まほろばblog

Archive for 7月, 2012

独特な味わいと香り

火曜日, 7月 24th, 2012

 

久し振りの「ti-tie/チッチ」の試作である。

今回は乳50lくらいの、店としては大量の処理であった。

本当に、不思議なのだが、エリクサー水を入れただけで凝固するのみならず、

独特の芳香を放つ。

たまさか、今日、共働学舎の宮嶋さんがいらして、見てもらったが、

ヨーロッパのスターターやレンネットでは出せない濃い味わい、

エリクサー特有の凝乳酵素で、それが醸し出される、という。

商品化に向けて、始動したいところですが。

能楽鑑賞会

火曜日, 7月 24th, 2012

今朝、西区民センターの藤垣館長から、能楽鑑賞会のお知らせを受けた。

今年で三回目であろうか。

その経緯は、下の氏の添え書きを読んで頂きたい。

彼は、若き日、世界ギタリストコンクールでグランプリを獲得したほどの腕を持ち、

その後、キタラコンサートの辣腕プロデューサーとして世界を飛び回り、

名立たる演奏家・オーケストラを招聘して来られた実績がある。

その彼が、再びギター演奏に復帰して、精力的に練習と録音とコンサートを開いている。

そして、最近、あのセゴビヤやジョン・ウイリアムズの両達人が、

どうして達人でいられるかを悟ったという。

それは力を抜く、脱力にあったという発見である。

全ての芸道や武道にも言えることであろう。

老子も虚や無について道を語る。

柔弱の徳こそ、至徳であると。

芭蕉も、最後は軽みである。

声も引き声を大事とする。

軽くなって、人生は再びと開く。

琴似神社の能楽について・その経緯

 

平成22,年4月 西区民センター館長についた。 

西区には住むまちとして特別な魅力がある。

区役所、区民センター、学校、保育園、交番、高齢者福祉施設等の公的施設を始め、

神社、寺、商店街、飲食店、病院、ライブハウス、演劇空間、

そして便利な交通手段に恵まれている。

僅か1㎞四方に、こけだけ多様な都市機能が集中する地域は珍しい。

琴似本通を隔て、区民センターに正対する琴似神社は、

夏秋のお祭りは勿論、初詣などで古くから地域の人々に親しまれ、

この町に独特の潤いを与えている。

赴任して間もない頃、中門の向こう御社殿の手前に、西陽にひかる光る樹木が見えた。

惹きつけられるように近づくと、

それは参道の中心に植えられた低く刈り込んだ松の木だった。

新芽が陽の光にさらされ黄緑色に輝いていた。

御社殿が後方に建て替えられた際、嘗て神様を祀ってあった場所を参拝客に迂回して

頂くめに、先代が植えた松である。

今の宮司が幼少のころは、まだまだ小さい松だったという。

松の木のある境内に立つと、お能のことが頭をよぎった。

開拓者の多くは本州から移住し、厳しい自然と闘うことを余儀なくされた。

持ち込むことが難しかった文化を、呼び寄せることができたらいい。

琴似神社は、まさに格好の場所だと思った。

その足で宮司にお会いした。

区民センターの事業としてお能を開催できないかを尋ねた。

宮司は直ぐに「琴似神社をそのようにご覧いただけたことは、たいへんうれしく思います。」。

そうおっしゃった。

その夏から、境内に仮設の能舞台をしつらえ能楽を開催した。

今年の夏も薄暮に包まれる頃、宮司が御社殿から火を運び、

能舞台の提灯に灯す。能楽の開演である。

 

平成18年度から札幌市でも指定管理者制度が施行された。

西区民センターの運営も私ども民間の経営に委ねられている。

施設を広く市民に利用して頂くことは勿論だが、

運営を通して微力ながら西区のまちづくりのお手伝いができないかと考えている。

 

地域の人々が、いながらにして楽しめる文化を醸成していくことが

このまちには似合う琴似神社の能楽は、演ずる人も、

会場を設営する人も、観客も全て地域の人々である。

ささやかな手作りの事業ではあるが、このまちの風物詩になることを夢見ている。

 

