「森下自然医学」5月号が届きました。
「求道貫徹(徐福)・眷属安住(始皇帝)」と題しての連載『徐福伝説(其10)』。
河北省塩山県千童鎮には、今もなお『信子節』なるお祭りが伝承されているとか。
それは2200年前に、吾が子や同僚を東方の島に送り、帰郷を待ち侘びる催し物である。
河北省滄州市千童鎮のシンポジウムに参加したのは平成9年5月でした。千童鎮は北京から約200キロ。車で4時間のところにあり、天津市の南にあります。滄州市は、古来「武術の郷」として有名で、太極拳はじめ武術の達人が多く、武術学校が数百もあります。
千童鎮については、こう伝えられています。紀元前209年、徐福は秦始皇帝の命を受け饟安邑に城を築きました。「童男童女」、技術者を募って城に置き、衣服、食料、船舶などを準備。訓練を行った後、無隷川を経て、黄河河口から日本へ向け出港しました。このときから人々は饟安邑を、千童城とか童子城と呼び始め、今の千童鎮の地名の由来となったといいます。
シンポジウムに合わせて「千童祠城」の落成記念として信子節(しんしせつ)がありました。信子節とは、幼い子どもが東渡したものの帰国することはなく、故郷の人々は、遠くに去ったこの子どもたちを懐かしむため毎年旧暦3月28日、山に登り、戻ってくるのを祈りました。この風習は、次第に先祖をまつる行事として民間に広まりました。
本来の信子節は、60年に1回(申子年)開かれ、12台の山車が出ます。地方史によると漢時代からずっと行われてきたといわれています。このとき私が目にしたのは、4台の山車でした。それぞれ「饟安で徴募」「波をせめて東渡」「扶桑に芸を授ける」「東を望んで帰りを待つ」と書かれていました。
山車のスピーカーからは信子節の解説と音楽が流れ、その音色は、祭りによくある華やいだムードとは無縁で何とも物悲しいものでした。金立神社の50年に1度の大祭と何か共通点を感じさせたのは、私だけの思いでしょうか。(県徐福の会会員)
【写真】記念シンポジウムに合わせて特別に4台の山車が繰り出し、信子節の雰囲気を味わった=北省滄州市千童鎮、平成9年5月撮影
前回に引き続いて、一日青汁一杯の不食の人、森美智代さんとの鼎談。
今回も興味深い内容で引き込まれます。
脳波がθ波であると食欲をあまり感じなくなり、
しかも普通人には出ない尿中に「ケトン体」が出ているということです。
糖質がない時、代用として脂肪やアミノ酸が代謝して出る物質で、
飢餓中や糖尿病のときに増加するそうです。
人類は何万年も飢餓状態で居た訳ですから、先祖帰りした体質なのでしょう。
睡眠時間は3時間だそうです。
田中愛子先生の連載『食養を極める』7回目。
お父様の田中甚吉氏は、マッカーサー元帥と懇意の仲だったそうです。
当時、中国人を軽蔑していた日本人の中にあって、
お父さんは、ある日毅然として歩む中国人を見て、
「あれが本当の人間だ」と決して差別しなかった姿が心に焼きついたということです。
また、男爵芋の由来となった函館の川田男爵との関係もあったとか。
また古賀政男さんとの交友もあり、その幅広い人脈には驚くばかりです。
あのテクノAOの増川いづみさんが甲府に移り住んで、本格的なセミナーを開催されています。
水や電磁波などなど生命エネルギーに関しての見識は当代随一。
その中でも、最近は音に対しての啓蒙活動を盛んにされておられ、
癒しの528Hzの周波数による振動治療を行っており、注目されております。
編集部の山司氏や上記の田中先生も感銘を受けられたとか。
今後が楽しみですね。
今月号は、来月新発売になる「へうげ醤/ひょうげびしお」に関する記事。
5年前の「へうげみそ」に続き、同じ材料による醤油版が完成しました。
昨日、ラベルを送り、これから瓶詰めとラベル貼り、そして発送となります。
販売は、来月の「感謝デー」になると思います。
その詳しい由来記をこれから書きます。
大変な難関と幸運に恵まれた「へうげ醤」の船出です。
今後とも、ご愛顧のほどよろしくお願い致します。