まほろばblog

Archive for 1月, 2016

厚別店からおめでとう!

木曜日, 1月 7th, 2016

厚別まほろば

 

厚別店のスタッフ、晴れて初売りに集合。

水曜日のため、みんな揃わず。

でも、店前で、ハイ!ポーズ。

みんな働き者で仲良し。

浪花男の穂積店長の元、みんな団結力が強く、我慢強い。

さぁ、激動の2016年を乗り切るぞー!!!

 

厚別のみんな

(年末の大売出しで)

風水建築 厚別 2

上の正月の記念撮影。

壁の角が斜めに削れていますよね。

実は、30年近く前、ここに支店を作ろうとした時、

指摘されたのが、風水的にこの真東が欠けると事業が延びない!と。

(その真偽のほどは分からないが、その当時必至だったので、やれることはやった)

そこで、音更町の椎茸栽培者の村岡徹一さんから一本のイチイの樹が贈られた。

風水建築 厚別 3風水建築 厚別 1

 

それを三角に削って、それぞれに

喫茶店の名前「メビウスの環(わ)」と、

店名「真秀天地/まほろば」と彫った物を、

欠けた面が、鋭角になるように建て付けて補った。

最初赤字続きで大変であったが、それが功を奏したのか、

曲がりなりにもここまで続いた。

10年前の本店新築時も、1/3以上欠けがあって家が凶相となるため、

黄金比の組み合わせで、これを越える設計を試みた。

その時は、自分自身も嵌るが、普段は全く意に介さない。

昨日、大谷さんの風水講座もあり、易経・論語まで行くと、

またそんな流れが来ているのかも知れない。

世の中自体が、大変な時代を迎えようとしている。

稚内の「糸モズク」

木曜日, 1月 7th, 2016

稚内 糸もずく1

 

魚河岸で呼び止められて、「宗谷稚内の糸モズクは?」と。

夏の9月、何日しか漁が出来ない代物。

北海で育つモズクの存在を知る者は、道民でも少ない。

沖縄の大モズクに比して、細く糸のようで、味わいも深い。

繊細にして締りがあり、コクがあり、何とも言えぬ北の海の醍醐味がある。

市内の名店でも使われている。

「この塩漬け、1回か2回入るか否かなんです。

是非、仕入れてください」と言われ、

毎年、小分けを仕入れるが、今年は缶で入荷。

その分、値もお手頃。

一度、この食感を味わったら、止められませんよ。

100g ¥280

稚内 糸もずく 2

 

「宗谷の海味」から http://www.souya.or.jp/itomozuku2.html

萌ちゃん、すごい!

木曜日, 1月 7th, 2016

西村萌(もえ)ちゃん、中学1年生。

何時も、厚別店と本店におばあちゃんとお母さんと三人で来る。

売り出しに厚別店に行くと、何時も決まって会う。

最近は、西野まで進出してお買い物のお供。

先日、お母さんから「倭詩」を詠むから、サインを頼まれた。

「誰が、読まれるんですか?」

「ウチの萌が」。

それを聞いてびっくり。

 

moe

 

そうすると、昨晩三人で訪ねて来て、お礼に萌ちゃんが書いた書初めを戴いた。

「わぁー、上手!!ビックリ!!」

「小さい頃から、習ったの?」

「いいえ、習ったことがない」

「おじちゃんも習ってない」

「同じだ!」

書道塾にも行ったことがなく、こんな風に書けるものかな。

と感心してしまった。

起筆、終筆、はねなどなど、しっかりしていて、習わないでここまで来れるかな。

ということは、萌ちゃんは、天才だ、スゴイ!!

何よりも、子供の稚拙さがなく、むしろ風格さえあることに、感心してしまった。

「稚気を去れ」とは、高杉晋作の大人になるための訓言だが、その稚気がない。

可愛らしさで一杯の顔をしているが、根底には確りした大人の眼が備わっているのだろう。

子供でも、大人としての付き合い方をしなくてはならない。

 

 

恭賀新年 「申は神なり」 

金曜日, 1月 1st, 2016

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、厚きご愛顧を戴きまして誠にありがとうございました。

本年も変わりませず、ごひいきのほどを,

よろしくお願い申し上げます。

 

申字 象形

さて、今年は「申」年。

「心猿意馬」と申すとおり、猿は騒がしく心を乱す者として、古来余り良い意味では使われてきませんでした。

ところが、申のいわれを紐解くと、意外にも深遠な意味合いが隠されていて、物事の根源に関わる大切な字であったのです。

それは、神の示偏の右の申すが、申として使われていた通り、実は「神」を暗喩する字体だったのですね。

以下は、あの漢字学者・白川静博士の「常用字解」より抜き書きしました。

 

申字

 

申年の「申しん」とは?

解説:

象形。稲妻(電光)の形。右と左に光が屈折している形を縦線の横に並べて申の形となった。

稲妻は天にある神がその威光をあらわした形である、神の発するものであると考えられたから、

「かみ」の意味になり、申は神のもとの字である。

稲妻は屈折しながら斜めに斜めに走るものであるから、「のびる」の意味となり、

また「かさねる、もうす」の意味に用いる。

申が「もうす」などの意味に用いられるようになったので、

「かみ」の意味の字として、申に祭卓(神を祭るときに使う机)の形の示を加えた神が作られた。

 

kaminari

 

それで思い出されるのが、現代アーティストの杉本博司さんの一連のシリーズです。

上の画像のように、写真乾板へ、ダイレクトに放電して、

その軌跡を捕えた作品が「放電場 (Lightning Fields)」です。

古代の人々は、この雷こそ、神のお告げで、畏怖したと想像するに硬くないわけです。

それを、狂言三番叟に写し撮った野村萬斎との競演『神秘域』への着想こそ、面白い。

これは事象の動機と人の始原にまで、思いが至れる創作だったように感じます。

 

2[1]

野村萬斎×杉本博司 三番叟公演『神秘域(かみひそみいき) その弐』より
© Sugimoto Studio/ Courtesy of Odawara Art Foundation

 

言葉を申すことは、元来、神に申告し審判されるほど、厳しいものであったわけです。

いわゆる、日本の言霊(ことだま)ともいわれるものも同様で、

それは人に対して発しても、神に通ずるものであったはずです。

言葉を慎み、選び、控える事の大切さを、再びと知る今年となりそうです。

そこに和の文化、一切を削ぎ落とす簡素の美学と智恵が隠されているのでしょう。

兎に角も、めでたき申年が、かくも荘厳なる初めであったことを、

共有し、共感し、共同して行きたいものです。

今年も、よろしくお願い致します。