「老松(おいまつ)」という能の演目がある。

大宰府天満宮に参詣した主人公が、松の木陰で旅寝をしていると、

松の精が現れお告げを受けるという話である。

琴似神社の能楽は、

西陽に輝き私を引き寄せた松の精が導いてくれたものかもしれない。

                                                    西区民センター館長 藤垣秀雄  

                                                                  平成24年6月15日

 

なお他のサークル活動の方々を含めて、

公演の様子もNHKTVで放送される予定です。

放送日は8月28日午前11:30~12:00 「つながる@きたカフェ」です。

ささやかですが、西区の新しい流れになればと思っています。ご支援ください。

50℃洗い

月曜日, 7月 23rd, 2012

ソロモン流に出演されたタカコ・ナカムラさん。

そこで、一番反響があったのが、お目当ての「塩麹」でなく、

実は、低温湯煎スチーミングの場面だったそうです。

早速、出版社から依頼があっての本作り。

早いですね、もう出来上がりです。

きれいなカラー刷りで、読み易く分かり易い内容。

まほろばでも、取り扱います。(¥1000)

「43℃の不思議」という水の変性臨界点なるものがあって、

その温度を境に、水の気質が一変するんですね。

ちょっと理屈は難しいのですが、一つの水が

0℃で氷になり、100℃で水蒸気になる。

地上の物質で、これほど不思議な物体はありません。

当社の小冊子「生命の角度」をお読み下さい。

それと同じように、野菜や魚肉類も、50℃で、

シナッと、萎れると思いきや、

パリッと、イキイキと採り立てのように再生され、

しかも長持ちするという、不思議な話。

平山一政さんが発見した低温スチーム法です。

煮沸直前状態で、腐敗菌を抑え込む効用もあるのでしょう。

それ以下だったら繁殖し、それ以上だったら死滅するギリギリの温度。

これは、今に始まったことでなく、花卉やさんで使われる手法。

切り花の根っこの部分を、熱いお湯で処理すると随分長持ちします。

野菜も花も、色目がパッときれいになり、食味も引き立ち、日持ちもする。

一挙何得にもなる画期的な手法で、あらゆる業界で使える簡単便利な方法なんです。

例えば、調理現場では、次亜塩素酸で消毒する必要がなくなるので、

加工品や調理場で、食の安全性が確保できますね。

特に給食に役立てて欲しいですね。

機械道具が要らないので拡がることでしょう。

ただ、まほろば的立場からは、

50℃までに生息する低温中温の菌や酵母などの有用微生物群もあるわけで、

すべて鮮度をよく見せるために、一緒くたに同じ手法で殺菌するのはいかがかと思う。

やはり生は生ならではの酵素もあり、場面に応じて使い分けるのが知恵でしょう。

まほろば農園の採り立て野菜は、出きるだけ生のまま食して欲しいですね。

もちろんアク抜きして調理すべき野菜は別ですが。

でも、今まで知らなかった50℃の不思議。

活用したいものです。

「震災の日の教え子たち」

月曜日, 7月 23rd, 2012

        

大友研也(福島県立長沼高等学校硬式野球部監督)

                『致知』2012年8月号
                  連載「致知随想」より

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その日、福島県立四倉高校の職員室では、
入試結果を判定するための会議が行われていた。
私が監督を務める野球部は昨年3月11日が練習試合の解禁日で、
そのための準備をちょうど終えた時だった。

異常なほどの激しい揺れを感じた瞬間、
グラウンドの地面が真ん中から裂け、
これは只事ではないと直感した。

直ちに大津波警報が発令され、
指定避難所である当校へ近隣の住民が駆け込んできたものの、
実際にどんな津波が来るかは見当もつかない。

野球部員たちは泣きじゃくる子供たちを抱え上げ、
懸命に宥めていたが、気がつくと
津波は目の前まで迫ってきていた。

まるで映画の一コマのように、
路上のマンホールの蓋が開き、
向こう側からスポーンッ! スポーンッ!
と順に飛び上がっていく。

幸いにも学校の入り口付近が坂になっていたため、
校内まで浸水してくることはなかったが、
私は交通整理や避難所の手伝いに追われ、
選手たちのほうにまったく目を向けている余裕がなかった。

