「思い出を奏でる津波ヴァイオリン」
日曜日, 6月 9th, 2013中澤 宗幸(ヴァイオリン製作者・ 財団法人Classic for Japan代表理事) 『致知』2013年7月号 致知随想より 東日本大震災から一年が経った平成二十四年三月十一日。 岩手県陸前高田にある“奇跡の一本松”の下で、 一つのヴァイオリンが産声を上げました。 その鎮魂の音色が奏でられた時、 私はまるで自分の子供が産声を上げたように感じ、 思わず涙しました。 そしてその声が成長し、やがてしっかりした言葉を 出せるようになってほしいと心から祈りました。 津波の流木から作ったヴァイオリンを 世界中の演奏家がリレーして演奏する、 「千の音色でつなぐ絆プロジェクト」が 第一歩を踏み出した瞬間でした。 私は長年ヴァイオリンの製作・修復に携わってきた 一介の職人にすぎませんが、先の震災には大変な衝撃を受けました。 幼い頃から自然に親しんできた私は、 やはり人智では及ばないものが この世にはあるのだという畏怖の念を改めて覚え、 大津波の映像を前に、ただ呆然としました。 そのような時、妻がテレビに映された瓦礫の山を見て、 涙ながらに訴えてきたのです。 「これは瓦礫の山じゃなくて、 そこに暮らしていた人たちの思い出の山じゃない? 柱や床板などの流木を使ってヴァイオリンが作れないかしら」 その妻の言葉と共に、私の脳裏に、 もう四十年も忘れていたギリシアのある 美しい詩が蘇ってきたのでした。 「山に立っていた時は木陰で人を憩わせ、 いまはヴァイオリンになって歌で人を憩わしている」 そうか、あの無残に積み上げられた瓦礫の山も、 かつては家屋の材料であり、 その家で起こったいろいろな出来事を知っている。 私もあの流木からヴァイオリンを作り、 再び人々を憩わせることができたなら……。 その想いは抑え難く、私はすぐに 岩手の陸前高田に向かったのでした。 悪路を二時間以上かけて迎えに来てくれた 知人の車から見えた景色――。 テレビ映像のように生易しいものではない、 現地ならではの異様な雰囲気に圧倒されました。 私は被災地を歩き回っては材木を拾い集め、 それを製材所へ運んだり、東京の工房へ送る手配をしたりしました。 瓦礫からヴァイオリンを製作した一番の目的は、 震災の記憶が人々から風化してしまわぬよう、 また、多くの人の思い出や歴史を刻んだ材料で 作られたこの楽器の音色が、 亡くなった方々への鎮魂と祈りとなってほしいということでした。 妻の言葉から生まれたこの取り組みは、 知人たちの助けと、世界中の音楽家から賛同を得て 「千の音色でつなぐ絆プロジェクト」として 一年後の演奏に結実することになりました。 このヴァイオリンの修復・再生活動の原点は、 私自身の幼少期の体験に根ざすものかもしれません。 ※この続きは『致知』7月号(P89~90)をご覧ください。