まほろばblog

Archive for 7月, 2013

『祖の地、祖の心』、「森下自然医学」8月号から

木曜日, 7月 18th, 2013

表紙

届いた「森下自然医学」8月号。

巻頭随想は会長の『徐福伝説』(補遺)。

文化遺産に指定された富士山を取り巻く「高天原」伝説から、

会長の生誕地・津久井、さらに徐福の飛翔した都留。

人は、何らかの巡り回る地の因縁で現在の生がある。

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早速、先月末に行った江蘇省・南通市の長寿調査と徐福の故郷・連雲港視察一行の

写真トピックスが掲載されました。

会長は、4,50年に亘って世界の長寿郷を回った旅人です。

人生は百代の過客・・・と言いますから、人生そのものが旅なんですね。

 

カラー版

 

田中あいこ先生講演会

 

田中愛子先生の燦々会の講演録「生かされて」が、掲載されています。

90年も人生を歩まれると、一言一言に心に伝わる調べがありますね。

年輪を重ねることは、素晴らしいことですね。

 

増川さん記事

 

新連載「感じるちから」は、新登場の増川いづみさん。

増川さんの話される言葉に、いつも勿体無いなー、記録すべきなのに・・・

と思わず、言ってしまうほど、珠玉の知識と経験がちりばめられています。

今回、連載で、ようやくそれが活字になり、人の目に触れられて素晴らしいな、と思いました。

 

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今回の徐福伝説の解説。

会長の講演にもありました、秦の始皇帝は徐福の日本永住を知って送り出した、

という新事実の裏には、始皇帝亡き後の高官たちの暗躍を予期してのことだった事を、

明記しています。これは、驚くべき内容で、必読のメッセージでもあります。

 

祖の地、心

 

今回の「倭詩」は『祖の地、祖の心』と題しての連雲港に行った感想です。

奇しくも、同じ日に同地で、孔子と徐福の子孫に会い友人になることが出来ました。

その顛末を描きましたが、何か強い祖先の糸に引き寄せられたように思えました。

これから長いお付き合いになると思いますが、日中友好の絆として、

民間レベルで、交流の場を拡げて行きたい、と強く感じました。

とても有り難い、今回の視察旅行でした。

未来に繋がればと望むところ切なるものがあります。

 

大内さん

 

今回同行しました、鍼灸マッサージ学校の先生をされている大内晃一さんと親しくお話をする機会を得ました。

若くして深く身体や人生を思考実践されていることに、大いに感心しました。

示唆を受けることも多く、これからも色々学ぼうと楽しみにしております。

彼の連載「医(旧字)をめざして」は、読み応えのある為になる内容です。

(まほろば扱い ¥472)

「いや、大丈夫。もう一回やりなさい。有美ならできるから」

木曜日, 7月 18th, 2013
  佐野 有美(さの・あみ=車椅子のアーティスト) 

              『致知』2013年8月号
               特集「その生を楽しみ その寿を保つ」より

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【記者:小さい頃にご両親から特訓を受けられたと
    おっしゃっていましたが、
    どのようなことをなさっていたのですか?】

皆さんもなんで手で食事をするのって
急に言われると困るじゃないですか。
それと同じように私も唯一あったこの三本の指で、
ごく自然と周りのものを触ったり、掴んだりしていたようです。

それを見た母が、

「あれ? もしかしたら足でいろいろできるんじゃないか」

と思ったらしく、積み木やおもちゃで遊ばせたり、
フォークやスプーンを持たせてくれたんです。

三歳の時、あゆみ学園という
肢体不自由児施設に一年間だけ通っていたのですが、
そこで着替えの練習をしていた記憶があります。
これは私の中で一番嫌な訓練でしたね。

フックのついた柱が二本あって、
その間にパンツやTシャツをかけておくんです。
そこをお尻で移動して、脱いだり穿いたりする
練習をしたんですけど、なかなか上手くいかない。

