「母親の愛について想う」
水曜日, 8月 1st, 2012徳増幸雄(福岡県警元総務部長)
『致知』2012年5月号
致知随想より
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私が福岡県のC警察署で署長を務めていた
平成18年の出来事です。
管内の山中で30歳代の女性の自殺遺体が
発見されたとの報告を受けました。
家出人捜索願が出ていたので、すぐに身元が判明しました。
その方は家庭内の不和で、悩んだ末に
幼い2人の娘さんを残して家出、
マイカー内で練炭自殺を図ったのです。
警察は、医師が看取った遺体以外、病死、自殺、事故死など
すべての遺体を検視しなくてはいけません。
犯罪の疑いがある場合は司法解剖をします。
核家族の増加により一人で亡くなる方も増え、
私たちの管轄する地域でも年間300体以上を検視してきました。
綺麗な遺体ばかりではありません。
焼死体、轢(れき)死体、腐乱死体、水死体など
思わず目を覆いたくなるものもありますが、
刑事たちは礼を失することなく淡々と検視に当たります。
検視のたびに感情移入していていては
PTSD(心的外傷後ストレス障碍)になってしまいますし、
冷静さを失えば犯罪死体を見逃すことになりかねないからです。
警察官は誰に教わるともなく、心に鎧を着せて、
この辛い仕事と向き合うことを覚えていきます。
ところが、この練炭自殺を図った女性を検視した時、
いつも冷静な刑事課員たちの様子が少し違いました。
皆目を真っ赤にしているのです。
いぶかしく思った私は、責任者の係長に
「どうしたんだ」と聞きました。
「署長、これを見てください」
刑事係長は、女性の遺体とともに発見された
1枚の写真を差し出しました。
遺体発見直後、女性が右手に何かを
力強く握りしめていることに気づいた刑事課員が
硬直した指を広げると、ビニールに丁寧に包まれた
プリクラ写真があったといいます。
そこに写っていたのは、自殺した女性と
2人の娘さんの笑顔の姿だったのです。
「このお母さん、いったいどんな思いで
死んでいったのでしょうか」
係長は泣きながらそう説明しました。
刑事も自分の子や母のことを思ったに違いありません。
1枚の写真が刑事たちの心の蓋を外してしまいました。
私もその写真を見た途端、すべてを理解し涙が溢れました。
私は
「このことをご遺族、とりわけ2人の娘さんには
必ずお知らせするように」
と指示して遺体安置室を出ました。
自分たちを置いて家出をしたお母さんを
恨んでいるかもしれない娘さんたちに、
少なくとも母親が子供たちのことを思いながら
死んでいったことを知ってほしいと思ったのです。
※全文は『致知』5月号をご覧ください。