まほろばblog

Archive for 12月 29th, 2012

『有理和音』理論完成!

土曜日, 12月 29th, 2012

チェンバロの福田直樹さんから、バッハのチェンバロ曲のCDと

「有理和音」と呼ばれる理論書が送られて来た。

遂に、彼の理想とする音楽の理論体系が世に出ました。

平均律でもなく、純正律でもなく、プラトン律でもなく、

とことん追い詰めた音律の理想、神の音階が出現しました。

来春2月に、まほろばでその発表会と演奏会が開かれます。

追って詳しい内容をお知らせいたします。

「注連縄飾り/しめなわかざり」

土曜日, 12月 29th, 2012

ネイチャーライティングアーティスト、 波多誠子(Maco)さん製作の『注連縄飾り』が店先に並んでいます。

ことに、この稲藁は、まこさん自らが、長沼で作ったお米で、魂がこもっています。

高い技術と深い芸術性が融合された趣き深いお飾りで、新春を迎えるのに相応しいと存じます。

                                1作 ¥2,900 です。

全国発酵食品サミットinこうざき

土曜日, 12月 29th, 2012

全国醗酵食品サミットが年明け早々、寺田本家のお膝元、神崎(こうざき)町で開かれます。

1月20日(日)、21日(月)の二日間です。

「醗酵仮面」こと、小泉武夫先生の基調講演会があります。

先生の生家は隣県福島の酒・老舗蔵元でしたが、3:11で蔵が崩壊して他町に移転されました。

地元は、野田醤油(キッコーマン)で有名な醤油蔵や酒蔵も、かつては林立し、江戸の台所になっていたのです。

そんな風景も、今では寂れ、僅かに遺すところですが、中でも寺田さんのような若手が、今立ち上がっています。

醗酵文化の再興を願って、ここから全国に燎原の火のように、拡げようとするものです。

当日、全国から志の士が相寄り相集まって、お祭とします。

私もエッセンチアの篠原さんと一緒に向かいます。

酒蔵の片山さんや「cobo」の植田ご一家も参加します。

全国の酒・醤油・味噌・酢などなどの醗酵関係者が一堂に介しますので、面白くなりそうですね。

是非、近隣の方はご参加くださいませ。

「お母さんから命のバトンタッチ」

土曜日, 12月 29th, 2012

     鎌田 實 (諏訪中央病院名誉院長)

                 『致知』2012年7月号
                  読者の集いより

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僕が看取った患者さんに、
スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。

余命3か月と診断され、
彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。

ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、
彼女がこう言ったんです。

「先生、助からないのはもう分かっています。
  だけど、少しだけ長生きをさせてください」

彼女はその時、42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、
黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、

「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。
 卒業式を母親として見てあげたい」

と言うんです。

9月のことでした。
彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。

でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。

子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。

奇跡は起きました。
春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、
例えば希望を持って生きている人のほうが、
がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が
活性化するという研究も発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある
見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を
活性化させたのではないかと思います。

さらに不思議なことが起きました。

彼女には2人のお子さんがいます。
上の子が高校3年で、下の子が高校2年。

せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと
僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、
1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を
見てあげることができたんです。

そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、
びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと
言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、
彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。

「母は家に帰ってくるたびに、
 私たちにお弁当を作ってくれました」

と娘さんは言いました。

彼女が最後の最後に家へ帰った時、
もうその時は立つこともできない状態です。

病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は、

「じゃあ家に布団を敷いて、
 家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」

と言って送り出しました。

ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
その時のことを娘さんはこのように話してくれました。

「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。
 そのおむすびを持って、学校に行きました。
 久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。

 昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、
 切なくて、切なくて、
 なかなか手に取ることができませんでした」

お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。

でも、命は長さじゃないんですね。

お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。

人間は「誰かのために」と思った時に、
希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって
免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。