彼らと離れる際、

「落ち着いて動かずにじっとしているように。
 家族の方と連絡がつき次第、家に帰ってもよい」

と伝えたが、気がつくと部員たちが自主的に

「こっちに逃げてください」

とお年寄りや子供たちに声を掛け、
3か所ある避難所へとそれぞれ誘導してくれていた。
途中で保護者の方数名が迎えに来られたが、

「皆がまだ頑張っているから」

と誰一人帰ろうともせず、
午後11時頃になって一段落するまで
ずっと物資やストーブの運搬などに当たっていた。

私はこの日の体験を通じて、人間は我が身が危険に晒されると、
本性が出てしまうものだと痛感した。

自分のことしか考えられず、
立ち入り禁止区域へ強引に踏み入ったり、
高台の道路へ飛び出して危うく轢かれそうになっている人たち。

一方、部員の中には自宅を流されてしまった子もいたが、
誰一人家族の元に戻りたいとは口にしない。
私のいない所でも、服の濡れたお年寄りに
自分のジャージを脱いで着せてあげるなどして喜ばれた、
といった話を後になってから聞いた。

あの大変な状況の中で、よくぞ周りの人のことを思い、
一所懸命働いてくれたという気持ちで胸が一杯になった。

思い起こせば、私が四倉高校に赴任したのは
6年前の30歳のこと。

最初は野球部とも呼べないような初心者ばかりの集まりだったが、
なんとか彼らをその気にさせてやりたいという思いで一杯だった。

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生きるために私は食べない

日曜日, 7月 22nd, 2012

   森美智代 (森鍼灸医院院長)

       『致知』2012年8月号
          連載「致知随想」より

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「生きることは食べること」

という言葉を聞いたことがあります。
人間は食べ物から栄養を摂り、エネルギーを得ている。
だから人は食べないと生きていけないと。

しかし、私は17年前から食べることをやめました。
いまは1日1杯の自家製青汁を飲むだけの生活です。
それでも私は生きています。
いや、だからこそいまも生きていられるのです。

体に異変を感じたのは、短大を卒業して
大阪府の養護教諭になってから半年くらい経った頃でした。

「なんか最近よく転ぶなぁ」と思っていましたが、
そのうち地面が急に上がったり下がったり感じるようになり、
数歩歩けば転ぶ状態に。仕事は続けられなくなりました。

大阪の名だたる病院をいくつも訪ね、検査を重ねた結果、
「小脳脊髄変性症」であることが分かりました。
10万人に5~10人の割合で発病するこの病は、
現在もはっきりとした治療法が見つからない難病です。

病名さえ突き止めれば治る方法があるだろうと思っていた私は、
小脳が溶けてなくなること、そしてこれまで
この病を完治した人がいないことを聞いて
絶望的な気持ちになりました。

その時、私はある人のことを思い出しました。

断食と生菜食を中心にした治療法によって
数々の難病患者を蘇らせてきた甲田光雄先生の存在です。

私は高校生の時、叔母に誘われ先生の健康合宿に
参加した経験がありました。
人は食べなければ死ぬと思っていた私は、
断食と少食によって難病が治るという甲田先生のお話に
目から鱗が落ちる思いがしました。

「よし、あの先生のところに行ってみよう」

甲田医院を訪ね、大学病院での診察結果を伝えると、
先生は私のお腹を診ています。

「私は小脳の病気なんだけど」と不思議に思っていると、
「宿便がいっぱいたまっていますね」と。
そして「断食と少食でよくなります」と言ってくれました。

治らないという西洋医学のお医者さんより、
よくなると言ってくれる甲田先生についていこう。
そして、私が小脳脊髄変性症の完治者第一号になろう。
そういう希望が生まれました。

甲田療法は食事療法と毛管運動や背腹運動などの
体操を組み合わせて行います。
私の場合、ひどい時は這ってしか
トイレにも行けない状態でしたので、
体操は調子のいい時だけで、メインは食事療法です。

朝食を抜き、食べる量を減らして少食にしながら、
こまめに断食を実践していきました。

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新価格表!!!

