松原 泰道(龍源寺前住職)
『致知』2008年9月号
「読者の集い」より
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これはかなり前のお話であります。
ある新聞を読んでいましたら、
女子高で教える三十歳くらいの国語の先生の投書が載っていました。
それを読んで私は非常に感動したんです。
当時の女子高の生徒でも、
やっぱり挨拶を全然しなかったといいます。
だからその先生がやり切れなくなって、
「そんなふうに黙っていたら、
家庭間も友人関係もうまくいかない。
就職してもうまくいかないから、
きょうからは少なくとも三つの挨拶を実行してほしい」
と言われたそうなんです。
先生が唱導されたのが
「ありがとう、すみません、はい」
の三つの言葉でした。
この三つさえ言えれば、交友関係もうまくいくし、
人に憎まれることも、人をいじめることも少なかろう。
君たちが上の学校に上がらず、このまま就職したとする。
その職場の中で皆が黙っていたら、
君たちが進んで大きな声で
「ありがとう、すみません、はい」
と言えばいい。これを繰り返せば、必ず事故が減る。
そして先生は三つの言葉の頭文字を取って
「あすは運動」と名づけたそうです。
私は、これはいいことを聞いたと思いましてね。
その後、いろんな会社やどこかでお話をするたびに、
この「あすは運動」をお勧めしたのです。
そうしたら確かに事故が減るんだそうですね。
皆さんも試しにやってごらんなさい。
ご家庭でも職場の中でもいいですから。
「ありがとう、すみません、はい」
この挨拶を繰り返していけば、自然に心が安らかになっていく。
これは禅語の上からも考えられます。
「ありがとう」という言葉は「感謝」と同義語になっていますが、
本来の意味は「有ること難し」です。
滅多にないということ。稀有の事実であります。
いまお互いがここに生きているということは、
考えてみれば稀有の事実です。
私なんか、後期高齢者も越えてしまって、
もう末期高齢者ですよね。
孫が挨拶代わりに「おじいちゃん、いつ死ぬんですか」
なんてことを聞いてきます(笑)。
この頃、朝起きて着物を着せてもらう時にしみじみ思うのですが、
あぁ、きょうもまた生きていた、と。
百歳を越えましてね。
何もかも人様のお世話になりながら、
生きさせていただいているんだということが、
本当に分かってまいりました。
有り得ないことが、いまここに有るんだという事実。
だから感謝の前に、まず、稀有の事実を知ることです。
それから「すみません」。
この言葉は若い女性が嫌うんです。
何にもしないのに「すみません」なんて謝るのは
侮辱だなんておっしゃるけれども、そんなふうに考えずにね。
すみませんとは、「謝る」という意味より前に、
「すんでいない」ということなんです。
決済をしていない、未済だということです。
皆様もお気づきでありましょうが、
私たちは自分一人で生きていられるんじゃなく、
大勢の人の力を借りて生きさせていただいている。
その恩返しがまだすんでいません、という深い反省の言葉なんです。
それを自分に言い聞かせる意味で「すみません」。
これなら気持ちよく言えるだろうと思います。
第三の「はい」は、単に人に呼ばれた時の返事だと思うから、
なかなか声が出てこないんです。
「はい」と返事をすることは、自分が自分になるということ、
自分自身を取り戻すことができるということです。
誰かに呼ばれた時にモゴモゴするよりも、
「はいっ!」と、こう返事をしてごらんなさい。
気持ちがスカーッとして、自分に出会うことができる。
だからそういう何でもないような挨拶や言葉の中にも、
これこれの意味が含まれているということを
考えていただければと思います。
(『致知』2008年9月号「読者の集い」より)