「千恵っ子よされ」と『縄文文明』
木曜日, 12月 31st, 2015
今年も、残すところあと4時間になりました。
ようやくみんなやるべきことをやって、嬉々として帰って行きました。
こんなに早く帰れたのは、30年で初めての事でした。
よくみんな働き、よくみんな頑張ります。
まほろばのみんなは最高のスタッフで、胸を張って外で自慢できる仲間たちです。
こんな友に囲まれて仕事が出来ることは幸せなことです。
しかし、これもひとえにお客様からの応援と声援と励ましがあるからです。
本当に有難うございます。
29日からの大晦日まで、恒例の故岸千恵子さんの民謡や歌謡曲が店内に流れます。
もう20年以上も、定番で流し続けて、これを聞くと「あぁ、歳が暮れるなー」と、
心の中で、今年一年と別れを告げるのです。
この時は、明るく景気よく歯切れよく元気な「千恵っ子よされ」でなければなりません。
まほろばの店内に相応しくないとお思いのお客様がいらっしゃるかもしれませんが、
何か、世間体とか見栄とか外聞を突き抜けて、人を元気にするパワーがあります。
それは、多分に、縄文文化が色濃く東北地方に残っているからだと思うのです。
津軽民謡に触れる機会が多いのですが、現代人には忘れられた力強さと哀愁があります。
最近判明した文明論で、浮上してきたのが「縄文文化」の世界史的な位置付けです。
エジプト、メソポタミヤ、中国、インダスの四大文明。
共に、ナイル、チグリス・ユーフラテス、黄河、インダスという大河によって
肥沃な土地に農業革命が起こるのですが、それがまた衰微してゆきます。
およそ、今から3500から4500年前と言われています。
ところが、それよりはるかに悠久の歴史を持続していた一大文明があったのです。
それが、我らの「縄文文明」で、それが15000年から16000年前と言うから驚くべきことです。
この説が、今世界的にも提唱され、受け入れられて来たのです。
何故かは、農業革命が起こらなかったからです。
豊かな日本の四季で、ほとんど木の実・草の根と狩猟や漁労で食糧は賄えたのです。
あえて、自然を破壊して田畑を作って、富の蓄えによって、
身分の上下関係を作ることがなかったのです。
だから、部族間や外部からの争いは全くなかったのです。
それは、遺伝子DNA解析からも、相当明るみになって来ているようです。
その縄文人が多く住まったところが、三内丸山遺跡などが点在する青森などだったんですね。
大和朝廷に見られる醜い争い事は、ずっとずっと後代の事で、
そこには、まるで権力闘争などの血生臭い世界とは無縁の楽園だったのです。
そこに住む人々の底抜けに明るく朗らかな心情を今に伝えている一つが、
津軽の歌や歌い手ではなかろうかと思うのです。
格好を付けぬ直裁に生活ぶりを歌い上げる唄に共感するのには、
深い意味があったように、今更ながら思うのです。
縄文文化でなく、「縄文文明」こそ、迷える世界を先導する生き方そのものではないでしょうか。
そんな生き方を模索しながら、来年はみんなこぞって日本が誇る
この縄文文明を世界文明にする生き方を、それぞれが学び実践してみましょう。
来年を、明るく楽しい年にしましょうね!!!