私が「できない」って言うと、
母は「やってみなきゃ分からない」と。

ところが、何回やってもできないわけですよ。
それで段々嫌になってしまったんです。

ただ、どんなに弱音を吐いても、

「いや、大丈夫。もう一回やりなさい。有美ならできるから」

と言って、母はとにかくやめさせてくれませんでした(笑)。

そうやって毎日、毎日、言われるがままにやっていたら
ある日、Tシャツを着ることができました。

その時、母に

「ほらね。やっぱり有美はできるんだよ」

って言われたのが凄く嬉しくて、
そこからどんどんチャレンジ精神が出てきました。
そのうち道具を使わずに、足でTシャツの裾を引っ張って
着脱したりと、自分でいろいろ考えていけるようになりました。

私は、他人と同じ方法ではできません。
ピアノを弾いたり、字を書いたり、
裁縫とかも自分なりに工夫してできるようになりました。

それから、小学校三年生の時に水泳で
二十五メートル泳ぎたいって思ったんです。
一般学校に通っていたので、私以外はみんな手足があって、
普通に泳いでいました。

それを見て、私もみんなのように泳ぎたいなと。
そしたら父が協力してくれて、
どうやったら泳げるか一緒に考えてくれました。

そして辿り着いたのが有美泳ぎ(笑)。

バタフライのように体全体をうねらせるんです。
息継ぎする時はクルンと仰向けになって、
またクルンと戻る。

それなら泳げるんじゃないかということで、
地元の市民プールで父と特訓を始めました。

ところが、何度も溺れるんですよ。
それで水が怖くなってしまって、やっぱり私には無理だと。

でも、その時に父が

「ここで諦めていいのか?
 さっき一人で五メートル泳げただろ。まだ行けるぞ」

って励ましてくれたんです。

「そっか、私の目標は二十五メートルだ。
 諦めるわけにはいかない」

と思い直して、頑張って練習を重ねて、
遂に二十五メートルを泳ぐことができたんですよ。

そしたら父が

「学校でも泳いでみろ。もっといけると思うよ」

と。それで先生に
「限界まで泳がせてください」とお願いして、
クラスの皆に見守られながら泳ぎました。

ターンの際は、片足を水中で回し、
体を半回転させて短い足で壁を精いっぱい蹴る。
そして、顔を上げた瞬間、もう先生も友達も大拍手。
気づいたら百メートルも泳いでいたんです。

あの時の達成感はもう本当に忘れられません。
いま振り返ると、初めて心の底から
諦めないでよかったって思えた瞬間だったと思います。

●車椅子のアーティスト・佐野有美さんのお写真はこちら
 <※誌面未公開写真もあります>

http://ameblo.jp/otegami-fan/entry-11572685031.html

虹の戦士

水曜日, 7月 17th, 2013

山口由香 記事

 

「あやの森」山口由里

7月23日~29日まで全道7か所で虹の戦士というネイティブアメリカンの人が

伝えている語りとインディアンドラムの響きのイベントを

あやの里あやの森プロジェクトで企画デザイン、主催あやの里あやの森+各開催場所で予定してます。

 

3.11以降、2011秋に私は、原発事故のあと、関東圏の若者はどう感じているのか知りたくて、

虹の戦士のお話しを翻訳した北山耕平さんのワークショップに参加しました。

そこでもいろんなことを感じ、今日本、私自身はどうしなきゃいけないんだろうとか

東北に行きながらも、いろいろ考えました。

 

その縁で、今回二人を東京にきてもらうことにしました。

私は彼女たちと一緒に全7か所回ります。

語りとインディアンドラムも大事なのですが、参加したみなさんと

3.11以降にみなさんがどのように感じて暮らしや方向性を見出しているのか、

環になってシェアしたいのです。

そんなこともあり、企画しました。

 

こちらのイベントのちらしを添付しますので、ブログに掲載していただけるとうれしく思います。

 

このお二人は8月のうさと展でも4日間お手伝いにきてくださります。

 

今回選挙もありますが、これは地球全体がこれからどうなっていくか大事な選挙。

無関心ではいられません。

それほど、日本はポイントの国であり、さらに北海道も然りです。

 

以下は虹の戦士とは。今回どんな内容の企画か文面お送りします。

ちらしと重複している箇所もありますが、お送りしておきます。

 

虹の戦士 1

 

7月23日満月~29日まで、北の大地で北斗七星が瞬きます。

 

全道7か所で、虹の戦士の語りと大地のうた、インディアンドラム

の集いを開催!母なる地球の一員として、何をすべきか?

どうすすむか?ローカルコミュニティにてワイドに地球家族の視点でシェアしよう!

