初入荷!まほろば農園野菜!!!
日曜日, 4月 7th, 2013今朝、まほろば自然農園の野菜が、今年初出荷になりました。
今季異常な積雪量で、道内の農作業が遅れがちなのを嘆きます。
小別沢はまだ1mも雪があって、例年のように作業が進みません。
そんな中で、やっと芽を出し、茎を伸ばした葉物たち。
そのけなげな姿を見てやってください。
目下、小松菜と水菜の「サラダミックス」が出荷されます。
今年も、農園をよろしく見守ってくださいませ。
今朝、まほろば自然農園の野菜が、今年初出荷になりました。
今季異常な積雪量で、道内の農作業が遅れがちなのを嘆きます。
小別沢はまだ1mも雪があって、例年のように作業が進みません。
そんな中で、やっと芽を出し、茎を伸ばした葉物たち。
そのけなげな姿を見てやってください。
目下、小松菜と水菜の「サラダミックス」が出荷されます。
今年も、農園をよろしく見守ってくださいませ。
6日(土)、佐藤水産ホールで、小泉武夫先生の文化塾が開かれ、
「天下無敵の北海魚介」と題した講演会が行われた。
北海道の魚介類の豊富さ美味しさを語り尽くしたその語り口は
抱腹絶倒、みな笑い転げる楽しさで、自ら料理される先生ならではの内容。
TPP問題に言及するや、自給率が17%にまで落ち込むといった農水省の報告も伝えられた。
また鯨問題では、今若者たちに好まれ、
あれほど貯蔵された鯨肉が底を突くほどまで消費されているという。
また、次々と出版される先生の本は、驚くばかり。
中でも黒田征太郎さんの絵による、絵本『土の話』はすばらしい。
阿武隈弁で語る土自身が、放射能のことであれこれ訴え、
最後は、自分たちがその放射能を清めて、去っていった人々を、
再びと取り戻す、といった内容。
それは、土中微生物の働きによるもの。
内容は発酵学者・小泉先生と科学者仲間の立証を元に筋立てされている。
未来に希望と夢を抱ける内容。
そして訥々とした方言が、何とも言えない真実味を伝える。
4日から始まっている「うさと展」、今日が最終日。
嵐の日曜日、今のところ小康状態。
残す所、6時間。
お忘れのお客様、早くおいでください。
今回は、新しい助っ人に、前回の郷右近さんのお姉さまで、
関東で長くアイヌの唄い手として活躍している
お姉さんの床エミさんが、阿寒からお越し戴いています。
姉妹ユニットkapiw & appapo (カピウ & アパッポ)としての活動しており、
下の地下洞で、アイヌの伝承唄を唄って下さいました。
後ほど、公開しますね。
森 裕子(森からし蓮根17代目女将) 『致知』2013年5月号 致知随想より └─────────────────────────────────┘ いまから五十年ほど前のこと。 降り出した雨の中、慌てて道を渡ろうとしたことが すべての始まりでした。 当時十八歳だった私は、後に主人となる男性の車に 撥ねられてしまったのです。 幸い打撲程度で済みましたが、 彼は何度も見舞いに来てくれました。 驚いたことには、そのご両親まで 「これも何かの縁だ」と私のことを気に入ってくださり、 ぜひうちの嫁にと勧められるのです。 私はまだお嫁に行く気はありませんでしたが、 家の事情で上の学校に上がれなかった私に 「そぎゃん勉強がしたけりゃ、うちへ来てから学校へ行ったらよか」 というご両親の計らいがあり、 私はその言葉を百%信用して嫁ぐことに決めました。 嫁ぎ先の「森からし蓮根」の歴史は 寛永九(一六三二)年に遡ります。 先祖の平五郎は賄い方として熊本城に出入りし、 病弱だった藩主・細川忠利公のための健康食として、 からし蓮根を考案しました。 忠利公は大層喜ばれ、褒美として脇差し一振り、 小判十枚、苗字帯刀を許したといいます。 以来からし蓮根はお殿様の専用食として門外不出、 一子相伝で代々受け継がれてきたのです。 そして維新後の明治十年から現在の城下町に 店を構えるようになりました。 しかしいざ家に入ると、結婚前はあれほど優しかった主人が 「そぎゃんこつも分からんとか、バカが!」と 容赦なく私を怒鳴りつけてきます。 仕事も万事見て覚えろというやり方で、起床は午前三時。 毎日何百本もの蓮根を茹でたり揚げたりし、 昼からは店頭にも立たなければなりません。 義父母が猶予期間を与えず私に結婚を即決させたのも、 世の中を下手に見させまいとする判断だったのでしょう。 何より辛かったのは四十四年も続いた義母との、 嫁姑の確執です。