「海外から逆輸入されるメイドイン山形」
金曜日, 12月 20th, 2013佐藤正樹(佐藤繊維社長)
※『致知』2014年1月号
特集「君子、時中す」より
当社はもともと山形で
糸作りとニット製造をやっておりまして、
曾祖父が羊を飼ってウールの紡績業を
始めたのが最初です。
祖父の時代に工業化を進め、
父がニット製造を始めました。
私は4代目として後を継いだのですが、
ちょうどその頃から日本の繊維業界は
急激な勢いで衰退し始めたんです。
それまで私は東京のアパレル会社に勤務していましたが、
帰郷していきなり大変な場面に遭遇したわけです。
ニットという分野は繊維製品の中でも加工賃比率が高いので、
不況となると人件費の安い海外に
生産拠点を移すケースが多いんです。
私たちもこのまま日本で製造を続けるか、
海外に生産拠点を持って行くか、
いろいろと悩みましたが、
やはり国内の製造は守らなくてはいけないというので、
そのまま製造を続けることを決めました。
(中略)
山形に戻って4、5年経った頃でしょうか、
私はある糸に魅せられました。
これはどこで作ったのだろうと問い合わせてみたら、
取り引きのあったイタリアの工場の糸だと。
自分のところにしかないオリジナルの糸を作る上で
ヒントを得られるのではないかと思った私は、
イタリアに飛びました。
ちょうど世界の糸の最高峰と呼ばれる
ピッティ・フィラーティー展が開かれていたので、
それに合わせて糸を作っていたメーカーを訪問したのですが、
この時、私は大変な衝撃を受けたんですね。
人生の一番の転機になったのはこの時だったかもしれません。
驚いたことに、工場に並んでいたのは
我が社で使われているのと変わらない機械でした。
その代わり、どの機械にも職人たちが加えた
独自の工夫の跡があったんです。
ギアなどの部品を替えたりしながら、
独自の糸を作っているわけです。
工場長が親切な人で
「この糸を手に取ってご覧なさい」
と実際に糸を触らせながら、
この糸がなぜここまで美しくなるのか、
どうやって製造するのかといったことまで、
実に細かく丁寧に説明してくれました。
私の目を見て熱く語る
工場長の姿を見ながら、思いましたね。
「ああ、俺たちはアパレルに言われるがままに
物作りをやっているけれども、
それとは全く別の発想で生きている人だ」と。
そう考えていたら、工場長は
「私たちが世界のファッションのもとを作っているんだ」
と力強く言うわけです。
この言葉も衝撃的でした。
だって日本でいう工場のイメージは
「これを作ってくれ」
「はい分かりました」
と黙って頭を下げる、というものでしょう。
だけど、この工場長にはそういう雰囲気は微塵もない。
自信と誇りに満ち溢れていました。
「物作りの現場から世界を変えていくことは不可能ではない、
自分もこの道を歩いて行こう」
と強く思ったのはこの時が最初でした。
早速社員を集めて
「俺たちも人から言われたものではなく、
自分たちだけの糸を作ろうじゃないか」
と訴えました。
でも反応は冷ややかでしたね。
「社長の息子がイタリアにまで行って
変な風邪に感染されて帰ってきた」と(笑)。
いま思うと、新しいオリジナルの製品を作るのも大変でしたが、
それ以上にスタッフの心を変えていくのが大変でした。
* * *
その後、佐藤さんはいかにして社員の心を変革し、
世界から認められるオリジナルのニット製品を生み出したのか。
続きはぜひ『致知』1月号P60をご一読ください。