この現代、何を得て、何を失ったのでしょう?

 

【虹の戦士とは?】

 

アメリカインディアンが信じ続けてきた最後の再生の物語

 

地球が病んで動物たちが姿を消し始める時、まさにその時、みんなを救うために 虹の戦士があらわれる。

 

… 自分が好きになれるような世界を創るためになにかを自発的に始める人

 

「火の瞳 アイズ オブ ファイアー」と呼ばれる老婆が残した予言。

現代を生きる一人の少年が自分の中に眠る『何か』の存在に気づき

探す旅~

 

現代に諦めさえも見ていた老婆と共に。。。

 

特に、3.11以降みなさんが何を感じ、どう暮らしを見つめているのか?

ローカルコミュニティの発信地である各開催場所において、

みなさんと語りや音楽の後、感じてること、

共有できる時間がもてればいいなと思います。

 

総合企画デザイン・コーディネーター

あやの里あやの森プロジェクト アグネス(山口由里)

 

主催 あやの里あやの森プロジェクト+Bar OLd  みんたる こぐま座 ツムギテ、ポロンノ、ラフラのみなさん

 

虹の戦士 2

 

『語り』阪口火菜子

 

芝居、ちょっとしたカフェ経営、イベント主催などをしながら地球を旅する

パフォーマンスのツアーで訪れた、カナダの地で

たまたま出会ったインディアン・クリー族の人達を

第二の家族と感じ、2007年から毎年里帰りをし、

 

彼らから受け取ったメッセージを日本に渡すワークを試みながら歩く

大事な人達と地球の平和、そして調和した世界を求め、

独自のアンテナを張りながらそれに反応し、共鳴し続ける

http://firena.jugem.jp/

 

 

『インディアンドラム&うたうたい』雅紀与

 

大地の唄うたい<雅紀与の紹介>

 

http://makiyo715.jimdo.com/

 

横浜うまれのシンガーソングライター。

2009年11月、「雅紀与」として本格的に活動を開始。

翌年2010年にギタリスト佐藤克彦Produceのもと~1枚目となるCD『ONE』を発売。

湘南方面を中心に活動を広げ、2011年にはアメリカ・シアトル周辺でネイティブアメリカンのインディアンフルート奏者と共にライブツアーをした。

最近では県外へのツアーも勢力的に始めており、多くの人や場所に~大地から受けた心の「うた」を届けている。

スタイルとしてはオリジナル曲を中心にギターで弾き語り、そしてインディアンドラムとともに歌う。

力強くもあり、優しい歌声の持ち主で、「大地のうたうたい」といわれている。

いのちうた:http://www.youtube.com/watch?v=wDwzXKpaOf0

 

7月23日(火)満月 苫小牧 Bar old 18:30開場 19時半~21時半

料金は2000縁(ドリンクは別途注文)

苫小牧市新中野町2丁目7-19  36号線沿い、苫小牧の自遊空間を入ったとこ。

 

7月24日(水)   札幌  みんたる 18:30開場 19時~21時

2000縁(ワンドリンク付)

その後交流会あり(別途料金)

札幌市北区北14条西3丁目2-19

アクセスはHPを参照(http://mintaru.com/2011/doc/?r=4)

 

7月25日(木)   長沼  こぐま座 18:30開場 19時~21時

2000縁(ドリンク別途注文)

終了後 交流会あり(1000縁)

北海道夕張郡長沼町東2線北9

地図はHPに掲載(http://kogumaza.com/info/)

 

 

7月26日(金)   旭川  ツムギテ 18;30開場 19時~21時

事前予約 2000縁 当日 2500縁(ワンドリンク付)

北海道旭川市緑が丘3条3丁目1-11

3丁目プラザ一階 地図は、ツムギテHP参照(http://ameblo.jp/tsumugite/)

 

 

7月27日(土)   阿寒  ポロンノ 22時~

2000縁(ワンドリンク付)

釧路市阿寒町阿寒湖温泉4-7-8 地図はHPを参照(http://www.poronno.com/time-map/)

定員は20名くらいです!

