まほろばblog

Archive for 2月, 2013

「徐福祭」と「蓬莱の国」

木曜日, 2月 28th, 2013

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9日(土)、富士吉田小明見で開催された『第一回 富士徐福祭』。

参加予定でしたが、急用のため取り止めで、次回に見送ることになりました。

しかし、森下自然医学の山司氏、CI顧問の田中愛子先生、声楽家の松本愛子さん、

そして、甲府からは増川女史等が参加されて、場を盛り上げて頂きました。 

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山司氏より沢山の資料を贈って頂き、大変勉強になりました。

本場中国は元より韓国の研究者が多数本を出版しております。

また国内でも各地で多くの研究家や研究発表があることに驚きます。

実際、松本女史から戴いた、中国から見た日本地図。

全く逆さになっていますが、反って渡航する必然性や可能性が見えてきます。

逆転の発想、たしかに逆転地図で新たなる発想が沸いて来るから不思議です。

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縄文から弥生への移行、稲作文化を開いた先人の遺功。

日本の大恩人なのですが、日本史では認めていません。

日本人の血の中にも彼の血が流れていると思うのですが。

これを機に、日中友好の架け橋になって

両国の良き関係を築いてくれればよいのですが。

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 福岡正信翁は、徐福の子孫という話をしましたが、

以前、翁を招いて、徐福のオペラを上演したそうです。

徐福が夢見た蓬莱の国・日本。

その「蓬莱の国」という題名で、翁が歌詞をつけて、無為自然の歌を作っています。

ご紹介します。

【蓬莱の国】(原詩:福岡正信)


(時)
川は流れて人去り来たる会うは別れのはじめとか
時は流れも進みもしない始め終わりはなきものを
出会った今が久遠のときか過去も未来も夢の夢
森の泉は枯れはせぬもの二人の愛はいつまでもアイヨーツ!一
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
おまえ百までわしゃ九十九までともに自然にかえるまでここが蓬莱めでたやな


(空)
雲は流れて青空たかい人の運命は風まかせ
空は広くも小さくもならぬ西や東はなきものを
胸をあわせぱ心もひとつあなた私の国じゃない
育てるものはただひとつだけ扶桑の森よ天にまでアイヨーツ!
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
天にそびえる扶桑の木々が世界の国の橋渡しここが蓬莱めでたやな


(色)
夢をさがして旅には出たがどこへ行こうかいずこにや
あなた運んだ五穀の種が瑞穂の国のわが命
豊年万作お天道まかせ私あなたの胸まかせ
自然にかえる全てを捨ててここはこの世の桃源郷アイヨーツ1
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
野菜花咲き木の実もたたわ五穀豊穣時知らず
ここが蓬莱めでたやな


(無)
浜の足跡どこまで続く波にあらわれ消えてゆ<
浜の千烏に尋ねてみたらわたしゃ知らぬと鳴くばかり
愛はひとすじ変わらぬものよ寄せてはかえす波の音
潮の流れに運ばれてゆく粘土団子の芽吹くところよ大自然アイヨーツ!
ヤッコラサエンコラサヤッコラサエンコラサ(くり返し)
何もないのだすべてがあって世界ひとつと歌いあうここが蓬莱めでたやな 

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「ひでぼー天使の詩」再び

水曜日, 2月 27th, 2013

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つばらつばら・・・・・・

水曜日, 2月 27th, 2013

業者の方から戴いた銘菓が、

何とも床しいので、そのしおり書きを添えますね。

京都の鶴屋さんのその名も「つばらつばら」。

しみじみと・・・・・・という意味合いだそうですが、いいですね。

大伴旅人の歌ということ、そのふるさとを思う

「ふりにしさと」という語感、

「思(も)へば」と「思ほゆるかも」の畳みかけ、

そして「つばらつばら」の聞きなれなくも、聞いたことのあるような、

そんな懐かしさがいっそう、この歌を遠くにはこびます・・・。

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浅茅原(あさぢはら)つぶらつぶらにもの思(も)へば

      故(ふ)りにし郷(さと)し思ほゆるかも

                  大伴旅人 (万葉集 巻三)

