「先憂後楽」、日中の架け橋に!!
水曜日, 6月 17th, 2015みなさんは、東京水道橋にある後楽園ドームをご存知ですよね。
その後楽園の意味は、いかがですか。
漢文の「先憂後楽」から取ったものですが、
先に憂いて、後に楽しむ・・・・、
つまり、先ずは苦労すれば、後に楽ありという、
それはそれは、古今の名言で、当たり前になっている常套句ですね。
今から1000年前、北宋の知事であった范仲淹という有名な政治家で文人の言葉です。
その著書の中にこの「先憂後楽」という実践語が語られています。
先日、まほろば自然農園で研修して、今季晴れて八雲で開園した大林夫妻。
その奥様が、台湾で大きな茶園を開かれているお嬢さんでした。
その名が、「笵恵婷(ハンフェイティン)」さん。
もう、お分かりですよね。
范仲淹の子孫であった、ということにビックリ!!
孫文や鄧小平などと同じ客家(はっか)の家系であるらしい。
是非とも、日中の大きな架け橋、絆となって、将来を担って頂きたいと思います。
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はんちゅうえん【范仲淹 Fàn Zhòng yān】989‐1052
中国,北宋の政治家。字は希文,諡(おくりな)は文正。蘇州の出身。2歳で父を失い,苦学して大中祥符8年(1015)の進士に合格,当時の有力者晏殊(あんしゆ)の知遇をうける。新しい科挙官僚すなわち士大夫階級の興隆の流れにのり,その指導理念形成に尽力した。天下の憂いに先んじて憂え,楽しみに後れて楽しむ〈先憂後楽〉をもとに,儒学を人格形成の実学たらしめんとする数々の主張は,宋学の先駆的位置におかれる。国都開封の知事として官僚派宰相の呂夷簡(りよいかん)と衝突,仁宗時代の党争の一方の旗頭となった。