 

 

7月28日(日)   帯広  ラフラ  18:30開場19時~21時

予約 2、000縁   当日2,500縁(お茶いろいろあり)

帯広市西1条南28丁目4番地

地図 http://www.npo28.com/contact.html

 

 

7月29日(月)   清水  あやの森 13:30開場 14時~16時

事前予約 2000縁 当日2500縁(お茶あり)

あやの森(清水町旭山2-55)

※清水旭山コニファーというキャンプ場裏があやの森です。

(http://www.navitime.co.jp/poi?spt=02008.SO86307)

※雨の場合はあやの里(清水町旭山31-86)旭山福祉館裏

※野外なので、虫よけスプレーなど、装備してください。

共通子ども料金 中学生以下 1000縁

幼児     500縁

三歳以下     無料

 

 

問い合わせ先 あやの里あやの森プロジェクト

山口由里 090-5222-5460

「もう駄目だ そこから本当の人生が始まる」

水曜日, 7月 17th, 2013
    梶山 祐司(元競輪選手)
        『致知』2004年7月号
               致知随想より

└─────────────────────────────────┘
二年前、私は通算三十四年に及ぶ
競輪選手生活にピリオドを打ちました。

もともと運動神経がよいほうではなく、
走るのも速くはなかった私にとり、
競輪人生は試練の連続でした。

努力が結果に結びつかない現実にも幾度となく直面しました。

しかし、日々の練習や勝負の中で、
私は人生の宝物ともいえる
掛け替えのない学びを得ることができたのです。

家が貧しかったため、兄は中学を出て
すぐ働きに出ていました。

私も将来を考える時期に差し掛かった頃、
たまたま兄に連れていかれた競輪場で、
人間が自らの力で生み出すスピードの凄さに
たちまち魅了されました。

こんな素晴らしい世界で日本一になってみたい――
強い思いに突き動かされ、
私は競輪選手を目指すことにしたのです。

プロになるためには、まず競輪学校へ
入学しなければなりませんが、
定員の十倍もの志望者が殺到します。

資質に劣る私は、とにかく人の何倍も練習しようと決意し、
多い日は夜中の一時半からその日の二十一時まで二十時間近く、
限界を超える鍛錬を積んで合格を果たし、
入学後も人一倍練習を重ねてプロになったのです。

当時、競輪選手は四千人以上いました。

レースは実力別に七つのクラスに分けて行われ、
これも当時の頂点であったA級一班の百二十人に
入ることを目指してしのぎを削るのです。

もちろん私の目標もA級一班でしたが、
とても口には出せませんでした。

周りはインターハイの優勝者など、
桁外れの脚力の持ち主ばかり。

一方私は、競輪学校のコンピュータによる体力分析で、
プロでは勝てないと指摘されていたのです。

しかし私の視野には、苦労して
プロの切符を手にした競輪の世界しかありませんでした。

三年やって駄目なら死ねばいい。
その代わり命懸けで三年やろうと決意しました。

早朝に静岡市内の自宅から御前崎まで往復八十キロ、
朝八時に再びサドルにまたがり河口湖まで往復二百キロ、
戻ってくると競輪場で十九時までスピード練習を行い、
さらに二十時から大井川方面まで走って二十二時に帰宅。

少ない日でも一日二百キロ、月六千キロ、年間七万二千キロ、
死にもの狂いでペダルを漕ぎ続けました。
私以上に練習した人はおそらくいなかったと思います。

最初はなかなか勝てませんでしたが、
三年経つ頃には努力が確実に成績に結びつくようになり、
八年で念願のA級一班入りを果たすことができたのです。

コンピュータで筋力は分析できても、
人間の気力までは分析できません。
気力さえあればデータなど吹き飛ばして
やり遂げることができるのです。

しかし、そこからの道のりも決して平坦ではありませんでした。
度重なる練習やレース中の事故で
延べ五十本にも及ぶ骨折に見舞われましたが、
そこから再起しました。

一番大きな怪我は頸椎の骨折でした。

「もう駄目だ」、何回も何回も思いました。
やめるべきか、再起すべきか。
もし再度落車すれば半身不随の可能性もある。
悩みに悩みましたが、再起の道を選びました。

心の支えになったのが須永博士さんの詩でした。

「“もうだめだ”

 そこから人生が

 はじまるのです

 そこから

 本当の自分を

 だしきって

 ゆくのです

 そこから

 人間這いあがって

 ゆくのです

 “もう駄目だ”

