白駒 妃登美 (ことほぎ代表取締役)
『致知』2013年2月号
読者の集いより
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昨年(2011)6月に、私が好きな日本史のエピソードを
二十九集めた『人生に悩んだら日本史に聞こう』という本を
出版させていただきましたが、
そもそも私は歴史の専門家ではなく、
単なる歴史好きだったんですね。
いまから三年前、作家のひすいこたろうさんに
出会ったことがきっかけで、
ブログに歴史のエピソードを綴るようになりました。
それが出版社さんの目に留まって、
本の企画が持ち上がったんですが、
その時私は人生最大のピンチを迎えていました。
といいますのも、いまから四年前に
私は子宮頸がんになったんです。
その時はまだ初期状態だったため、
全摘手術と放射線治療を受けて退院することができました。
ところが、一昨年の夏、治ったと思っていた子宮頸がんが
肺に転移していたことが分かったのです。
私は死というものがすぐ目の前に来たような
恐怖に駆られました。
がん細胞が一つ、また一つと増えてしまい、主治医から
「こんな状況で助かった人を見たことがありません」
と言われてしまったんです。
出版社さんから「本を出しませんか」
という話をいただいたのは、ちょうどその時でした。
私は残された時間はすべて子供のために使いたいと
思っていたので、最初はお断りするつもりだったんです。
私がピンチに陥ると、必ず歴史上の人物が
助けてくれるのですが、その時、
力を与えてくれたのは正岡子規だったんですね。
子規は江戸末期、四国松山に武士の子供として生まれます。
幼い頃から「武士道における覚悟とは何か」を
自問自答していた子規はある時、それは
「いついかなる時でも平気で死ねることだ」と、
自分の中で一つの結論を得ます。
その後、若くして脊椎カリエスに罹り、
彼は三十代半ばで亡くなってしまうのですが、
この病気は物凄く激痛を伴うもので、
何度も自殺を覚悟したといいます。
その苦しみの病床の中で彼は悟ったんですね。
自分は間違っていた。
本当の武士道における覚悟とは、
痛くても苦しくても生かされている
いまという一瞬を平生と生き切ることだって。
だから彼は、どんどん激しさを増していく病床にあって、
死の瞬間まで文筆活動を止めず、自分らしく輝き続けたんですよ。
私は正岡子規が大好きでしたから、
私も子規のように最後の瞬間まで
自分らしく生きたいって思い直して、
出版のお話を受けることにしました。
そして抗がん剤治療を受けるために、
病院のベッドが空くのを待っていたんですね。
その間に毎日パソコンを開いて、
出版に向けてブログ記事を整理していたんですけど、
その時に私はあることに気づかされたのです。
過去も未来も手放して、いまここに全力投球する。
そうすると、扉が開いて次のステージに上がれる。
そんな天命に運ばれていく生き方を
過去の日本人はしてきたんじゃないかって。
そして、私もそうやって生きようと思ったら、
不思議なことが起こったんですね。
あんなに不安で毎晩泣いていたのに、
夜ぐっすり眠れるようになったんですよ。
不安が雪のように溶けてなくなりました。
私たちの悩みのほとんどは過去を後悔しているか、
未来を不安に思っているかのどちらかで、
いま現在、本当に悩みがある人って少ないのではないでしょうか。
もし、“いま”悩みがあるという方が
いらっしゃったとしたら、多くは
“ここ”に照準が合っていないのだと思います。
人と比べて劣等感を抱いたり、
人からどう思われているかが気になったり。
ですから、時間軸を“いま”に合わせて、
地点を“ここ”に合わせたら、
おそらく世の中の悩みのほとんどは
消えてなくなってしまうのではないかと思います。
入院が決まり、精密検査を受けて驚きました。
消えたのは悩みだけじゃなかった。
いくつもあったがん細胞が全部消えていたんですよ。
それで私はいまもこうして生かされていて、
皆さんときょうお目に掛かることができたわけですね。
* *
きょうは残りの時間を使いまして、
私が日本人らしいなって思う
ある人物の生き方をご紹介してみたいと思います。