 万葉歌人大伴旅人が、大宰府長官として九州に

赴任したとき、「つぶらつぶら」すなわち、しみじみと

物思いをしていると、故郷の都のことがあれこれと

心に浮かんでくると詠んだ歌です。

「つぶらつぶら」は、しみじみと、心ゆくままに、

あれこれと、という意味の万葉の言葉。

銘菓「つぶらつぶら」は、その心を汲みまして材料を

吟味し、丹精をこめて謹製いたしました。

                        鶴屋吉信

明日から「うさと展」 in 厚別店

水曜日, 2月 27th, 2013

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まほろば厚別店2階
  • あやの里あやの森プロジェクト うさじいからのお知らせです。先月にお知らせハガキでお知らせしました初のまほろば厚別店2階でのうさと展を開催します。昨年の夏、厚別での開催が好評につき、今年は厚別店2階でも開催です。

    着る人が「気持ちいい」と元気になってくれる服
    いのちのパワーが身につく服。

    いのちがやどった服をまとえば、
    からだも心も魂も自然な呼吸を取戻します。

    あいをよる おもいをつむぐ~うさぶろう著より

    手つむぎ、手染め、手織りの自然素材のうさと服は、自然のリズムに沿った素朴な暮らしをしているタイやラオスの村の人々が
    愛情込めて作った服です。
    デザイナーのうさとぶろうさんは、南富良野出身。現在は、タイチェンマイにて、村のみなさんと共に、服つくり。

    いのちのかたまりの服が、手から手へバトンタッチされ、みなさまの元に届きます。
    お手持ちのお洋服にも、一緒にいろいろ合わせてみましょう。
    ひそかにブームのやんじー巻きもお教えしますよ。

    きっとあなたにぴったりのお洋服が待ってます。

    尚、売上げの一部は被災地支援のチームやんじー活動支援金として活用させていただきます。

    まほろば厚別店2階のうさと展にて、みなさまにお逢いできるのを
    楽しみにしています。(うさじい)

     

    とき 2月28日(木)~3月2日(土)
        ※うさと展 イン 厚別店では、土曜日までの3日間なのでご注意ください。。
      

    時間 10時から19時(最終日は、17時)

    場所 自然食品のお店 まほろば厚別店 2階ホール
       (札幌市厚別区厚別中央1-3)
         011-894-5551

       あやの里あやの森プロジェクト
             山口 幸雄(うさじい)もっと見る

 
 

「プロ野球優勝の法則」

水曜日, 2月 27th, 2013
 天野 篤(順天堂大学医学部教授)  

     『致知』2013年3月号
       特集「生き方」より

└─────────────────────────────────┘

【天野】 私も34歳の時、先生と同じように
    「明日から来なくていい」と言われ、
     全くゼロの状態になりました。

     新東京病院も須磨先生という後ろ盾があるにせよ、
     新興で、大病院などにどう立ち向かっていくか
     思案しましたが、そこはやっぱり若さで
     乗り切れたと思うんです。

     そしてその1年くらいの中で確信したのが
    「プロ野球優勝の法則」というものでした。

【南淵】 ほぉ、なんですか、それは。

【天野】 野球のペナントレースでは
     勝率5割5分で優勝するチームもあれば、
     4割5分で最下位に沈むチームもある。

     要するにプラスマイナス十%の差で、
     全部掴むか、全部失うかが決まるんです。
     外科手術も、この10%、
     場合によっては5%をどう出し入れし、
     自分のほうへ引き寄せられるか、
     それによって明暗が決まるのだと。

【南淵】 なるほど。その5%をいかに引き寄せるかですね。

【天野】 そのために大切なのは、相手をよく観察することです。
     アンテナを張って情報をとにかく収集し、
     これまでの経験と知識を総動員して3秒で判断する。
     3秒で次の一手を考える。

【南淵】 判断は数秒でも、大事なのはその前に
     必ず「観察」があるということでしょうね。

     新東京病院で一緒に仕事をさせていただいた時も、
     お互いやり方が細かいところで違っていたのですが、
     先生はそれに対して何も言わずにずっと観ているんですよ。

