まほろばblog

Archive for 8月 13th, 2013

妙子さんの『大貫米』初出荷!!

火曜日, 8月 13th, 2013

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シンガーソングライターの大貫妙子さんが作られた「あきたこまち」米を、

この度、まほろばで扱うことになりました。

無論、農薬・化学肥料無使用です。

秋田県三種町で、手ずから栽培し、モミのままで保存したもので、

劣化せずに鮮度が良く、きめ細かい優れた味わいです。

とはいっても、30kg原袋が4袋だけですので、 すぐ完売してしまいます。

今秋の新米の時期に、再びお知らせ出来ることを

楽しみに待ちたいと思います。

 

大貫米 写真

 

大貫妙子さんのブログ・『田植えの季節』より・・・・・・・。

2009.04.28UP

田植えの季節

photo by Kouji Sato

秋田でお米つくりを始めて、3年目になる。 それ以前は、栃木の田んぼへ手伝いに行っていた。 最初は慣れない格好で、筋肉痛になったけれど 今は身体が覚えてくれたようだ。 無農薬のお米を育てるのは大変だ。 何がって? 草取りが!! 農家の方は慣れているので、はやいことはやいこと。 秋田の三種町にある私の田んぼでは780キロのお米が 収穫できる。 我が家だけでは食べきれない量なので 友だちと分け合い、身近な知り合いにも買ってもらう。 それがえらく評判がいい。 私は玄米で食べるので、今までもいろいろ食べてきたが やはりいちばん美味しい。

田植え

三種町は「じゅんさいの里」で有名なところ つまり、水がいいのだ。 私の田んぼも山の際にある、じゅんさい畑を育てる水でお米をつくる。 早起きして、一仕事終えると 田んぼの持ち主の近藤さんの建てた山小屋での宴会。 どちらかと言えば、こっちが楽しい。 秋田といえば、やっぱり、きりたんぽ鍋。 じゅんさいや山菜がたっぷり入っている。 これをほんとのご馳走と言うのだ。

きりたんぽ鍋

そして、ご主人と飲む。延々と楽しく飲む。 飲んで話しも弾み、今年はさらに作付けを増やしてもらうことになった。 あっちからも、こっちからもの「お米がほしい」コールに答えて。 自分で育てたお米は愛おしい。 一粒たりとも無駄にできない。 お米さえあれば生きていける。 毎日の食事が幸せだ。 ちいさな宴会が終わると、近くの森岳温泉のお湯につかる。 これがまた至福の時間。 雨の時期をすぎ、夏の太陽の下で育ち、黄金色の稲穂が いちめんに広がる季節まで。

稲刈り

五月、今年も田植えの季節がやって来る

田植えの季節 その2

photo by Kouji Sato

どうしてお米作りをしているのかと聞かれたら おいしいお米を食べたいから、ということになる。 誰かがつくったおいしいお米は売っているし 買えばいいじゃない? ということになるのだけれど なんでもお金で手にいれることができる暮らしには もう飽きてしまった。 もっとも、なんでも手にいれることができるほど お金は持っていないけれど。 生きているかぎり、毎日毎日何かを食べる 今は東京に住んでいないので 外食もほとんどしないし、家で食事をつくる。 ほぼ毎日お米を食べている。 圧力釜で炊く玄米。 時間のある日は、マスタークックという鍋で炊く。 こっちの方がだんとつおいしい。 玄米は、かたくていやだという人がいるけれど 炊き方に問題があるのだと思う。 玄米を食べつづけていると、白米は食べた気がしない。 ごま塩と梅干しがあれば満足してしまうくらいだから 私にとって、おいしいお米は大切なのだ。

雨の田植え

今年の田植えは雨だった。 田んぼの主は 「こういう天気がちょうどいい」と言う。 確かに、日焼けもしなくていい。 自分が一年食べるためのお米をつくっているが といっても場所は秋田だから、つくってもらっているのを 年に数回、手伝いに行っているだけだけれど。 我が家だけでは消費しきれない分を知人におわけしている。 誰もが口をそろえて「とにかくおいしい!」 もっとわけてほしいと言う。

そこで、田んぼの主にお願いして 今年は、さらに新しい田んぼを増やしてもらった。 その場所が、さらに素晴らしい。

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私たちの田んぼ同様、じゅんさいの池があり 透き通る山の水が満ちていた。 お米は水だ! お酒も水だ! 人間の身体も水だ! 水は命の源だと、雨つぶが落ちる池を眺めながら 清々とした気持ちになった。

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MAYAフォルクローレ・コンサート

火曜日, 8月 13th, 2013

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滝本さんの農法

火曜日, 8月 13th, 2013

春に出荷される赤井川の滝本農園のアスパラ。

その苦心の跡を偲ばせる農法の苦労を語った報告書。

是非読まれて、来年の全国発送にご使命ください。

滝本 1 takimoto 2

 

 

 

