケットから出される。
一本の煙草でした。
これを両手でいじりながら話が進む。
机の上には中身がこぼれ落ち、
先生は時々それを手のひらで掬われるのです。
演題は「日本人と『情』」というもので、
日本的情緒の恢復(かいふく)を語った珠玉の講演でした。
まず、自分とは何かが分からなければ
何事も始まらないと先生はおっしゃる。
そして、こう断言されたのです。
「日本人は情を自分だと思っている民族です。
だから、どんなに知的に納得しても、
情が納得しなければ本当には納得しないのです。
いいこともいけないことも、情に照らせば分かる。
これが日本人の道徳です」
こんなことを聞いたのは勿論初めてです。
偉大な数学者が知ではなく
「情」が大切だと言うのですから、びっくりしました。
それだけに、この時の印象は今も鮮やかに胸に刻まれています。
「日本の古典をお読みなさい」
独特の淡々とした口調で、いよいよ話は佳境に入る。
人には表層意識と深層意識の2つがあり、
日本人は本来、深層意識が基調となっていたはずだが、
今は表層意識が中心になってしまったとの指摘でした。
先生によれば、「なつかしい」という感情は
深層意識から生まれたものだそうです。
たしかに西洋人も「なつかしい」とは言うが、
過ぎた昔がなつかしいという意味で使うに過ぎません。
しかし、日本人は違うのだと言って、
次のような例を挙げられたのです。
「たとえば芭蕉に、秋深し隣は何をする人ぞ、
という句があります。
あれは隣の人を知らないから、なおさらなつかしい、
そういうふうに使っているのです。
ところが今、この日本人本来のなつかしさの感情が
衰えてしまったのではありませんか」
旅先で襖一枚隔てた見ず知らずの他人、
そこに寂寥感を覚えるのかと思えばさにあらず、
むしろなつかしさを感じるのだとおっしゃるから、またまた驚きでした。
じつはこの時、筆者は少し考え込まざるを得ませんでした。
先生が強調される、「なつかしさ」の感情を
捨て去るような少年期を送って来ていたからです。
小中学校時代、父の仕事の関係でほぼ一年に一校ずつ、
西日本各地を転校しましたから、
なつかしさの元とも言える故郷は筆者にはありませんでした。
そこで、質疑応答の時間に思い切って手を挙げ、
どうしたらなつかしい感情が磨けるのか、質問に及んだのです。
先生は言下にこう応じられました。
「君にもなつかしさを育てる道はあります。
日本の古典があるでしょう。その古典が君のふるさとです。
古典をお読みなさい。
そうすればきっと、なつかしさとはどういうものか分かります」
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以前のブログで、岡先生のことを書いたことがあります。
NHKのアーカイブスで映像が見られます。