麻の癒し
火曜日, 2月 25th, 2014「香遊生活」の舟山さんからのお知らせです。
昨夜、帯広の大竹さんが、ひょこり来店された。
ありがたくも、お土産に和菓子を戴いた。
細い箱に「みち乃くせん遍以」と書かれたお茶請けであった。
和三盆の甘み、薄焼きの品のいい煎餅で、このあと抹茶で、
互いに引き立てる存在なき存在に感心した次第。
聞くところによると、この『売茶翁・ばいさおう』なる店、
仙台で「知る人ぞ、知る」銘菓の老舗とかや。
今朝いらした李朝高麗好みの千田さんに、
これをお出しすると大感激で、まことに数寄人であった。
さらに、驚かされたこと一つ。
それは、電話がないこと!!!
注文も出来ず、ましてやインターネットなど・・・・・、
店に出向かい、そこで要るだけ買わねばならない。
茶会用菓子の事前予約も出来ない、という徹底振り。
このご時世、眼の覚めるような話に、
ある爽快感を感じたのも確か。
客に媚びず、自分の本分を尽くして商いを貫く。
それがこのIT時代に通用している、と言うことが、
わが身を省みて、恥ずかしい。
(伊藤若冲 画)
店名「売茶翁」。
あの京都万福寺で修行し、俗を去って、俗に入り、
煎茶を売って、世俗を清めること、中国の済公禅師に似る。
「喫茶店」のはしりである。
『仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心に在り。
事跡には在らず。
そも、袈裟の仏徳を誇って、
世人の喜捨を煩わせるのは、
私の持する志とは異なっているのだ!』
何事も、形式を嫌い、
仏典や僧衣をかなぐり捨てての直説法。
抹茶の形式さえ厭い、日常茶を喫する着眼。
そんな市中の活きた説法こそ大事とする。
「売茶翁」こそ、活きた道のような気がする。