     へえ、そうやるのか、そうなるのかと、
     常に観察をされていた。

【天野】 私は俯瞰と表現していますが、手術中でも、
     もう一人の自分が鳥のように
     ビューッと上に上がっていって、
    「こうしろ」と体に指令を出すんです。

『この道を行く』

日曜日, 2月 24th, 2013
 坂田 道信(ハガキ道伝道者)

        定価 1,260円(税込)
        → http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=989

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◆ ハガキ道に生かされた40年
==========================================

    *     * 

  むかし むかし
  師を同じくする
  一人の呉服屋さんと
  百姓がいました

  二人は
  めぐまれた境遇では
  ありませんでしたが
  師をしたい
  はげましあい
  心ゆたかに
  生き抜いたそうです

    *     * 

 この「むかしむかし」という詩は
 坂田道信氏が
 寺田一清氏と初めて出会った後に
 書いたものといわれています。

 ここにある「師」とは
 お二人の師である森信三先生のこと。
 この詩を読まれて、
 深く感動された森信三先生は
 次のようなハガキを
 坂田氏に宛てて送られています。

    *     * 

  今朝「むかしむかし」を
  読みおわった時
  私は 思わず
  嗚咽(おえつ) 慟哭(どうこく)を
  禁じ得ませんでした

  唯今(ただいま) 夜の8時に
  再拝読いたしましたが
  やはり滂沱(ぼうだ)たる落涙を
  禁じ得ないでいる次第です
  
    *     * 

 ハガキ道の伝道者として知られる坂田道信氏。

 坂田氏は若き日に森信三先生と出会い、
 ハガキを書くことの大切さを学んでから、
 40年以上にわたって、
 ハガキを書き続けてこられました。

 
 本書には、
 坂田氏がハガキ人生を通して、
 掴まれてきた様々な知恵が語られています。
 

「私は考えられないような
 貧乏でね、病弱でね、
 散々悔しい目に遭ったけど、
 ハガキに出合って
 ものすごくおもしろい人生を
 つくり出すことができた。
 だから私にとってハガキは『道』なんですよ」

 
「森先生は教育とは、
 宗教とはハガキを書くことだと
 しょっちゅう言っていられましたが、
 先生のお弟子さんたちの中には
 書かない人もありました。
 で、私のような頭のよくないものが
 一所懸命書いて森先生に育てられたんです」

「頭がいい人はなかなかハガキをしない。
 ハガキは一対一だから能率悪い。
 能率悪いから苦労するんです。
 だから能率、効率考えてる間はできん。
 しかし一対一でも千回やれば一対千になるんですよ」

 こうした
 楽しいながらも
 本質をついた坂田氏独特の口調は
 読む人をぐんぐんと引き込んでいき、
 無限に広がるハガキ道の世界へと導いてくれます。

 また、文中には、
 東日本大震災で被災されたご友人に宛てたメッセージや
 新たなリーダー像としての「支援者」の生き方、
 日々の暮らしの中で感じられたことなどが
 詩のような文章によって綴られています。
 

 読むと心が洗われて、
 自然とハガキが書きたくなってくるような
 不思議な力を秘めた一冊です。

 良縁を引き寄せる
 ハガキ道の世界に触れて、
 豊かな出会いに満たされた人生を
 歩むきっかけの書にしていただければと思います。

記録破りのドカ雪

金曜日, 2月 22nd, 2013

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観測史上初の179m(石狩)を超えた札幌。

2月末ともなれば、寒さも緩み、路面の雪は溶け出して、

路上は黒々として来るはずが、そうはならない。

12月中にドカ雪だったら、3月まではおとなしい、その逆もあって、

大体、年間の積雪量は帳尻が合うのだが、

今年はなかなかどうして予想に反して積もるばかりだ。

農園の雪は、もう手がつけられないし、よりによって除雪機が故障。

ハウスが曲がり、ひどい惨状である。

春の出遅れが、最後まで相当応えるだろう。

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小路の雪の多さは喩えようもなく、車は対向車のため横に控えながら待つ。

ほぼみな本当の一車線だ。

生まれてこの方、みな誰しも、こんな雪を経験したことがないだろう。

家の中は、雪が窓を覆って真っ暗闇である。

こうして北国の人々は雪と戦い、雪に耐えて冬を忍ぶ。

いのちみな芽吹く春の到来を待ちながら・・・・。

 