やってみよう「地域通貨」学習会

火曜日, 8月 13th, 2013

地域通貨 1 地域通貨 2

 「どん底の淵から私を救った母の一言」

火曜日, 8月 13th, 2013
         奥野 博(オークスグループ会長)

                『致知』1998年8月号
                  特集「命の呼応」より 

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【記者:昭和42年、40歳のときに経験された倒産が、
     今日の奥野会長の土台になっているようですね】

  倒産が土台とは、
  自分の至らなさをさらけ出すようなものですが、
  認めないわけにはいきません。

  戦後軍隊から復員し、商社勤務などを経て、
  兄弟親戚に金を出してもらい、
  事業を興したのは30歳のときでした。

  室内設計の会社です。
  仕事は順風満帆でした。
  私は全国展開を考えて飛び回っていました。

  だが、いつか有頂天になっていたのですね。
  足元に忍び寄っている破綻に気づかずにいたのです。
  それが一挙に口を開いて。

【記者:倒産の原因は?】

 「滅びる者は、滅びるようにして滅びる」

  これは今度出した本の書き出しの一行です。

  倒産の原因はいろいろありますが、
  つまるところはこれに尽きるというのが実感です。
  私が滅びるような生き方をしていたのです。

  出資者、債権者、取引先、従業員と、
  倒産が社会に及ぼす迷惑は大きい。
  倒産は経営に携わる者の最大の悪です。

  世間に顔向けができず、私は妻がやっている
  美容院の2階に閉じこもり、
  なぜこういうことになったのか、考え続けました。

  すると、浮かんでくるのは、
  あいつがもう少し金を貸してくれたら、
  あの取引先が手形の期日を延ばしてくれたら、
  あの部長がヘマをやりやがって、
  あの下請けが不渡りを出しやがって、
  といった恨みつらみばかり。

  つまり、私はすべてを他人のせいにして、
  自分で引き受けようとしない
  生き方をしていたのです。

  だが、人間の迷妄の深さは底知れませんね。
  そこにこそ倒産の真因があるのに、
  気づこうとしない。

   築き上げた社会的地位、評価、人格が倒産によって
  全否定された悔しさがこみあげてくる。

  すると、他人への恨みつらみで
  血管がはち切れそうになる。
  その渦のなかで堂々めぐりを繰り返す毎日でした。

【記者:しかし、会長はその堂々めぐりの渦から抜け出されましたね】

  いや、何かのきっかけで一気に目覚めたのなら、
  悟りと言えるのでしょうが、凡夫の悲しさで、
  徐々に這い出すしかありませんでした。

【記者:徐々にしろ、這い出すきっかけとなったものは何ですか?】

  やはり母親の言葉ですね。

  父は私が幼いころに死んだのですが、
  その33回忌法要の案内を受けたのは、
  奈落の底に沈んでいるときでした。

  倒産後、実家には顔を出さずにいたのですが、
  法事では行かないわけにいかない。
  行きました。

  案の定、しらじらとした空気が寄せてきました。
  無理もありません。

  そこにいる兄弟や親族は、
  私の頼みに応じて金を用立て、
  迷惑を被った人ばかりなのですから。

【記者:針の莚(むしろ)ですね】

  視線に耐えて隅のほうで小さくなっていたのですが、
  とうとう母のいる仏間に逃げ出してしまいました。

【記者:そのとき、お母さんはおいくつでした?】

  84歳です。

  母が「いまどうしているのか」と聞くので、
 「これから絶対失敗しないように、
  なんで失敗したのか徹底的に考えているところなんだ」
  と答えました。

  すると、母が言うのです。

 「そんなこと、考えんでもわかる」

 私は聞き返しました。

 「何がわかるんだ」

 「聞きたいか」

 「聞きたい」

 「なら、正座せっしゃい」

  威厳に満ちた迫力のある声でした。

(八十四歳のお母さんが)

 「倒産したのは会社に愛情がなかったからだ」

  と母は言います。

  心外でした。

  自分のつくった会社です。

  だれよりも愛情を持っていたつもりです。

 母は言いました。

 「あんたはみんなにお金を用立ててもらって、
  やすやすと会社をつくった。

  やすやすとできたものに愛情など持てるわけがない。

  母親が子どもを産むには、死ぬほどの苦しみがある。

  だから、子どもが可愛いのだ。

  あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
  だから、あんたが一番可愛い」

  母の目に涙が溢れていました。

 「あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
  だから、あんたが一番可愛い」

  母の言葉が胸に響きました。

  母は私の失態を自分のことのように引き受けて、
  私に身を寄せて悩み苦しんでくれる。
  愛情とはどういうものかが、痛いようにしみてきました。

  このような愛情を私は会社に抱いていただろうか。
  いやなこと、苦しいことはすべて人のせいにしていた
  自分の姿が浮き彫りになってくるようでした。

 「わかった。お袋、俺が悪かった」

  私は両手をつきました。

  ついた両手の間に涙がぽとぽととこぼれ落ちました。
  涙を流すなんて、何年ぶりだったでしょうか。
  あの涙は自分というものに
  気づかせてくれるきっかけでした。