126 │人生の深奥――西端春枝さんのお話とご著書『随心』
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1月も15日、正月気分もすっかり冷めた頃でしょうか。
元日や この心にて 世に居たし
昨年末に発刊した『安岡正篤活学一日一言』の
1月2日に紹介されている俳句です。
元旦の朝に感じるようなさわやかな気持ちで1年をすごしたいとは
万人の願うところでしょうが、
浮世はなかなか、そうはさせてくれません。
同書1月1日には「年頭清警」が紹介されています。
年頭清警
一、残恨(残念なこと)を一掃して気分を新たにする。
二、旧習(ふるい習慣)を一洗して生活を新たにする。
三、一善事を発願して密に行ずる。
四、特に一善書を択んで心読を続ける。
五、時務を識って自ら一燈となり一隅を照す。
このうち1つでも実行し続ければ、1年は1年の成長を
人に保証してくれると思います。
ぜひ1つでも続けたいものです。
さて、『致知』の昨年の11月号(特集「一念、道を拓く」)の
「生涯現役」に、元ニチイの創立者、西端春枝さんの話が出ていますが、
この西端さんの話を読み、大変感動しました。
西端さんはいま真宗大谷派浄信寺副住職として
篤志面接員のお仕事をされているそうですが、
こんな話をされています。
――受刑者と接して、どのようなことを感じられていますか?
西端 こんなことをいったらご無礼かもしれないけど、
自分は正しいと必死に思っている人が多いですね。
話を聞いていると、旦那がトンズラしたとか、
離婚状を突きつけて家を出ていったのが悪いという具合に、
罪を犯した原因を自分以外のところに求めている。
私にもいたらないところがあったのかもしれないとは、
なかなか考えられないんですね。
だから物凄く苦しんでいて、そこから抜け出せずにいる。
西端さんがこういわれていることに、私は大変感ずるものがありました。
それは『致知』の35年に及ぶ取材を通して私なりに気づいたことと、
西端さんの話に符号するものがあったからです。
そのことを『致知』2013年3月号の総リードで触れたいと思っています。
その西端さんが年末に『随心』という本を送ってくださり、
その本にも深い感動を覚えました。
すばらしい話がたくさんありますが、
特に私の心を深く打った一話をここに紹介します。
~【夜の雪】~
江戸の中期、俳諧の宗匠・西島さんのお話です。
「夜の雪」という季題を出され、何か世に残る名句をと苦吟しておりました。
ある夜、珍しく大雪となり、夜がふけるにつれて
身を切るように寒さが厳しくなって参りました。
宗匠はさっそく矢立と短冊をもって、表に出ようといたしました。
奥さまは温かい着物と頭巾、高下駄と十分な身ごしらえを整えたのです。
そこで奥さまに
「ひとりでは淋しい、小僧を連れて行く、叩き起こしてこい」
小僧とは12~13歳で家貧しく、ふた親亡くし、
わずかな給金で西島家に奉公している子どもなのです。
昼は子守、掃除と疲れ果てて眠っています。
亡き母の夢でも見ていたのか、目に涙が糸を引いていました。
そこを急に起こされ、寝ぼけ眼をこすりこすり、
あまりの寒さに歯の根も合わず、ガタガタ震えながら宗匠に従う後ろ姿に、
奥さまがほろりと一滴の涙をこぼし、主人に言うのです。
わが子なら 供にはやらじ 夜の雪
「旦那さま、3歳で死んだ長男が生きていれば、ちょうど同じ歳でございます。
草葉の陰の母上がどんな思いでこのありさまを見ておられましょう。
あなたは十二分な身ごしらえでございますが、
あの小僧は、ご覧なさいませ。
あかぎれの足に血がにじんでいます。
わが子なら連れて行かれませんでしょう」
と、奥さまの頭に浮かんだ句でした。
宗匠は
「悪かった、温かいものを作って食べさせてやってくれ」と、
ひとりで雪の中へ出て行かれたのでした。
旦那さまのお名前はわかりませんが、
奥さまのお名前は「西島とめ」と申されました。
この「わが子なら」という言葉は、
後に多くの寮生と暮らすようになった私への、
深い教えとなりました。