久司道夫先生講演会
水曜日, 9月 19th, 2012Organic Cafe 「知恵の木」さんからの掲載依頼です。
マクロビオティックの久司道夫先生の講演会が、上記の通り開かれます。
知恵の木さんでもチケットを取り扱っています。
Tel 011-853-5134 Fax 011-853-3211
Organic Cafe 「知恵の木」さんからの掲載依頼です。
マクロビオティックの久司道夫先生の講演会が、上記の通り開かれます。
知恵の木さんでもチケットを取り扱っています。
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「水産新聞」に、新刊書『倭詩』の紹介文が掲載されました。
今釧路沖では、ミンククジラの試験操業が始まっており、かねてから
小泉武夫先生が孤軍奮闘、伝統漁法としての捕鯨復活を訴えております。
その辺りの消息も、詳しく書かれている本書。
漁業関係者にも必読の一書としてお奨めいたします。
栃木県佐野市の自然食品店「セフティーまなべ」の真鍋辰彦代表から、
次のお知らせを頂きました。
彼の地出身の足尾銅山の田中正造翁も、国策と熾烈なる戦いをして来た先達であり、
小出裕章助教が、理想像として尊崇して来た方でもあります。
関東近辺にお住いの方は、是非「アースデー田中正造」の講演会にご参加下さい。
下に、小出仲間と言うべき「熊取6人組」の興味深い記事が掲載されています。
『致知』2012年10月号
特集「心を高める 運命を伸ばす」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201210_pickup.html
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私の父は「老舗(しにせ)」という言葉が
一番嫌いだったんです。
老舗は老に舗(みせ)と書くけれど、
こんなに失礼な言葉はない。
うちの店は老いていない。
舗(みせ)は老いたらあかんのや。
舗が老いたら死を待って潰れるだけやと。
しにせの「し」は止とも表せますが、
進化を止めてしまったらそこで終わり。
だからしにせではなく、
新しい舗、しんみせでいきなさいと言うんです。
一代一代が、自分が新しい舗の創業者になったつもりで
商売をしなさい。常に新しいことをしていきなさい。
商売の本質
「先義後利(せんぎこうり=義を先にして、利を後にする者は栄える)」
を変えずに、常に時代の流れに合わせて革新の連続をしなさいと。
まさに「不易流行」です。
しんみせの「しん」は「真」の字で「しんみせ」とも表せます。
お客様に真心を尽くしなさいと。
他にも、信用、信頼を大切にの「信(しん)」。
驕らず控えめにせよの「慎(しん)」。
思いやりや仁の精神の「心(しん)」。
先祖を大切にしたり、お客様に親しみを感じてもらうの「親(しん)」、
規則を守り常に清らかの「清(しん)」、
辛い苦しいことでも辛抱できる「辛(しん)」、
人柄、家柄のよい紳士としての「紳(しん)」……、
こういう商売をしていけば自ずとしんみせになると。
昨日は、時々小雨降る中、「芸森ハーベスト」が開催された。
芸術の森や野外コンサートホールは知っていたが、少し先に、
このような温泉完備の宿泊施設が、録音スタジオ付きであることを、
ついぞ今日まで知らなかった。
いつか、道新に紹介された芸森スタジオは、世界でも折紙付きのもので、
坂本龍一と大貫妙子さんの「utau」を録音したことで、一躍有名になった。
11時から、市内の名店が出店しての賑わい、なかなか愉しい一時。
各ライブが終わっての5時からは、大貫さんのスタジオでのライブ。
初めての彼女の生声に、皆感銘。
ことに、音楽嫌いの家内は、スーと心に入って溶け込み、一体となって陶酔したという。
自分と同質の自然性を感受したのだろう。
これは、長い付き合いの中で、初めての驚くべき感想で、私がビックリした。
それほど、身も心をも溶かすほどの彼女の音楽性に脱帽したのだった。
そんな彼女の、いよいよ本格的な札幌での生活が始まる。
この雪国の都市から、文化の香りが世界に発信されれば嬉しい、と市民はみな思っている。
「森下自然医学」10月号が、発刊されました。
会長の巻頭随想は、『徐福伝説 其の三』、「いざさらば、連雲港よ」。
徐福が、渡航軍団を率いて、故郷連雲港を離れる際の様子がありありと活写されている。
いわば、この2200年前の事項により、呉越人が日本に大挙押し寄せた。
だが、それは略奪領有することなしに、日本に同化し、一体化して今日の基を作った。
この2,3日、尖閣諸島が、喧しい。
さて、どうなるものか固唾を呑んで見守る。
現政権の、即断即決の英知無きが悔やまれる。
今月号は、『倭詩』発刊に伴い、5pも割いて取り上げられた。
森下自然医学とのご縁があってこそ上梓出来たのであって、
ありがたく、深くここに感謝したい。
森下会長からの推薦文が掲載されている。
彫琢を加えた文藻が、長く読み耐えられるように。
今月号の「倭詩」は、『明朝体と宋朝体』と題して。
今回本文に使った書体が「宋朝体」という、一般に使用されている明朝体とは異なる。
私が少年期から、慣れ親しんで来たせいもあり、これを出版社に依頼した。
ところが、近代出版史上、かつて無かったという事実を知り、
驚いたのは、当の私自身であった。
そこから、この物語が始まる。
この本は、内容もさることながら、書体自体、革命的なことであると出版代表者が語られた。
ついぞ、誰もが気が付かなかった書体に焦点を当ててみた。
これは、単なる個人の思い付きではなく、長い歴史的な見地でもある。
それは遡ること、明の600年、宋代1000年に亙ることにもなる。
