まほろばblog

Archive for 9月, 2012

巨人優勝の陰に「五日市金言」が

火曜日, 9月 25th, 2012

 

宮下社長さま                                    

 素晴らしい著書『倭詩』を送ってくださり、ありがとうございます。

本書のところどころにすごい金言が隠されており、ワクワクしながら読ませていただきました。

我が家の家宝とさせていただきます。

ところで、おととい こんな記事をみて驚きました。

よろしければ、ご覧下さい。

                             

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120922-00000046-sph-base

                                五日市 剛

◆原監督を支えた五日市剛さん(工学博士)の「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」 今年4月に知人に紹介され手にした。五日市さんがイスラエルに旅をした際、1人のお年寄り女性に出会い、たとえ事故を起こしたときでも「ありがとう」と言いなさい、と学んだ。「イヤなことが起こるとイヤなことを考えるでしょ。そうするとね、またイヤなことが起こるの」と気持ちの負の連鎖を説いた。そこで「ありがとう」と言うことで「不幸の鎖が断ち切れる」と言われたという。

塩瀬総本家の家訓 2

火曜日, 9月 25th, 2012

創業663年の歴史を持つ
     塩瀬総本家の家訓     

                『致知』2012年10月号
                 特集「心を高める 運命を伸ばす」より
             http://www.chichi.co.jp/monthly/201210_pickup.html#pick4

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【今日一日の事】
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  一、今日一日三ツ君父師の御恩を忘れず不足を云ふまじき事

  一、今日一日決して腹を立つまじき事

  一、今日一日人の悪しきを云はず我善きを云ふまじき事

  一、今日一日虚言を云はず無理なることをすまじき事

  一、今日一日の存命をよろこんで家業大切につとむべき事

右は唯今日一日慎みに候。
翌日ありと油断をなさず、
忠孝を今日いち日と励みつとめよ。

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【崋山先生の商人に与へたる教訓】
 (渡辺崋山の遺訓を教訓として家訓としたもの)
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  一、先づ朝は召仕より早く起きよ

  一、十両の客より百匁の客を大切にせよ

  一、買人が気に入らず返しに来たら売る時よりも丁寧にせよ

  一、繁盛するに従つて益々倹約せよ

  一、小遣は一文よりしるせ

  一、開店の時を忘るな

  一、同商売が近所にできたら懇意を厚くし互に励めよ

  一、出店を開ひたら三ヶ年食料を送れ

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私どもにも代々守り継がれてきた家訓がありましてね。
それが「今日一日の事」と「崋山先生の商人に与へたる教訓」です。

いずれも31代の渡辺利一が以前より聞かされていた
渡辺崋山先生の遺訓を教訓とし、家訓としたものです。

どの教えも老舗の暖簾に安住せず、
常に我欲を捨て商いにのみ専心せよと説いたもので、
いま読んでも商人としての心得が通じていることを感じます。

特に「繁盛するに従つて益々倹約せよ」は、
母がしょっちゅう申していた

「いい時はいいように、
 悪い時は悪いように暮らしていけばいい」

という言葉にも通じます。

悪い時は慎ましくそれなりに暮らしていく。
自分の代に沈むことがあっても、
必ず後に浮く時がくるのが世の常なのだと。
だから物事は長いスパンで考えることですね。

逆に「いい時はいいようにやっていく」のも大切で、
沈む時に備えてものを蓄えておきなさい、ということでしょう。
まさに「繁盛するに従つて益々倹約せよ」です。

仏教に「無常」という言葉がありますが、
やはり世の中はいつも同じであるわけがない。
だから調子がよくても驕らず、
沈んでも必ず浮く時が来るという信念を持って
取り組むことが商売をやっていく上で大事なことですね。

