「非常識な監督」
日曜日, 11月 3rd, 2013香田 誉士史
(駒澤大学附属苫小牧高等学校野球部元監督)
※『致知』2013年12月号 連載「致知随想」より
白河の関を優勝旗は越えない。
そんな定説に支配されていた
高校野球の指導者として、
私が北海道の駒澤大学附属苫小牧高等学校に
赴任したのは
平成7年、24歳の時でした。
当時の駒大苫小牧の野球部は
地区大会の1、2回戦で敗退する弱小チーム。
私はこのチームを甲子園に連れて行き、
いずれ日本一にという目標を掲げて臨みました。
しかし、私の赴任前に
監督不在の時期が続いていたこともあり、
部員たちは当初不信感を募らせ、
なかなか心を開いてくれませんでした。
若さゆえにがむしゃらに
チームを引っ張ろうとする
私のやり方も空回りをし、
一時は練習をボイコットされる事態にも至りました。
各地に赴き、有望な中学生を勧誘して回っても、
弱いチームに選手はやれない、
と全く相手にしてもらえません。
「畜生!」
「ふざけんな!」
帰りの車の中では、
悔しさのあまりそんな叫び声が
何度も何度も口から迸り出ました。
いつか必ず、
駒大苫小牧で、この香田のもとで野球をやりたい、
とたくさんの子供たちから
言われる野球部にしてみせる。
そう心に誓い、
私は部員たちに自分のすべての
情熱、愛情を注ぎ込んだのでした。
そんな私たちに大きな壁となって
立ちはだかったのが、
北海道の冬でした。
授業が終わり、「さあ練習だ!」と外へ繰り出すと、
既に辺りは薄暗く、寒く、
グラウンドは雪で覆われており、
部員の士気は否応なく下がるのです。
この地域的なハンディにより、
北海道のチームは本州のチームには勝てない
という思い込みが浸透していました。
しかし、甲子園出場、
そして日本一という目標を実現するためには、
なんとしてもこの冬を克服しなければなりません。
強いチームをつくるためには、
ピッチングやバッティングなどの
個々の技術ばかりでなく、
様々なせめぎ合いの中で、
守備時には相手にホームを踏ませないための、
攻撃時には一つでも多くのホームを踏むための
様々な連携力を磨いていかなければなりません。
冬場に野球から遠ざかっていては、
大会本番までにとても間に合わないのです。
そこで私は、ブルドーザーを調達してきて
グラウンドの雪を取り除き、
冬場はまともに練習できないという常識に挑戦したのです。
当初、吹雪いている日に
「外で練習をやるぞ!」と言うと
部員たちも怖じ気づいていましたが、
続けるうちにそれが当たり前になり、
内心これは寒いだろうなと思う日でも
「きょうはどうだ?」と聞くと、
「大丈夫です!」と元気な声が
返ってくるようになりました。
人間、本気になればなんでもできるものです。
厳しい冬と懸命に闘ってきただけに、
雪解けを迎える喜びは格別でした。
気候に恵まれた地域の野球部には絶対に負けない。
それが私たちの合言葉でした。
* * *
どのようにして甲子園への切符を手にし、
さらには北海道に初めて優勝旗をもたらしたのか。
24連勝の田中投手を育てた香田監督が語る
「指導者の条件」「強いチームをつくる秘訣」とは。