「闇の向こうに見えた光」
火曜日, 12月 18th, 2012伊藤 勝也 (牛心社長)
『致知』2012年12月号
致知随想より
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大阪府内で炭火焼き肉店「但馬屋」など
十店舗を展開する(株)牛心の創業は昭和四十五年。
母が生業として始めた自宅兼店舗のホルモン屋がその原点です。
私はもともとデザイナー志望でしたが、
二十一歳の時、店の経営が立ちゆかなくなり、
なんとか母の店を守ってあげたいと家業を継ぐ決意をしました。
吹田市にあった店の通りは、二十軒もの同業者が
ひしめき合う通称「焼肉屋街道」。
まずはこの地域で一番店にしたいと思ったものの、
三坪足らずの店では真っ当に勝負をしても勝ち目はありません。
そこでまず入店のきっかけをつくってもらうため、
空いたビールケースを常に店外に山積みにし、
煙突からは勢いよく煙を立ち上らせるなど、
「流行っている店の雰囲気」を出すよう知恵を絞りました。
そして来ていただいたお客様を逃さぬよう、
カウンター越しに聞こえてくる会話の中から
名前や誕生日などの情報を掴み、
それを逐一メモして顧客情報をつくり上げていきました。
お客様のほうから商売のコツを
教えてくださったこともあります。
ある時「儲けようという考えをやめ、
お客様のために何ができるかを考えよ」と諭され、
閃いたのが、原価率を六十~七十%まで引き上げてでも、
いい肉を出そうということでした。
飲食業の原価率は三十%程度が相場といわれますが、
従業員は母と自分の二人だけ、人件費も家賃も不要なため、
決してできないことではありません。
商品力を引き上げたことによって競合店との差別化が図れ、
二、三年で業績は急激にアップしていきました。
さらに平成三年のバブル期には手狭になった店を
リニューアルしようと、銀行から多額の融資を受け、
新たな土地を購入しました。
当然家賃が発生してきますが、私は愚かにもその認識が甘く、
商品力が維持できなくなった途端に客足も遠のいていきました。
銀行は待ったなしで返済を迫ってくる。
できることといえば営業時間を延ばすことくらいで、
明け方までカウンターに立ち、
必死に売り上げを伸ばす努力をしました。
しかし追い討ちをかけるようにバブルがはじけ、
材料費は高騰していく。
将来になんの展望もひらけず、
自分は借金を返済するためだけに生きているのかと、
首を吊る考えすら頭を過りました。
そんな時、ふと脳裏に浮かんだ光景がありました。
以前、実際に山で遭難した時の記憶です。
上のほうには微かだけれども光が見える。
なんの光かは分からないが、そこには建物も、人のいる可能性もある。
一方、下へ行けば道があることは違いないが、
どこかに辿りつけるという保証はない。
どちらを選ぶべきか。
真っ暗闇でもがき苦しんでいる中で私がした決断は、
あの時のように、山上に仄見える光のほうへ進んでいくこと。
そしてその光が自分たちにとっては何かを、
明確にしていかなければならないということでした。