先日11日の建国記念日に、あの「日韓友好海苔」の後藤吉助翁の
八十八米寿のお祝いの式が、銀座服部時計・鳩居堂前のサッポロビルで行われた。
参加予定が、あいにくの急用で叶わず、札幌の近藤社長にメッセージを託しました。
その一文を載せ、今もめている日韓関係を少しでも改善出来ますよう民間で努力して参りましょう。
春には、「倭詩」と同じ出版社IDPから、翁の本が出ます、それも自作自演のCD入りですよ。
後藤 吉助 さま
米寿、八十八歳のお祝い、おめでとうございます。
折角、参加できる予定だったのが、よんどころない用事でお祝いに駆けつけられず、残念でなりません。
「江差追分」を唄って、北海道を思い出して頂こうと思っていたのに、とても悔しい気持ちです。
でも、さすが男、後藤さんです。
米寿記念を、銀座のど真ん中で開くとは・・・・。
日本の中心で、「私は八十八になった後藤吉助なるぞー!!」と宣言したようなものですね。
誰もが、成し得ないことで、日韓に橋をかける人は、心意気が違います。
後藤さんとのお付き合いは、札幌のブライダル愛の社長・近藤さんから韓国海苔のご紹介を受けてからで、
5年ほど前のことでしょうか。
お会いしたその日から、何か懐かしい親父のような感じを受け、
心の中で、義理の親子の契りを結んだ訳です。
森下自然医学の海外特別会員として、毎月送られて来る月刊誌に目を通うされ、
連載されている私の『倭詩/やまとうた』を読まれた感想を、
お電話で必ず語ってくださいます。
その義理堅さには頭が下がります。
そして、いつぞやかお招きに預かって、
隅田川の屋形船で江戸情緒をともに味わった印象は、今もって忘れられません。
道東阿寒の寒空のもとで過ごした開拓団で苦労された少年時代。
逃げて来た朝鮮の強制労働者を匿って、官警の手から逃がしてやったご両親の姿が、
瞼に焼き付いたのです。
「神仏の前に、人は平等で差別なし」という無言で説く正義の教えを、心に刻まれたのでした。
それが今日、韓国に住まわれて両国友好の橋に自らがなろうとした種火でした。
吉助少年の胸にご両親が灯されたのです。
先日、電話越しに、自ら作詞作曲して唄う『母を慕い、讃える歌』に、
不覚にも涙を流してしまいました。
私は、中学生で母を亡くしましたが、未だに母への想いは断ち切れず、
我が家内の子供を案ずるその心が二重写しで迫って来て、
母の有難さが胸に込み上げて来て泣いてしまいました。
八十八になっても、なおも母の恩、母の愛を思える至純でやさしいお心に感銘したのです。
1、 聖なるいのち授かりぬ 手塩にかけて育みつ
両手を合わせ初詣で 行く末祈る母心
2、 清く正しくたくましく 泣いたら負けよ人生は
骨身削って汗流せ 人の鏡が母心
3、 聞こえて来るよ 幼な時に 歌ってくれた子守唄
優しい声が今もなお 瞼に浮かぶ母心
4、 海より深く山よりも 高く尊い親の恩
導きたりし人の道 ああ・・讃えなん母心
お母さん・・・・・・。
名詞名曲ですね。だれか有名演歌歌手が歌ってくれないでしょうか。
世を清める一服の清涼剤となるでしょう。
飛行機の中でも、日韓友好のハッピを着て、人類みな兄弟なることを訴えています。
そして首からはご両親の写真をぶら下げながら、
片時も親を忘れまいとする姿は尊くあります。
これが、言葉が違えども、肌が異なるも、親子の愛は変わらず、
親思いの心こそ、世界平和の絆、人類友好の礎なのです。
それを、実践している後藤翁こそ、われわれの先達であり、鑑であり、目指す人なのです。
ありがとうございます、後藤さん。
感謝します。後藤さん。
あなたがいらっしゃることで、どんなにか生きることに勇気付けられ、
世の中の誠を知り、人の世に希望を抱くことが出来たでしょうか。
ありがとうございます。
これからも、そのお丈夫な体で、卆寿、白寿、天寿(120歳)・・・
まだまだ、まだまだまだ・・・生きて、私たちの灯台となってください。
煌々と照らして、世を導いてください。
がんばれ!!!吉助とーうーさーんー!!!!!!
札幌 株式会社 まほろば
宮下 周平 記す
2013.2.11.