明日から江差町では、「江差追分」第50回全国大会が開催される。
記念すべき大会で、全国で、これほど大掛かりな民謡大会はないという。
私も少し関係しているので、土曜から見学したいと心待ちにしている。
何時も、江差追分の大家・青坂師匠がおっしゃるのは、上記の新聞記事のように、
コンクールで審査基準が設定されると、それに合わせて練習して、
本来の持ち味の情緒性が失われてゆくという懸念である。
これは、どんな分野でもいえることだが、一つのものを統合することで、
様々な多様性、多義性、多面性が失われてしまうということだ。
江戸・明治期、幾多の古調追分が散在していたのを、一つにまとめ正調追分を標準化した。
当初、それで試行錯誤して一つの方向性で進んだが、
それが安定期になって、それぞれの技法が先鋭化されると、
技術的には極めて高度になってゆくのだが、逆に最も大切な情緒性が損なわれて来た。
追分は、元々地場のもので、漁師や浜で暮らす人々の哀歓が底に流れている。
唄が広がり、生活臭がなくなった都会人が洗練させてゆくのはいいのだが、
逆に、本来の味や本質から遠ざかる。
果たして、競争という原理で、何が残り、何が失われてゆくか。
甚だ、憂うるものがある。
情緒を忘れず、技術を磨くことが、最上の道なのだろう。
これは、現代社会の警告でもあり、示唆でもある。