まほろばblog

Archive for 5月, 2015

今野華都子さん来訪

日曜日, 5月 10th, 2015

今野華都子さん訪問

 

今野華都子さんが、ヒョッコリ来訪されました。

珍しく私用での北海道。時間があったので、まほろばへ。

10年くらいのお付き合いですが、この間、あれよあれよという間に、有名人に。

世界エステコンクールでグランプリ、その後三重鳥羽のホテルを再建し、その後、

「致知」の全国大会や各地での講演や著作、旅行で大忙しの身に。

今、15万人のリスナーが聞くFM放送の番組を持っていらっしゃるということで、取材に。

最近「新釈古事記伝」の御本を出版されて全国講演のたびに。

そんな日本回帰の話の中で、今回の「麻、そして墨」の話に同調して感動してくださいました。

きっと、次のお話は、そんな流れで展開できればと思います。お楽しみに。

麻蚊帳、最高!!!

日曜日, 5月 10th, 2015

麻市 2

 

今日最終日。

残す所、2時間。

今回は、何と言っても最大の話題が「麻の蚊帳」。

FBでも紹介されていますが、兎に角、

誰もが、異口同音に「気持ちイイ・・イイイイ・・・・!!!」と、。

この快感は、寝るという日常の行為のなかでは、

誰もが、味わったことがないのではないでしょうか。

麻の不思議な波動に感じ入った次第。

次回も、カヤを設置しますので、是非お越しください。

カヤの販売も検討中です。

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午後から「ヘンプのおはなし」集まれ!!

木曜日, 5月 7th, 2015

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日本を救ってくれたジャヤワルダナ氏

水曜日, 5月 6th, 2015

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「七五三塩」は七つの大洋、五つの大陸、三つの山脈の和合、

即ち世界平和と人類幸福への祈りを、塩で統合することを託しました。

その中のインド洋の塩をスリランカ、元のセイロンの塩を使っていました。

ところが、それが欠品になった時、JWTの石川社長の紹介で、

八王子のスリランカ仏教の長老・ヤーラガムエ ダンミッサラ師に依頼して、

スリランカの塩を取ったことがありました。

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その塩が尽きた頃、それまでオーガニックワインを仕入れていたエコロジさんから、

スリランカ塩を取る事になりました。

ついでに、インドのガンジー農園の塩も採り、

七五三塩に混ぜています。

そのエコロジーの児玉社長からメールを戴きました。

そこには、日本を救ったJ.R.ジャヤワルダナ氏のことが書かれてあり、

驚愕しました。

恥ずかしながら、知らない事実でした。

今日、お知らせと共に、その歴史をお伝えいたします。

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おはようございます。以前から台湾の蒋介石と亡くなられたシンガポールのリ・クアン・ユーと今回紹介するジャワルダナ元大統領がサンフランシスコ講和条約の際にロシアの横暴から日本を救ったとのことは知っていたのですが、彼が宣した言葉を見たのは今回が初めてで泪を浮かべながら何回も読み直しました。仏の国、日本は素晴らしい国です。救ってくれた彼らの国に感謝をしつくしても足りません。お読みください。

 

ORGANIC WINE & FOODs IMPORTER

PASTA FRESCA PRODUCT

ECOLOGY CORPORATION

Yoshikazu KODAMA

(有)エコロジ

兒 玉 義 和

 

日本列島分割案から日本を救ってくれた

スリランカ代表の感動スピーチ

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1952年(昭和27年)4月28日、正式に戦争状態を終結させるためにサンフランシスコで調印された日本と連合諸国との講和条約が発行された日です。
この日を以て正式に戦争が終結したのです。(正確にはこの後もアメリカ統治は今を以て続いています)
1945年8月15日、現実的に天皇陛下の玉音放送によって事実上戦争は終結しましたが、その後諸々の手続き、そしてサンフランシスコ講和条約締結までに、日本は徹底的な侵略統治計画を受けました。
それはWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)と呼ばれる日本人劣化作戦が繰り広げられ、少なくとも世界で最も長く続いた文化・伝統は徹底的に破壊され、ギネスで認定されているだけの2700年の歴史もことごとく塗り替えられてしまいました。
たった戦後の70年間で、良くも悪くもとても大きな変化を迎えた日本は、それでももっと過酷な民族が絶滅してしまうほどの危機がありました。
今現在、沖縄の反日勢力はこの日4/28を「屈辱の日」と被害妄想を並べてデモなどを行っていますが、日本の戦後統治では、日米だけでなく、イギリス、ロシア、シナを始めとした連合諸国と極限の交渉状態だったのです。
1951年サンフランシスコ講和会議において戦勝国である連合軍は、日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めた。
下図はソ連(当時)が提案した米英中ソの4ヶ国での分割統治の案です。

 

 

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日本の北海道・本州・九州・四国を米・英・露・支(中国の)連合国それぞれが統治しようとした計画がかなり危険な状況まで話し合いが行われていたのです。

特に共産国家ロシアの執念は深く、ロシアがかつてどのような虐殺を行ってきたか、そして現在中国がチベットなどでどれだけの弾圧・殺戮を行っているのかを考えれば、それがどれだけ日本にとって深刻だったのかは想像に難しくはないでしょう。
もちろん様々な駆け引きが行われ、その影響は大きいものではありましたが、その分断統治の危機を救ってくれたのは、セイロン(現スリランカ)代表ジャヤワルデネ氏の演説だったのです。
1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効の前年に行われた連合国家51カ国が集まる講和会議において、この様なスピーチを行ってくれたのです。

