「市井の剣道」
月曜日, 4月 8th, 2013 一川 一(いちかわ・はじめ=剣道教士八段)
『致知』2013年5月号
致知随想より
└─────────────────────────────────┘
中学時代に剣の道に分け入り、
気がつけば早半世紀以上が経ちます。
修練を重ねるほどにこの道の奥深さ、険しさを痛感するいま、
私の大切な拠り所となっているのが、父の遺してくれた教えです。
範士八段、当代一流の剣道家にして
野田派二天一流第十七代でもあった父は、
終生求道の歩みを止めることなく、
その人生を通じて得た様々な学び、
悟りを膨大な紙片に書き遺しました。
「剣道は、元来、相殺傷する技術を学ぶので、
残忍殺伐な道のように思われるむきもあるが、
決してそのようなものではなく、
あくまで教育的、道徳的な体育であり、精神修養法である」
「剣道で、勝ちさえすればよいという試合や、
それを目的とした稽古をしていたのでは
決して本物にはなれない。
目先の勝敗にとらわれず、基本に忠実な正しい稽古を
地道に積み重ねる。
稽古の本旨はここにあり、それが大成への大道である」
最近の剣道は、父の説く「大成への大道」から外れ、
勝ち負けにばかり目を向けがちなことが気掛かりです。
大会などで華々しく活躍するのはごく一部の人であり、
大半はそうした華やかな場とは
あまり縁のないところで黙々と修業に励む
“市井”の剣道家です。
では、試合という目標のない剣道家たちが
目指すべきものはなんでしょうか。
私は剣の五徳、
即ち正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲だと考えます。
もちろんこれは、大会に出場する人も目指すべき普遍的な目標です。
父の生前、こんな諭しを受けました。
「お前は道場の門をくぐる時、『よし、やるぞ』と
両刀手挟んで入ってくるが、それは逆だ。
日常こそが本当の真剣勝負の場であり、
道場から出て行く時にこそ気を引き締めなければならない」
確かに道場の中は、防具を着け、
指導者の下で技術を修める場にすぎません。
剣道家としての真価が問われるのは
まさに日常の場なのです。
同じく剣道を学んでいた兄は、大学時代に
九州チャンピオンになるほどの腕前でしたが、
就職後は竹刀を握る機会もなく、
職場での苦しい胸中を父に打ち明けていたのを
側で聞いたことがあります。
父は兄に「お前は剣道を学んできたのだろう」とたしなめ、
こう諭しました。
「剣道の技量を伸ばすには、
厳しい先生にかからなければならない。
職場も一緒だ。厳しい上司に打たれても、打たれても、
『お願いします』と真摯に向かい続けなさい」
自分の弱さを隠すことなく、真剣に打たれること。
打たれる度に反省し出直すこと。
兄は父のアドバイスを心に努力を重ね、
その後営業でトップの成績を収めました。
いくら剣道の修練を積んでも、
それで生計を立てていくわけではありません。
大切なことは、道場で学んだ業を
一般社会で実行していくこと。
修業から修行へと昇華していくことです。
剣道の稽古は自分一人ではできません。
相手があって初めて成り立ちます。
そして相手は打ち負かす敵ではなく、
自分を育ててくれる師なのです。
Posted by mahoroba,
in 人生論
コメント入力欄こちらからコメントをどうぞ »