斉藤 俊幸(地域再生マネージャー)
『致知』2013年4月号
致知随想より
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東京の自宅を離れ、単身赴任を始めて間もなく十年になる。
その間、熊本で五年、高知で四年を過ごし、
去年の春から愛媛のしまなみ海道に拠点を移した。
私の仕事は、まちづくりを通じて
地方活性化のお手伝いをさせていただく
地域再生マネージャーである。
まちづくりには学生の頃から関心を抱いていた。
東京に生まれたこともあり、都会よりも田舎への憧れが強く、
地元の方々と力を合わせて仕事をしたいという思いがあった。
そこで大学卒業後は一般企業に就職せず、
開発途上国で経験を積んで二十六歳で
地域再生の事業を起こした。
スキルも実績もなかったため、社会の荒波にもまれ、
随分痛い目にも遭った。
「おまえなんかいらない」
何度言われたことだろう。
厳しい言葉を浴びせながらも、
未熟な私と手を組んでくださる方々があったおかげで、
なんとか生きていく術を身につけ、バブル期には
こなしきれないほどの仕事に恵まれるまでになった。
ところが程なくバブルが弾けて仕事は激減、
暗黒の九〇年代を迎えた。
転機となったのは二〇〇二年、
ある大学が横須賀市の商店街活性化のために立ち上げた
「まちなか研究室」に参画したことである。
企画はよかったが、現地の空き店舗に設けた研究室を
どう維持するかが問題になった。
そこで私は、生計の足しにするために習得していた
酒造技術を公開し、設備を原価で提供することにした。
さらに事業費として店主たちから一口一万円を集めて
ファンドをつくり、ワイナリーを設立。
商店街は活力を取り戻し、研究室はいまも
ワイナリーの運営とまちづくり活動を続けている。
このまちなか研究室が評判になり、
「ふるさと財団」からの紹介で総務省の民間人派遣事業に参画。
地域再生マネージャーとして最初に赴任した
熊本県荒尾市の二か所の商店街で、私は貴重な教訓を得た。
最初の商店街では当初、横須賀同様に
ワイナリーの立ち上げを提案したが賛同を得られず、
侃々諤々の議論の末、野菜の直売所をつくることになった。
実は一キロ先にできた巨大ショッピングモールによって
八百屋が潰れた経緯があり、私は一抹の不安を覚えていた。
ところが蓋を開けてみると周辺に住む高齢者の方々が
次々と買い物に訪れた。
あるお婆さんは手を合わせておっしゃった。
「一キロ先のショッピングモールまで歩いて行けないから、
週に一回タクシーで出かけていました。
近くに直売所をつくってくれてありがとう」
意図せずして私たちは、高齢化に伴う
「買い物難民」の問題を日本で最初に発見し、
その救済モデルを確立したのだった。
次の商店街でも米蔵の下屋部分に、
同じく野菜の直売所を開設すべく準備を進めていたが、
保健所から壁と天井をつくれとの予想外の指導を受けた。
一緒に開設準備をしていた地元の老人たちに、
とてもそんなお金は捻出できない。
諦めかけた時にあるお爺さんから
「加工品を置く場所だけ壁と天井をつくればよか!」
というアイデアが出て、無事開設に至った。
あいにくこの直売所は、直後に台風で大きな被害を受けた。
しかし自立心を取り戻した老人たちは自ら出資し、
補助金に頼らず新しい直売所を立ち上げ、
日商十五万円を実現。
現地を離れる時は涙が止まらなかった。
私はこの活動で国から地域活性化伝道師の称号をいただいた。
現場にたまに顔を出して机上のプランを押しつけたり、
偉そうにコメントするだけでは問題は解決しない。
補助金を申請してお金が下りるまで待っていたら
機を逸してしまう。
私は常に現地に居を構え、地元の方々と夢を共有して
一緒に汗を流すことを心懸けてきた。
その最中に現場から出てくる声を拾い上げ、
スピード感を持って反映していくことで、
思わぬ道が開けていくのである。
科学の偉大な発見が、失敗から偶然導き出されることが
しばしばある。いわゆる瓢箪から駒、怪我の功名、
金融工学でいう「創発」であるが、この創発こそが
まちづくり成功の鍵を握っていると私は確信している。
現在私は、総務省の地域おこし協力隊として
離島のまちづくりに派遣される若者たちの監督も務めている。
この就職難で、地方に自分の活路を
見出そうとする若者が増えているのだ。
よそ者の彼らは、地元の方々との関係に悩みながらも
優しく育まれ、少しずつ渦を巻き起こしつつある。
彼らの年収は概ね二百万円だが、
これはギリシャやスペインなど、
財政危機に直面するヨーロッパの国民の収入に近い。
そういう条件下で、彼らがまちづくりの
ユニークな成功事例を構築していけば、
世界の諸問題にも打開策を提示できる
グローカルな人材に育つ可能性も大いにある。
そのために大切なことは、人が見向きもしないところで
勝つまで挑戦を続けるような、
あるいは転んでもただでは起きないような執念と情熱である。
彼らの思いが地元の方々を動かし、創発をもたらすのである。
夜明け前は最も暗いという。
長らく低迷の続いた日本であるが、
志ある若者が増えている事実は、
この国にいよいよ夜明けが近づいている兆しだと
私は期待したい。
彼らの背中を押すとともに、
私自身も各地のまちおこしに力を尽くし、
日本再生のお役に立てれば幸いである。