 

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 私の国の政府を代表してのみ話すことが出来るわけですが、然し日本の将来に対して一般的態度の中でのアジアの諸国民の感情を、私は表明出来ると主張します。アジア諸国民が、日本は自由でなければならないということに関心を持っているのは、なぜでありましょうか。 それは日本とのわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷従人民(アジアの諸国民)が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。 私は、(日本が掲げた)アジア共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、そして、ビルマ、インド及びインドネシアの指導者により国々が解放されるかもしれないという希望によって、日本人と同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出すことができるのであります。

空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な、軍隊の駐屯及びわれわれが連合国に対して天然ゴムの唯一の生産者であった時、われわれの主要商品の一つであるゴムを枯渇せしめたことによって、もたらされた損害は、われわれに対してその賠償を請求するつもりはありません。
何故ならば、われわれは、アジアの無数の人々の生命を高貴な言葉、偉大なる教師であり、仏教の創始者である、仏陀のメッセージ、すなわち『憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ、消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。
 

故に、この条約の目的とする所は、日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して、自らの軍事的防衛力を組織するようにすること、そうするまでには日本防衛のために友好国家の援助を要請すること、並びに日本経済に害を及ぼすような、いかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することであります。
 
スリランカ代表 J.R.ジャヤワルダナ氏

これを目の当たりにした主席全権吉田茂以下、日本の随行員らは、スリランカ代表のJ.R.ジャヤワルダナ氏の演説に大いに感動しました。

吉田茂はスリランカの若い代表と会って、スピーチの感謝をしました。

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この感動の演説が連合国の空気を一変して、日本への講和条約締結に至ったのです。

その影響は計り知れません。

そしてその後、ジャヤワルダナ氏と日本の交流は続き、閣僚・首相・大統領としてたびたび訪日。
更に政界引退後も日本を訪れています。
また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど日本とスリランカの交流にも多大な尽力をしました。
1989年 昭和天皇の大喪の礼に、本人の希望により夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列。
既に肩書きは「前大統領」だったが、元首級参列者・大統領同格の国賓として待遇されました。

1991年 日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、広島平和記念資料館を見学しています。

1996年11月1日 90歳で死去に際し献眼、角膜提供。

「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られた。彼の遺言通り左目は長野県の女性に移植されたそうです。

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「大貫妙子 サッポロライフ」今日。

月曜日, 5月 4th, 2015

大貫トーク

札幌のコミュニティFM・三角山放送局にて、

大貫妙子さんと、㈱まほろば宮下周平社長を迎えた特別番組を放送します。

札幌との縁、札幌での暮らし、まほろばとのつながり。

大貫妙子さんが育てたあきたこまち入りの「へうげみそ」の話など

を伺いながら、リスナーさんからのリクエスト曲やおたよりとともに綴ります。

●出演:大貫妙子さん、宮下周平さん(まほろば代表取締役)

●聞き手:杉澤洋輝(三角山放送局)

●放送日時:平成2754()11()

   FM76.2MHz      DJ762「レコードアワー」にて放送、7:008:00と再放送17:0018:00

●提供社:自然食品の店 まほろば(西区西野53丁目1-1

http://www.mahoroba-jp.net/

 

インターネット放送で聴くことができます。

○パソコンでお聞きになる場合

http://www.sankakuyama.co.jp
からTOPページの「インターネット放送を聴くならここをクリック」
⇒サイマルラジオTOP⇒三角山放送局の「放送を聴く」をクリック
○スマートフォンでお聞きになる場合 無料アプリ「Listen Radio」をダウンロード
カテゴリ⇒全国のラジオ局⇒北海道⇒三角山放送局をタップ

 

 

 

 

 

 

あわや!?!?

金曜日, 5月 1st, 2015

先日の「アスタジー説明会」。

開始15分前、店に到着予定。

だが、車が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!

ガソリンがない。

3,4日前から、既にランプが点滅。

もう少し、もう少し・・・・・・と引き伸ばして、今危ない寸前!

案の定!北洋銀行前、300m前でバッテリーランプが。

アクセルを踏んでも、うんともすんとも走らない。

やばい!やってしまった!!

少し、坂に勾配があって、その惰性で走っているだけ。

後ろから、前から車が来る・・・・。

店の前のガソリンスタンドまで、辿り着けるか?

ブレーキを踏んだら、車が止まってしまう。

だが、そこでハンドルが切れるか?

もし切れても、半ばで止まれば、向こうからの車とぶつかる!!

一か八か、ハンドルを切る・・・。

やった!

だが、給油スタンドまで辿り着けるか?否か!

おお、、、少し伸びる、伸びてくれ・・・!

そして、給油コーナーの定位置についた時、

ななんと・・・・プツンと、切れる音がしたのだ。

「こんなことが、ありうるのか!!!!!」

我ながら、もう、ビックリ。

このピッタリ線上で止まった時、一切が休す。

この見事な何かのさばきに、感動してしまいました。

こんなこと、日常でも、ありうるんですね。

何かの手合いを見せ付けられた思いです。

ありがとうございます。

全てを、感謝せねばと、感じ入った次第です。

たわいない日常の一齣ですが、奇跡みたいなことがあるんですね。

それよりも何よりも、安全運転、早めの給油は常識です。

スミマセン!!

ラッピングフラワー講座開催

金曜日, 5月 1st, 2015

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時代の証言者 22.23.

金曜日, 5月 1st, 2015

すみません。「時代の証言者」22.23、抜けておりました。

時代の証言 22 時代の証言 23