これから火種がついて、この試みが広く拡がらんことを望みたい。
遂に、昨日第4農場の下にヒグマがでました。
立て看板が、貼られました。
昨日、ボランティアの方々にお手伝い戴いた豆採りのすぐ下付近で現れました。
農家の軒や道路があっても、接近しています。
先日の新聞報道で見た羆は痩せこけていましたね。
もうビックマ!です。あれほどに、山の食べ物が激減している。
今年は、鮭の獲れ方、入荷量も異常に少ないです。
この異常高温で海温は上がり、鮭は母川に近づけない、戻れない状態です。
クマも、冗談でなく、クマッタなー!なんです。
三角山登山入り口は、まほろば農場の看板がある第一農場です。
遂に、閉鎖されました。
みなさん、危険なので登山されませんように。
『致知』2011年1月号
特集総リードより
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今年(平成23年)、日本は皇紀2671年である。
海に囲まれた小さな島国が、さまざまな試練を経ながら
高い民度と文化を備え、今日まで発展してきたのはなぜだろうか。
そこに盛衰の原理のヒントがあるように思われる。
例えば、伊勢神宮では、正殿をはじめ社殿のすべてを
新たに造り替える式年遷宮が、20年に1回行われてきた。
2年後に迎える式年遷宮は62回目になる。
今回の総工費は550億円。
うち220億円は民間からの志によると聞く。
第1回の式年遷宮が行われたのは持統天皇4(690)年。
戦国時代に中断されたことはあったが、
以来1300年、この行事は連綿と続けられている。
伊勢神宮だけではない。全国でその地にある神社が
地域の人々によって大事に護持されている。
これは世界の驚異と言っていい。
渡部昇一氏に伺った話である。
氏は若い頃、ギリシャのスニオン半島を2週間ほど旅し、
ポセイドン神殿はじめ多くの遺跡を見た。
帰国後、石巻に行った印象が忘れられないという。
石巻には港を見下ろす丘に大きな神社がある。
その祭りを町を挙げて祝っていた。
海を見晴らす丘に海神を祀るのはギリシャも日本も同じだが、
ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。
しかし、日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮座し、
住民がこぞって祝っている。
「古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、
古代日本文化はいまもまさに生きているのです」
この事実は何を物語るのか。
ギリシャ神話は有名だが、神々の系譜は神話の中だけで
完結、断絶し、いまに繋がっていない。
これに対して日本は、天照大神の系譜に繋がる
万世一系の天皇という具体的な存在を軸に、
我われの先祖は目に見えないもの、
人知を超えたものを畏敬し、尊崇する心を、
2000年以上にわたって持ち続けてきた、ということである。
そしてこの民族の魂は今日もなお生き続けている、
ということである。
目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、
慎む心を育んでいく。
「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らむ」
という心的態度はこの国に住む人たちに
共通した価値観となって定着した。
言い換えれば、私たちの先祖は
「自反尽己(じはんじんこ)」に生きたのだ。
自反とは指を相手に向けるのではなく、
自分に向ける。すべてを自分の責任と捉え、
自分の全力を尽くすことである。
そういう精神風土を保ち続けたところに、
この国の繁栄の因がある。
同時に忘れてならないのが、我々の先祖が
絶えず後から来る者のことを考え、
遠き慮の心を持ち続けたことだろう。
詩人の坂村真民さんはそういう先人の祈りを
象徴するような詩を残している。
《あとから来る者のために
田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ》
昨日と今日にかけて、農園では多くのボランティアさんが集まって下さって、
ありがとうございました。
榊原さんのちらしのお蔭で、初めての方々が一杯駆け付けて下さいました。
お蔭様で、人参たちは命拾い!!
危うく畑の肥やしになる前に拾われました。
みなさん、余りの雑草に目を丸くしてビックリ!!
でも、農業体験、初めての方々も多く、こんなものかと思われたかもしれません。
それと、季節外れの灼熱地獄と言おうか、ビックリするよな日照りに汗が吹き放題。
しかし、驚くなかれ、あの絶望視していた雑草だらけの人参畑が、
午前中にアッという間に、きれいになったんです。
これには、農園スタッフは驚きました。
素人さんながら、集合の力は大きい。
改めて、認識しました。
今朝、市場で南幌のレタス農家・岩崎さんに会って話したんですが、
同じことを言っていました。
どうも、3人以上になると、競争意識が働くらしい。
何時も一人作業の岩崎さん、今朝は300個のレタスを採るのに、
3時からご両親とリレーしながらの収穫、箱詰めで、予想以上に早く終わったという。
計算では、考えられない速さだった。
昨日は8人、今日は6人で、かなりの効率で作業が進み、大助かり。
昨日は、大貫さんも手伝って下さって、葉山よりも暑い札幌で、申し訳なかったです。
人手不足で、遅れ気味の農作業、お蔭でかなり戻って来たと思います。
ありがとうございました。
また、これに懲りず、農業体験されて、『イノチの現場』を、ご確認戴ければ幸いです。
この場を、お借りして御礼申し上げます。