金曜日, 7月 20th, 2012

 

価格表できました!

 (編集部 島田)

お待たせしました。約二年ぶりに価格表を改定いたしました。

二年も経つとずいぶん内容も変わるもので、以前あった商品がなくなったり、新しい商品もずいぶん増えました。
本当は一年に一度は発行したいところですが、今後の課題とさせていただきますね。

今回の目玉は、18年ぶりに再掲載した、「0-1テストの試論」です。

18年前の1994年、ちょうど僕が(鮭の様に)本州を回遊し北海道に引き上げてきて、まほろばに拾ってもらった(笑)年が創業10周年記念祭直後の今頃でした。早いものですねぇ~。(…しみじみ)。

その時に手渡された白い表紙の価格表に、その超難しい論文(?)が掲載されていました。初めて読んだとき、分かったような分からないような、結局やっぱり分からない?! 

その後、しばらく価格表には掲載されていませんでしたが、今回めでたく再掲載することにいたしました。

今読んでも充分難しいですが、18年(一番最初に掲載された価格表から数えると20年以上でしょうか)経っても、尚、内容は見劣りするどころか、未だに科学はそこまで追いついていない印象です。皆様、ぜひご覧くださいませ(頭の体操になりますョ)。

価格表が不要な方のために、「0-1テストの試論」だけでもプリントできますので、必要な方はお申込みください。

「森下自然医学」8月号 『たて汝し 国の防人』

火曜日, 7月 17th, 2012

 

『森下自然医学』8月号が発刊されました。

ひと月が早いですね。

今月の会長の巻頭言が「徐福伝説」で、大変興味深いものです。

老若男女の童男童女の童とは?についての考察。

面白い!文献をどう発掘し、どう探求されるのであろう。

新説がきっと、発表されることと思います。

弥生人の大挙、日本に押し寄せたのは他ならぬ揚子江沿いの稲作人だったのだ。

この5月に、再び訪れた長寿都市ニーカオ。

更なる森下会長の調査研究で、日中友好の架け橋になることを祈りたいです。

今月号は「蹶(た)て汝(いま)し、国の防人(さきもり)」と題して、国家防衛のことを。

この北海道はじめ北方領土を露国からの侵略にたいして防御し続けて来た歴史が、

なんと1500年以上もあったことを、私達は知りません。

それほど、先祖が苦闘の中で、守り続けてきた祖国。

今、各地でそれが脅かされています。

それを守らなければならないのは、他でもない私達自身なのです。

そこの辺りを、詩を綴りながら書いてみました。

是非、お読み下さいませ。

ボランティアの皆様、ありがとうございます!!!

日曜日, 7月 15th, 2012

                                  (仏画の国井さん)

まほろば自然農園の繁忙さは、夏の暑さに向かい、

いよいよ本格化、福田チーフに言わせると、「熊の手」も借りたいほどです。

ご存知のように、連続赤字農園を継続するには昨年で限界に達していました。

これ以上人件費を経営的に投入することが出来ず、今年から極少体制でやっています。

その困難さを聞きつけてか、ありがたいことにボランティアの方々が少なからず、

名乗りを上げて、お手伝いに来て頂いております。

ありがたいことです。

土日祭日には、例年の佐々木さん、桶谷さんが遠くより

早朝から助っ人にいらしてくださっています。

また店の常連さんの斉藤さんは、子供さんを学校に送りに行った後、

東京から転居された榊原さんも毎朝のように、手伝って戴いております。

また、エッセイーを書かれている土井さんや、仏画作家の国井さんも、

ご都合に合わせて、遠路はるばる初めての農作業に精をだして戴いています。

その様子が、今月の「まほろば農園便り」に書かれていますのでご覧になって下さい。

http://www.mahoroba-jp.net/farm/tayori/nouendayori201207.html(まほろば農園たより7月号)