佐治晴夫先生と

月曜日, 9月 24th, 2012

あの「ゆらぎ理論」を、世に知らしめたと言えば、佐治晴夫先生。 

そのご講演が、山の手の浄国寺さんでお彼岸に開かれました。

私は、前約があり、残念ながら参加できなかったのですが、

前日、運よくお会いすることが出来ました。

数学者であり、音楽家であり、享栄学園理事長でもある先生の

その宇宙理論に魅了される方々は多かろうと思います。

スタッフでもあるホウズキの光作家、波多さんが「倭詩」を直接渡され、

赤面するところでしたが、先生が頁を開かれ、すぐさま書体に反応されました。 

先生の差し出された名刺が、宋朝体で、

このフォントが中々無くて、特別な所で、別注されるそうです。

そんなこだわりがあるせいか、書本全体に使われていることに感心されておられました。

ピアノやオルガンなど自在に弾かれる音楽家でもある先生とは、

短い時間ながら、音楽について語り合えることが愉しく、

ことに、書中の「六段」とグレゴリア聖歌の関連性には、ご興味を示されました。

最後に揮毫を求められ、食事処にあったごぼう筆で、

「理数象宇内、音曲養人心」

「理数は宇宙(内)を象り、音曲は人心(性命)を養う」と

先生に相応しい内容を書かせて頂きました。

またの再会で、更なるお話しに花が咲きますことを希望しながら。

道新書評欄に『倭詩』が・・・・・

月曜日, 9月 24th, 2012

北海道新聞の23日(日)版の書籍欄の「ほっかいどうの本」で、

「倭詩」が短いながら、紹介されました。

稲盛和夫氏の名言

月曜日, 9月 24th, 2012

誰もが不可能だと思ったJALの再建を
        わずか1年で黒字化した奇跡の経営者            

                『致知』2012年10月号
                 特集「心を高める 運命を伸ばす」
                                   横綱・白鵬氏との対談より
        http://www.chichi.co.jp/monthly/201210_pickup.html

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  ◆ 「従業員のために、また家族のために
     命に代えてもこの会社を守っていくのだ」
     という凄まじい気迫、信念ほど
     経営者を強くするものはないのです。

     経営くらい、ボクシングやレスリング・相撲などの
     格闘技にも似た闘争心が必要なものはないと、
         私は思っています。
 
 

   ◆   経営にとって大切なことは
     「人間として正しいことを追求する」ことに
          あると思っています。
      それは、幼かった頃に両親や年長者から褒められたり、
      叱られたりした経験から学んだ、
     極めて初歩的な倫理観と同じものです。
    
      私はそれを生きる上での原理原則とし、
      またリーダーとしての判断基準にもしてきました。
    
 

  ◆   「才能を私物化してはいけない」
     私はたまたまこの世界の創造主から才を与えられ、
     役割を与えられた。
 
     ならば、その才を自分のために使って
     「俺がやった」などと自惚れてはならない。
          やはり従業員のため、世のため人のために使う。
          それがリーダーだと思い、これまでやってきました。

  ◆    私は人生の目的は何かと問われれば、
      心を高めることであり、魂を磨くことにあると思っています。
      人間が死を迎える時、
      現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて捨て、
      魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはなりません。

 
  ◆   生まれた時より少しでもましな人間になる、
      すなわち、わずかなりとも美しく
     崇高な魂になって旅立つことが、
      この世での人間の務めだと思います。

事業永続の秘訣

月曜日, 9月 24th, 2012

創業663年の歴史を持つ日本の饅頭の元祖・
          塩瀬総本家会長の川島英子氏が語る          

                『致知』2012年10月号
                 特集「心を高める 運命を伸ばす」より
             http://www.chichi.co.jp/monthly/201210_pickup.html#pick4

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 ◆ 自分というものは、ここにひょっと
   いきなり成り立っているわけじゃなく、
     遠いご先祖様からの命がずうっと続いてきて、いまこうしてある。
     それを忘れてはいけないし、感謝しなくてはいけない。

     そしてありがたいと思ったら、その気持ちを言葉なり、
     字なり、行動なり、形に表すということを即刻やることが大切です。

 ◆ 悪い時は慎ましくそれなりに暮らしていく。
     自分の代に沈むことがあっても、
     必ず後に浮く時がくるのが世の常なのだと。
     だから物事は長いスパンで考えることですね。

    逆に「いい時はいいようにやっていく」のも大切で、
     沈む時に備えてものを蓄えておきなさい、ということでしょう。
     まさに「繁盛するに従つて益々倹約せよ」です。

