「すし処さっぽろ」さん、さようなら!
火曜日, 6月 30th, 2015こだわりで、一本筋の通ったすし屋といえば、近所山の手の「すし処さっぽろ」さん。
そこのご主人、山口政友さんが逝った。
享年65歳。
私と同い年。そんな歳頃になった。
早い旅立ちだったが、幼年期に患った何かの結核菌(?)がこの歳に再発したという。
詳しくは聞けなかったが、難病だったという。
無添加、有機米、天然魚・・・・・、実に拘っていて、まほろばでも仕入れて頂いた。
養殖魚は一切使わず、醤油は魚の真味を損なうといって、稚内の天然塩だけで出していた。
おそらく日本でも、飯尾醸造のプレミアム生米酢を使っている所は、ここしかないだろう。
その生一本の筋金入りの職人気質は、何処にも、もうないだろう。
夜遅い寿司職人は、朝の市場へのオーダーはfaxで済ます処がほとんどだ。
ところが、山口さんは自ら早朝から出向いて、自らの眼で確かめて仕入れる。
決して人任せにはしなかった。
今でこそ、デリバリーが進化して、空輸の産直は日常になったが、
何10年前から、これを実践して、本物を追及して止まなかった。
戸井のマグロ300kgを1本買いして、何百万も払っている度胸と根性。
高級店にしては、東京などの値の1/2から1/3ほどだった。
好いものを、安くが身上だった。
北海道一のすし店が近所にあることは、おらが自慢であったが、
今日をもって、40年間の営業を終了する。
残念でならない。
最近の回転寿司の目覚しい進化振りは、驚きだが、
やはり鍛え込んだ職人の手触りの味は、何にもまして代え難い。
三姉妹のお嬢さんと最愛の奥様に見送られた家族葬のような無宗教の祭儀に参列した。
何ものにも捉われない純粋無垢の気持ちが届く爽やかな、
これほどの葬儀を観たことがなかった。
それは、とりもなおさず山口さんの生ざまそのもののようだった。
「アルケッチャーノ」の奥田シェフと共に、山口オーナーの握りに堪能する。