まほろばblog

Archive for 1月 19th, 2015

西野は八甲田山

月曜日, 1月 19th, 2015

土曜日の17日。

西野地区は、八甲田山だった。

かつて経験したことが無い猛吹雪。

これが、あの八甲田山の隊員の気持ちか!と思ったほど、

どうにもならない状態に追い込まれた。

店の駐車場から出た途端、雪に埋まった。こんな近くで!!!

福田君に応援を頼んで、来たものの、視界不良で先が見えず、3度も埋まり、

やっとの思いで、店に帰る。

車を店に置いて、福田君の4WDのクルーザで家まで送ってもらう。

ところが、自宅の前で、家内も車を埋めて立ち往生。

それを、ローブで何とか引き上げて、駐車場に。

それから、福田君が帰ろうとすると、前に近所の乗用車が立ち往生。

それを助けるべく、福田君が行くも、今度は雪に埋まってタイヤが空回り。

どうしようもない。

そこで、急遽、農園の池田君に、ワゴンの応援を頼んで来て貰うが、

これも、埋まって助けようも無い。

JAFに頼むも何時来るか分からないほど、物凄い数の車が雪に埋まってしまっているらしい。

翌日聞いたのだが、朝までその作業は続いて、半日待った人がいたという。

それから、どうしようもないほど、ぬかって抜けられない。

雪質と量とで、足が歩いてもとられて、つい転びそうになる。

この状態では、一般車はにっちもさっちも行かない。

あっちの小路を抜けようとすると、2,3台雪に埋まって、道を塞いでいる。

こっちの小路では、小型車が自宅を前にして、帰れないでいる。

八方ふさがりだ。

余りの寒さと風に、顔が真っ赤に腫れ上がっている。

どうしようもない状態で、店長がスタンドに駆け込んでくれたが、けんもほろろ。

止む無く、店の周りを除雪してくれている村上さんに除雪機出動を頼んでくれた。

道を塞いでいる車を、次々に救出。

やっとの思いで、自宅前の3台を救出。

それから、隣近所の人達から、救援を頼まれ、豪雪をものともせず、

除雪しながら路面を整えながら、埋まる車の数々を引き出して行く。

みなみなさんから感謝の声々。

5時間ほど、外で寒気と吹雪にあえぎながら、

やっとの思いで、帰宅。そういえば、今日一度もご飯を食べていない。

猛烈に腹がすいた。駆け込むことしばし。

こんな身近なところで、どうにもならない事が起こりうるとは。

自然の猛威に畏怖した。

これをもって、大震災をしのぶも、未だいたらない。

恵の自然、淘汰の自然。

二つながら、自然は偉大である。

 

ある老舗の閉店

月曜日, 1月 19th, 2015

中川ライター店 1

 

「・・・・狸こうじの奥までも・・・・」

50年前、小学生の時、白黒TVにコマーシャルが6時から流れる。

狸小路商店街のCMで、その中に「中川ライター店」の宣伝が、画面に1,2カット出る。

それを楽しみに、田舎の少年は、TVに釘付けになっていた。

何ヶ月かに一度、札幌に出て、その店で、プラモデルや模型飛行機を買う。

大きなグライダーを天高く飛ばしたり、Uコンのエンジン機を作ったり、

当時、「中川ライター店」は、道内の少年たちの憧れの的でもあった。

それが、先日13日に閉店したのだ。

112年の歴史、明治、大正、昭和、平成を生き抜いて、少年の夢を育んで来た。

50年前の当時のまま、店の前も中もペンキが禿げ上がり、床は、土間のままなのだ。

こんなオンボロ店に、皆哀愁と郷愁を感じて、老年のおじいさん、中年のお兄さんが、

その別れを惜しんで、この何ヶ月間訪れた。

80歳代の仲買の会長たちが集う市場でも、その話で持ち切り、みな飛行少年だった。

実を言うと、私も懐かしさの余り、閉店当日訪れたが、店の外も中も押すな押すなの

人の波に、その人気ぶりに改めて驚いた。

ご主人が50歳で急逝したため、88歳のお父さんでは体力が持たないということで、

100年の老舗の幕を閉じたというが、まことに惜しまれる。

30周年を送ったまほろばでも、短いようで長く、

その4倍の歴史に対し、敬意を表して余りある。

幾多の戦争をも越え、少年たちの夢を育んだ中川さんの愛と徳は、

多くの人々の心から消えることはないでしょう。

ありがとうございました。

お疲れさまでした。

AS20141229002216_commL[1]