 そこからもっともっと

 すごい強い自分をつくって

 ゆくのです」


苦しい時、本当の自分が姿を現します。
そこで駄目になるのも自分、
もっと凄い自分をつくっていくのも自分。
そこから本当の人生が始まるのです。

日韓友好海苔の絆

水曜日, 7月 17th, 2013

後藤翁とともに

 

プレマの岸真規子記者から、「日韓友好海苔」の販売開始とHP記載のお知らせがありました。

その素晴らしい充実した内容に、ビックリしました。

http://www.binchoutan.com/kakehashinori.html

春の東京銀座での後藤翁の出版記念会で、翁はなお意気軒昂で元気そのもの!!

これも日韓を掛ける橋にイノチをかけているせいだと思います。

真夏の素麺に塩気の効いた海苔をかけると一層美味しく召し上がること受け合いですよ。

韓国人の本質 本

「ぜひともたくさんの方々に

この愛のお海苔を召し上がっていただきたいです。 

後藤社長のお気持ちが、多くの皆さんに届き、

日韓の友好がもっと深まっていくこと、願ってやみません。」

by 岸記者

 

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福田さんのコンサート

火曜日, 7月 16th, 2013

福田 コン 1

 

 

 

福田 コン 2

「無限の力」

月曜日, 7月 15th, 2013
 尾崎 まり子(主婦、喫茶店勤務)
            『致知』2004年7月号
               致知随想より

└─────────────────────────────────┘

  突然、それは本当に突然でした。
  四年前になります。

  お正月を過ぎてほどない日の午後、
  息子の功が意識を失って倒れたのです。

  不整脈から心肺停止状態に陥ったのでした。
  小学生から野球に熱中し、中学生になると
  浦安リトルシニアに入り、やがては甲子園出場、
  巨人入団を夢見ていました。

  そんな作文を小学六年の時に書いています。

  中学三年で身長百七十六センチ、体重六十三キロ、
  鍛えた筋肉質の身体は頑健で、
  学校は無遅刻無欠席、病気らしい病気を知らずにきた子でした。
  それだけに突然の異変は驚きでした。

  それから四か月、何度も訪れた危篤状態を
  驚くような生命力で乗り越え、
  平成十二年五月二十日、功は天国に旅立ちました。
  十五歳八か月の人生でした。

  振り返ると、一日二十四時間では
  とても足りないような毎日を過ごした子でした。

  中学生になると、土日は野球の練習や試合でいっぱい。

  学校では生徒会役員を一年生からやり、
  三年では学級委員長も務めました。

  それだけでも手いっぱいなのに、
  部活動ではバスケット部に入りました。

  苦手の英語も、英会話で進める授業の面白さに引かれ、
  その勉強もしなければなりません。

  野球の仲間、クラスメートとの遊びもあります。

  あれもやりたい。
  これもやりたい。
  でも、功はこだわりの強い性格なのでしょうか。

  中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。
  徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。

「ああ、時間が欲しいよォ」

 いまでも功の声が聞こえるような気がします。
  あんなふうに生きたのも、自分に与えられた
  時間の短さを予感していたからなのかもしれません。

  といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。
  いささか恵まれているといえば背の高さぐらい。

  まず運動神経も人並み、頭脳のほうも
  人並みというのが率直なところです。

  だから、何かを達成しようと思えば、
  努力しなければなりません。

  野球でレギュラーになるのも努力、
  生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。
  そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、
  小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。

  いつごろからか、功はそのことを
  「無限の力」という言葉で表現するようになりました。

 「誰にでも無限の力があるんだよ。

  無限の力を信じれば目標は必ず叶うんだ」


  お母さん、これだけはちゃんと聞いてくれよという感じで、
  夕餉(ゆうげ)の食卓で功が言ったことを、
  昨日のように思い出します。

 「無限の力」で忘れられないのは、
  やはり中学三年の時の校内合唱祭でしょうか。

  音楽が得意というわけでもなく、楽譜も読めない功が、
  自分から立候補して指揮をすることになったと
  聞いた時は驚きました。

  それからは楽譜と首っ引きで指揮の練習です。

  腕を振りすぎて痛くなったり、
  クラスのまとまりの悪さに悩んだり、
  いろいろとあったようですが、
  功は「無限の力」を学級目標にかかげ、
  みんなを引っ張っていったのでした。

