後藤翁、CD・カラオケ・有線・HP・新聞登場!!!!!
火曜日, 6月 17th, 2014
韓国の後藤吉助さんのことが、6/9の道新夕刊『窓』に紹介された。
短い中に、翁の生涯のエッセンスが凝縮されて胸を打たれる。
静かに、余生を送り、静かに幕引きを考えられておられるのかと思いきや、とんでもない。
何と自作自演のCDを出されたのだ。
あの平尾昌晃氏の門下に入って、歌のレッスンを受けているというからびっくり!!
さらに、作詞作曲もみな自作、そして自ら歌い、そして9曲を録音。
それが、晴れてカラオケの審査に2曲通ったというから、これもビックリ!
なんでも、JOYSOUND、UGAという機種で歌えるそうです。
また、有線放送もok!になり、ご利用の方は是非ともリクエストしてください。
さらに、HPも新設、中々のセンスで、しかも歌の動画が一杯入っています。
http://www12.atpages.jp/dreambig/jpheart/ (後藤吉助翁 HP)
「母を慕い、讃える歌」は、女性歌手も歌っています。
下は、youtubeで見られます。
後藤翁の八面六臂のご活躍、ただただ感心するばかりで、
我々若人(?)は、へばっていられません。
まだまだ洟垂れ小僧、後藤翁を目指して、がんばりましょう!!!
私は1926(大正15)年、福島県で生まれました。私が10歳のとき一家が北海道開拓で移住したため、幼少期は、阿寒(釧路市)で過ごしたのです。阿寒は、かつては雄別(ゆうべつ)炭鉱を中心とした炭鉱の町として栄えていました。
私の人生に最も影響を与えた人、私の心をいつも照らし続けている人、それは母です。今も私の目に焼きついている母の姿に、こんなことがあります。
その当時、炭鉱で過酷な労働を強いられていた朝鮮の人たちが現場から逃げ出してくることがありました。そのたびに母は、その人たちを※地下むろにかくまったのです。逃亡した彼らを探すために警察が尋ねてきても、母は警察の尋問にも動ずることなく彼らを守ったのです。その当時の警察に対して偽りの対応をするということは、どれほど大変なことか、もしウソがばれたらどう言う目にあうか、子供ながらに理解していましたので、母のとった行動はまさに、命がけでした。私は幼心にそのときとった母の行動と精神に感動し、それを教訓として今まで生きてきました。
※地下むろ(지카무로):食物などを貯蔵するために、地下に掘った穴蔵を地下むろという。 (음식 등을 저장하기 위해 지하에 파고 움집을 지카무로한 다)
나는1926(大正15)년、후쿠시마현에서 태어났습니다。내가10살때 가족이 홋카이도 개척으로 이주했기때문에 어린시절은 아칸(쿠시로시)에서 보냈 습니다。 아칸은 한때 雄別(유베트)탄광을중심으로한 탄광마을로서 번창했습니다。
내 인생에 가장 영향을준사람、내 마음을 항상 계속비추고있는사람、그것은 어머니 입니다。지금도 내 눈에 구워붙어있는 어머니의모습에 이런 일이있습니다。
그 당시 탄광에서 가혹한노동을 강요당하고있던 조선사람들이 현장에서 도망쳐올수 있었습니다。그때마다 어머니는 그 사람들을※지카무로에 숨겨입니다。
도망한 그들을 찾기위해 경찰이 찾아와도 어머니는 경찰의심문에도 동요하지않고 그들을 지켜습니다。그 당시 경찰에 거짓대응을 한다는것은 얼마나 힘든것인지、만약 거짓말이 발각되면 어떻게 말할당하는 하거나 아이면서 이해하고 있었으므로、어머니가 취한행동은 바로 목숨이었습니다。
나는 어린 마음에 그때 취한 어머니의 행동과정신에 감동하고、그것을 교훈으로 지금까지 살아 왔습니다。
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まほろばblog掲載記事 ●2010年04月23日 「日韓友好」の架け人 ●2013年02月19日 吉助とーうーさーん ●2013年05月08日 「韓国人の本質」 出版記念
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