生きるとは・・・・・・・・・・・
木曜日, 7月 5th, 2012 人生に人生の意味を問うのではなく、
人生のほうが俺たちに生きる意味を問うているんだ。
生きるとは、その理由を見つける責任がある。
アーサー・ホーランド(牧師)
『致知』2012年8月号
特集「知命と立命」より
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青春時代は喧嘩と柔道に明け暮れて、宗教嫌いを公言する。
人呼んで「不良牧師」ことアーサー・ホーランド氏。
暴力、虐待、ドラッグ、引きこもりなど、
多くの人々の人生の闇を受け止め、神の光を与えてきた。
「なぜ俺が宗教が嫌いなのか。
ユダヤ教徒たちは救いの主メシアを求めながら、
目の前にメシアが来たのに、
悪魔呼ばわりして十字架に磔(はりつけ)にし、
イエスを殺してしまった。
結局、神は宗教に殺されたといえる。
人間はある境地を究めようとする時、
皆人智を超えた大いなる存在(=神)を感じるようだ。
芸術家も、研究者も、経営者も、大きな仕事を成し遂げた時、
“自分ではない大きな力を感じた”と言う。
俺が牧師として伝えたいのはそういうこと。
信じているものが自分を魅力的にし、
周囲を幸せにしていくものであればOKだけれども、
逆に可能性を閉ざし、
周囲に押し付けていくのは神の意思ではないと思うのだ」
神との邂逅を得て、神とともに人生を歩んできた
アーサー氏はこう語ります。
「人は皆、偶然に生きているのではなく、
生かされる理由があると思う。
しかし、その理由は誰かが与えてくれるものではない。
人生に人生の意味を問うのではなく、
人生のほうが俺たちに生きる意味を問うているんだ。
生きるとは、その理由を見つける責任がある」
やりたいことが見つからない……。
そう言って自分探しをする若者が増えているといいますが、
生きる意味は漠然と人生を歩んでいるうちに
天から与えられるものではない。
むしろ、私たち一人ひとりが
知命と立命とによってどんな人生を送るのか
天のほうが見守っていることを教えられた一言でした。
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