  そして、クラスは最優秀賞、自身は
  指揮者賞を受けたのです。名を呼ばれ、
  周りにピースサインを送り、
  はにかんだ笑顔で立ち上がった功。

 「無限の力」は本当だと思ったことでした。

  その二か月後に功は倒れ、帰らぬ人になりました。

  しかし、私が「無限の力」を実感するようになったのは、
  それからかもしれません。

  一緒に野球をしてきた親友は功の写真に、
  「おれがおまえを甲子園に連れてってやる」と誓い、
  甲子園出場を果たしました。

  「功が言っていた無限の力を信じて、看護師を目指すよ」

  と報告してくれた女の子もいました。

  出会い、触れ合った人たちに何かを残していった功。
  それこそが「無限の力」なのでしょう。

  私も、と思わずにはいられません。

  自分の中にある「無限の力」を信じて、
  自分の場所で、自分にできることを精いっぱい果たしていく。

  そういう生き方ができた時、
  功は私の中で生き続けることになるのだと思います。

  先日、用事があって久しぶりに
  功が通っていた中学校を訪れました。

  玄関を入って私は立ちすくみ、動けなくなりました。

  正面の壁に功の作文が張り出されていたのです。

  それは功が倒れる数日前に書いたものでした。

  あれから月日が経ち、先生方も異動され、
  功をご存知の方は三人ほどのはずです。

  それでも功の作文が張られているのは、
  何かを伝えるものがあると思われたからでしょう。

  これを読んで一人でも二人でも何かを感じてくれたら、
  功はここでも生きているのだと思ったことでした。

  最後に、拙いものですが、功の「友情」と
  題された作文を写させていただきます。

 《私にとって「友情」とは、
  信頼でき助け合っていくのが友情だと思う。

  そして、心が通い合うことが最も大切なことだと思う。

  時には意見が食い違い、言い合う事も友情のひとつだと思う。

  なぜなら、その人のことを本気で思っているからだ。

  相手のことを思いやれば、相手も自分のことを
  必要と感じてくれるはずだ。

  私には友が一番だ。

  だから、友人を大切にする。

  人は一人では生きられない。

  陰で支えてくれている人を忘れてはいけない。

  お互いに必要だと感じることが、友情だと思う。

   尾崎 功》

へうげ醤、『マガジン762』に

水曜日, 7月 10th, 2013

 

へうげ醤 記事 三角山

三角山放送局の情報誌『マガジン762』に、「へうげ醤」が掲載されました。

地元から愛される醤油になりたいものですね。

ものは、行くべきところに行く

水曜日, 7月 10th, 2013

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6月24日に清水町の「あやの里」で行われた『わいわいまつり』。

私は、残念ながら中国で行かれず、小原君が張り切って荷物を沢山つんで、いざ!!

ところが、途中、高速でバンがストップ。

ミッションの不具合で立ち往生、止む無くレッカーで・・・・・。

という訳で、今回は参加できませんでした。

ごめんなさい。

やんじー 旗

 

 

先日、山口県の吉松さんから戴いた東北の心・大漁旗が「あやの里」の森に、

このように見事、大きく掲げられました。

ここでこそ、光りますね。

意義あるヤンジーのところでこそ、この旗は嬉しそうですね。

吉松さん、ありがとうございます。

 

 

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ヤマヒサさん来店

水曜日, 7月 10th, 2013

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先日、ひょっこり、小豆島のヤマヒサさんの次男・植松隆次郎夫妻が来店されました。

お友達の結婚式の帰りだそうです。

彼は、麦と大豆の麹造り担当責任者なので、現場の話を聞くことが出来ました。

今回の「へうげ醤」の古式醸造のDVDを見て、

今全国的にみてもここまで古いのは無いのではと、語っていました。

それにしてもまほろばの棚を見て、本州では、

このように醤油の一升瓶を並べて売っている所は珍しいのだそうです。

それを聞いて、こちらがビックリ!

ほとんどが5合瓶や300mlの小瓶が主流だそうです。

北国だから、1升瓶でも常温で持つのですね。

一年中、変化があり過ごしやすい北海道を有り難く思います。