「東北、もう忘れたか?」
木曜日, 1月 16th, 2014昨年、あの東京オリンピック開催が決定した時、
正直、素直に喜べない自分が居た。
「これは何だろう?」と思っていた矢先、
小泉武夫先生の札幌での講演会で、
「オリンピックを開催するなら、福島に招致すべきだ!」
と声高に、お話されていたのが印象的だった。
先生のご実家は、あの原発に近い小野町で何百年も造り酒屋を営んでいて、
津波と地震と放射能で壊滅、長い伝統の灯が閉じたのだった。
「何かを忘れてはいまいか、何か違うんでないか」
という当事者の率直な思いなのだ。
そんな折、昨日新聞紙上で、ドナルド・キーンさんが同じような思いで、
「本来のオリンピック精神からかけ離れた
お金の祭典、経済イベント。
どうしてもやりたいなら東北でやってこそ、
意味があるでしょう」と語られた。
被災地で、行き場の無い人々が沢山居る。
一方、明るくなる東京、東北が置き去りにされている現状に、心を痛められている。
そんな時、またしても今朝の道新に、
同じように福島で寺をもって被災され、国内外に原発について発言されている
お坊さんで作家の玄侑宗久さんのエッセイが載った。
「毎朝の座禅会で途中、ストーブを消し、戸を開け放して、
厳寒極陰の底で、一点の火を自己の中に観る」という。
「・・・・すべてのストーブ(第一原発、第二原発)を消して(廃炉を決めても)
もう一度新たに厳寒のなかから歩みだしてはどうかと思うのである」
と訴えられた。
まほろばは、政治のことは言及しない姿勢だが、
今回の東京都知事選に細川元総理が、小泉元首相と、
原発完全撤廃を標榜して立候補された。
色々意見もおありだろうが、本質と大局から、
今何が問題で、何をなさねばならぬかは、明白のことだろう。
何事も、解決は根本の一点にある。
全ての事は、その一点で終始する。
その一点とは、生命/イノチ。
イノチを一番に、認識し、尊重し、伝えられる人こそ長として立って欲しい。
あとは、みな為さずして自ずから成るだろう。
無為自然の政(まつりごと)を知る大人(たいじん)の登場を望みたい。