そして今朝は、大貫妙子さんが早朝から、ホーレンソウや大根の雑草抜きをして下さいました。

毎年、秋田の水田で除草作業をしているので、その手際の見事さには、ビックリしました。

また、ニューヨークで極真空手(誠道塾)を習っていたので、腰がビッシと決まって

安定してブレがないんですね。

ご自分でも、田圃の草取りに比べて、楽々とおっしゃっていました。

作曲や演奏活動に響かないですか、と問うと、今は充電期間なんだそうです。

そのお言葉に甘えまして、時間のある時は、お願いしたいと思っています。

とにかく、草取りの間、いろんなお話が聞けて、最高に楽しい時間でした。

音楽のこと、人生のこと、もろもろ・・・・・・・・・・

どうして、浮き沈みの激しい音楽業界の中で、生き残ったかは、

やはり、売ること売れることではなく、真実を求めたい、真実を表現したい、

との一心だったからではないでしょうか。

あっつ、そうそう、こんなことバラしていいのかな、でも公言しているということで・・・・・

坂本龍一さんに、この世の中で一番怖い人は?と聞くと、すかさず、

「大貫さん!!」と答えられるそうです。

世界の教授から、怖がられている方だったんですね。

それは、妥協を許さず、道を厳しく求められているその姿に、

誰もが襟を正されるからだと思います。

「まほろばの食養思想」北千住で

日曜日, 7月 15th, 2012

昨日の14日(土)にと題して、

つくばの田頭純子さんのフットmom主催の専務の講演会が

北千住の「シアター1010」で開かれました。

3月につくばで同講演をしましたが、東京の方からも要望があり

「糖と油について」のより詳しい内容で、自然食志向の方には

衝撃的な内容となり、良い機会となったとの報告を田頭さまより頂きました。

    

JWT/ジョンソン・ウインターズ・ティーの石川社長はじめイオスの会員の方々も

多数参加され、見晴らしいい会場で、天気もよく、大成功裏に終えたとのことです。

9月の感謝デーで、またジェイソン・ティーの試飲会を開くことになり、

さらにJWTとの思いがより接近したように感じます。

石川社長も、これから北海道に力を注ぐということですので、

大いに期待し、互いに切磋琢磨して行きたいと思います。

田頭さまの労には、何時も感謝申し上げます。

ありがとうございます。

大貫妙子さん、まほろばへ

土曜日, 7月 14th, 2012

あの大貫妙子さんが、昨日まほろばにいらっしゃいました。

http://onukitaeko.jp/

これで、じつは二回目なのですが、不思議なご縁で繋がったんですね。

(詳しい経緯は、これからぼちぼちお話しします)

彼女は、秋田でお米を作っているほど、農業が大好き。

何か土に触れている時が、一番平安で幸せで、何物にも代え難いそうです。

そんな大貫さんですから、前からまほろば農園を訪ねたくて、

昨日、とうとうお越しになられました。

私も、以前から彼女の隠れファンで(これも、後ほどお話しますね)、感激でした。

彼女も、札幌が大のお気に入りで、特にここの山間部を気に入って下さったみたいです。

ここは都会の中の桃源郷で、丁度彼女の歌のように、

洒落たパリの街角の洗練されたセンスと田舎の古朴な味わいが、

絶妙にマッチしたステキな時空が、札幌の街には流れているんですね。

ちょと農園の野菜を差し上げたら、それこそ大喜びで、少女のようにはしゃいで、

朝のお味噌汁(「へうげ味噌、美味しい!」って言って下さいましたよ)に入れたり、

サラダにして食べたりで、本当の一汁一菜が何よりの好物なんですね。

共感するところが沢山あって、とても一回では語り尽くせないですね。

農園にも、援農ボランティアで来て下さるということで、嬉しくなりました。

人手不足で、とてもありがたいナァーと、感謝です。

まほろば農園で、ミニコンサートが開けたら、どんなにかいいでしょう。

でも、これは夢の中にしまっておきましょう。

大貫さん、またおこし下さいね。


(ライブ +坂本龍一さん 『色彩都市』)