まほろば本店の近くに「笑福の湯」という老舗の銭湯がある。
私は、体がこわばると、直行して心身ともにほぐす、・・・・
いわば、かかりつけの医者ならぬ、かかり湯の湯治場なのだ。
何せ、43度以上もある湯が中心にデンと構えてあり、
ものの何秒も耐えられるか、すぐ降参して飛び上がる御仁が多い。
そこで、水を足すやからがいると、
すかさず「バカヤロー!水を入れる奴がいるか!!」との怒声が飛び交う。
途端に、威勢のいい喧嘩がはじまるのだ。
と言っても、そんな修羅場は、そうあるものでないが、とにかく皆日参するファンが多い。
ボーリングして当てた鉱泉水が、これまた冷たい上に冷たい。
サウナの後の、この冷水浴がなんともたまらないのだ。
今どきの、あちこちに乱立するビッグな大衆浴場大繁盛の中で、
こじんまりとした昔風のここに戻ってくる人が多い。
熱源に廃材を使っていることも、人気の的になっているのかもしれない。
年中、材木をきらさないのだから、いかに建て替える家が多いことか。
これもリサイクルのエコ精神で、廃棄料がかかる土建やさんは大助かりだと言う。
熱にも、ガスや重油にない本物さを感じるのか、湯のぬくもりが全く違うのだ。
熱さと冷たさが同居するこの銭湯は、
小さくとも、多くの人の心をしっかと掴んで離さない。
この3月の雪の夜、例の如く風呂に入り、サウナで座っていると、
見知らぬ隣の旦那と、モソモソと話し始めた。
実はその日、入ってビックリしたのだが、風呂場に富士山の絵が描かれてあった。
いかにも、昔の風呂やさんに、舞い戻った感じなのだ。
何と、そのおやじさんこそ、昨日から一日で男女の風呂場に見事に絵を書き上げた絵師だったのだ。
聞くところによると、日本に2人の風呂絵師しかいなくなったと言うことだ。
そこで、「どこにお住まいで」と聞くと、
「東武練馬の自衛隊の近くだ」と、のたまわれる。
「えっ、私、若い頃、その辺に住んでいました」とばかり、急に心が接近しだした。
「ところで、男湯のこの富士山、どこから描いたのですか」と訊ねると、
「あぁ、そこは富士吉田の手前、登山口から描いたんだ」。
「えぇ、うちのじいさんが生まれたところですよ」。
と、たわいのない話の中にも、因縁を感じて、
こうして居るのも、何か眼に見えない糸で繋がっているんだなーと感心してしまった。
それから、しばらくして、地方紙にその画が話題になり、
ある茶道の先生から戴いた「なごみ」という雑誌に6pにわたって、
あの時の絵師さんが載っていて、びっくり。
中島盛夫さんという有名な画家で、全国をかけづり回っているとか。
その数ヶ月後に、富士山が「世界文化遺産」に認定され、その前触れだったのか。
確かに、富士山の絵をを眺めて、いい気持ちになって、
一日の疲れを癒している今日この頃の私であります。