 

お母さんを「太陽」と呼んだ日本人

木曜日, 2月 21st, 2013
    『日本のこころの教育』より 

                境野 勝悟(東洋思想家)

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僕が小学校の一年のときのある日、
「ただいま」って家に帰ると、
お母さんがいないときがありました。

お父さんに、「お母さんどうしたの?」と聞くと、
「稲刈りで実家へ手伝いに行ったよ」と言う。

そして、

「きょうはお母さんがいないから、
 おれが温かいうどんをつくってやる」

と言って、親父がうどんをつくってくれました。
ところが、温かいうどんのはずなのに、
お父さんのつくったうどんはなぜか冷やっこいんです。

一方、「ただいま」と家に帰って
お母さんがいるときは僕はいつでも
「お母さん、何かないの?」と聞きました。

すると、母は

「おまえは人の顔さえ見れば食い物のことばっかり言って、
 食いしん坊だね。そこに、ほら、芋があるよ」

って言う。

そういうときは決まって、
きのうふかしたさつま芋が目ざるの中に入っていました。

かかっているふきんを取ると、
芋はいつもひゃーッと冷たいんです。
だけれども、お母さんのそばで食う芋は
不思議に温かかった。

これは、もしかすると
女性には理解できないかもしれないけれども、
男性にはわかってもらえると思います。

お母さんが家にいると黙っていても明るいのです。
あたたかいのです。

それで、わたくしたち男は自分の妻に対して、
「日身(カミ)」に「さん」をつけて
「日身(カミ))さん」と言ったんです。

丁寧なところでは、これに「お」をつけて
「お日身(カミ)さん」といったんですよ。

何でしょうか。

この「日身(カミ)」という意味は?

「カ」は古い言葉では「カカ」といいました。
もっと古い言葉では「カアカア」といった。
さらに古い言葉では「カッカッ」といったんです。

「カカ」「カアカア」「カッカッ」
これが「カ」となるんですね。
「ミ」というのは、わたくしたちの身体という意味です。

ですから、「日身(カミ)」とは、わたくしたちの身体は
「カカ」の身体である、「カアカア」の身体である、
「カッカッ」の身体であるという意味なんです。

では、「カカ」「カアカア」「カッカッ」という音は、
古代では一体何を意味したのでしょうか。

「カッカッ」というのは、
太陽が燃えている様子を表す擬態語でした。
「カッカッ」とは、実は太陽のことを指したのですね。

「カアカア」「カカ」という音も同様です。
つまり、わたくしたちの体、わたくしたちの命は
太陽の命の身体であるということを、
「日・身(カミ)」(太陽の身体)と言ったんです。

「カミ」の「カ」に「日」という漢字が当てられているのを見れば、
「カ」が太陽のことを意味しているということがわかるでしょう。

「日身(カミ)」とは、
太陽の体、太陽の身体という意味だったのです。

お母さんはいつも明るくて、あたたかくて、
しかも朝、昼、晩、と食事をつくってくださって、
わたくしたちの生命を育ててくださいます。
わたくしたちの身体を産んでくださいます。

母親というのはわたくしたちを産み、
その上私たちを育ててくれます。

母親は太陽さんのような恵みの力によって
わたくしたちを世話してくれる。

母親はまさに太陽さんそのものだということから、
母親のことをむかしは
「お日身(カミ)さん」といったのです。

「学校給食に命を吹き込む」

木曜日, 2月 21st, 2013
 佐々木 十美 (管理栄養士)

     『致知』2013年3月号
         特集「生き方」より

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【記者:毎日の給食にはどのような思いを込めてこられたのですか?】