 ◆ あまり「こだわり過ぎる」ということをしては
   運は開けないのではないでしょうか。
     時代の変化に対する柔軟な考え方と
     挑戦する気持ちを持っていれば、
     道は開けてくるように思います。

 ◆  仏教に「無常」という言葉がありますが、
      やはり世の中はいつも同じであるわけがない。
 
      だから調子がよくても驕らず、沈んでも必ず浮く時が来る
      という信念を持って取り組むことが
      商売をやっていく上で大事なことですね。

道新にも『倭詩』が

金曜日, 9月 21st, 2012

この19日(水)にも、北海道新聞の一面左下に『倭詩』の広告が。

北海道発となっておりますが、歴史のない北の涯から、

歴史ある日本の国を語っても良いのではないかと思うのです。

客観的に眺望し、そして主観的に一体となり、

新たなる眼差しで、日本の越し方行く末を綴って行きます。

その果に、和の国が再び甦らんことを・・・・。

キリストに妻?!

木曜日, 9月 20th, 2012

今さらの感もあるが、「イエスに妻が」居たことが話題になっている。

あの「ダ・ヴィンチ・コード」で物議を醸し、映画は世界的にセンセーションを起した。

これに関する文献は枚挙に暇がないほど、溢れている。

実際、若き日に読んだ「聖書外典」には散見できていた。

客観的歴史性から紐解いても、決して故なきことではない。

これらのこと、「エリクサーから無限心へ」の小冊子に詳しい。

それにしても、パピルスとコプト語・・・・というと、

遠い古代に、ロマンの夢が馳せてゆく。

銀巴里の灯がまた消える・・・・・・

木曜日, 9月 20th, 2012

札幌すすき野の「銀巴里」の幕が閉じるという。

銀座の銀巴里のことは、もう去りし日のこと、今や見聞きするすべも無い。

ただ金子由香里さんや三輪明宏さんの映像やレコードで、当時を偲ぶしかない。

その雰囲気を伝えるべく札幌の銀巴里の灯も消えるという。

寂しい限りだ。かといって、常連でもなく、数度ドアを潜っただけなのだが、

ただ、そこのママが、まほろばの初期からのお客様で、西野に住んでいらっしゃった。

そんな間柄で、初めて有機野菜の米内会長に連れられてお邪魔したは20年も前のこと。

なかなか、身近にシャンソンは聴けないものの、

唯一札幌での本格的ステージが堪能できる聖地でもあった訳だ。

また一つ、文化の灯が消えるのかと思うと、何か後ろ髪の引かれる思いでもある。

やはり、そういう何ともいえない歌の数々を聴けない世代が、

世の中の大半になったせいであろう。

しみじみと人生の哀歓を味わう心の受け皿がなくなってしまった。

江差追分から

木曜日, 9月 20th, 2012

明日から江差町では、「江差追分」第50回全国大会が開催される。

記念すべき大会で、全国で、これほど大掛かりな民謡大会はないという。

私も少し関係しているので、土曜から見学したいと心待ちにしている。

何時も、江差追分の大家・青坂師匠がおっしゃるのは、上記の新聞記事のように、

コンクールで審査基準が設定されると、それに合わせて練習して、

本来の持ち味の情緒性が失われてゆくという懸念である。

これは、どんな分野でもいえることだが、一つのものを統合することで、

様々な多様性、多義性、多面性が失われてしまうということだ。

江戸・明治期、幾多の古調追分が散在していたのを、一つにまとめ正調追分を標準化した。

当初、それで試行錯誤して一つの方向性で進んだが、

それが安定期になって、それぞれの技法が先鋭化されると、

技術的には極めて高度になってゆくのだが、逆に最も大切な情緒性が損なわれて来た。

追分は、元々地場のもので、漁師や浜で暮らす人々の哀歓が底に流れている。

唄が広がり、生活臭がなくなった都会人が洗練させてゆくのはいいのだが、

逆に、本来の味や本質から遠ざかる。

果たして、競争という原理で、何が残り、何が失われてゆくか。

甚だ、憂うるものがある。

情緒を忘れず、技術を磨くことが、最上の道なのだろう。

これは、現代社会の警告でもあり、示唆でもある。