先ほども申しましたが、子供たちに
食材の本当の味を覚えてほしいというのが一番の思いですね。

大人になった時にどんな食材を選ぶか、
どんなお店を選んで何を食べるかを決めるのは
学校給食の経験だと思っているんです。

本当の味ですから魚は骨が入ったものを出しますし、
辛口のカレーも出します。

「食べやすいものを」と言う方もいますが、
決して子供に媚びることはしません。

それで残すことがあっても切り方や味付けを変えて
何度でも出します。
そのことによって子供たちの味覚は磨かれていくんです。

使う野菜にも調味料にも徹底してこだわります。
通年で使うものはタマネギ、ニンジンなど数種類に限定し、
キュウリは夏場のみ、カボチャは冬至を過ぎたら出しません。

旬でないものを食べさせることには違和感があるし、
冬場にトマトやキュウリなど
体を冷やす食材をあえて使う必要もない。

【記者:自ら農家に収穫に行かれることもあるそうですね】

同じ環境で育ったものを
体が一番喜ぶという思いがありますから、
旬のものは極力地元産を使って、
その美味しさを子供たちに伝えたいと思っています。

それでも食材全体からすると
三、四割といったところでしょうか。

限られた予算でやり繰りするのも大変なのですが、
ある時「杏がいくらでもなっているからあげるよ」
と言われて伺ったら、屋根の上だったことがあるんです。

登って収穫して天日干しで杏漬けにしましたけれども、
仕事のためなら屋根にも木にも登ります(笑)。

食材について申し添えておくと、
私たちは挽き肉も最初から自分で作るんです。

数年前、北海道の食肉会社の挽き肉偽造事件が起きましたね。
北海道教育委員会のほうから調査に来られましたが、
うちは一切使っていませんから、
まったく問題になりませんでした。

私はプロとして仕事に責任を持っているし、
何があっても揺るがない姿勢で四十年間やってきたんです。

何かあるとすぐ人のせいにしたくなるでしょう。
誰かがこう言いました、ああ言いましたって。

だけど仕事はすべて自分の責任なんです。
真剣勝負と申し上げたように、
いつ辞表を出してもいいという覚悟でいました。

だから私は怖いものなしです。
保護者や担任の先生がいようと
子供たちがいい加減な食べ方をしていたら、
本気で怒りますから(笑)。

      (略)

よく言われます。

「給食ごときになんでそんなに一所懸命なんだ」って。

だけど、私は自分で納得するまで働かないと
仕事をしたことにはならないと思って生きてきました。

「国菌と国造り」自然医学誌から

水曜日, 2月 20th, 2013

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「森下自然医学」3月号が届きました。

今月も盛り沢山の話題提供です。

先ず、巻頭随想は『徐福伝説その八』で、徐福定住の巻です。

祖父の富士吉田の浅間神社のことも記述されています。

先日、その地で『徐福祭』もあり、これからも知れるようになるかもしれません。

日中友好も、この物語を端緒に進めて、仲良くして行きたいものですね。

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 話題のIPS細胞。その「問題点と生命の本質」と題して、

あの船瀬俊介先生と寺島文理書院社長と会長との鼎談。

ノーベル賞の裏に隠された謎と目的。

それを知れば、あながち喜んでばかりいられないものがあり、それ以上に、

生命の本質、死生の意味を考えると、深刻にならざるを得ません。

必読の特集だと思います。

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 今、新聞紙上をにぎわせている若杉友子おばあちゃんと田中愛子先生の対談は興味が尽きません。

ともに「60年前の食生活にもどろう!」と提言されています。

お二人とも、本当にお元気で、老後の理想の姿がそこにあります。

これも、読みたい一篇ですね。

 

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連載「食養を極める」田中愛子先生の健筆が光ります。

先生のお若い時の壮絶な体験が、強く惹きつけます。

「・・・肺ガンの方の痰も舐めました・・・・・・

このとき、張りつめていた全存在が私のはらわたの中まで達し身震いしたのです。・・・・・」

こちらが、身震いするような凄い体験を綴られておられます。

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「倭詩」は『国菌と国造り』と題して、寺田さんと麹菌を中心に書きました。

日本的、日本らしさ・・・・・・・などなど日本を形容しますが、

物質的には、それは『糀/こうじ』ではないか、という論です。

我々の外も、体の中も、実はこの麹菌によって培養されて生き長らえているという

日本人の本質に迫るものです。

今の、麹ブーム、発酵ブーム、一過性に終わらせず、末永く盛んにさせたいものです。