もやしで100億円企業!!
日曜日, 3月 13th, 2016
モンゴル塩でお馴染みの岐阜恵那の「木曽路物産」。
その鹿野社長から、以前から同郷中津川でもやしを作られている親友・中田智洋社長のことを聞かされていた。
何年か前、そのチコリ館や工場も見学させて頂いていたが、まだ社長にはお目にかかっていなかった。
パラグアイで大豆農場があり、その大豆で豆腐を作り、あの東日本大震災の際に、何万丁と被害地に届けられたのだ。
次亜塩素酸を使うもやしを、無漂白にした立役者こそ、中田社長で、それを実現させたのがモンゴル塩だったのだ。
今ではオーガニック認証まで取得されたとの事。
さらに、あらゆる豆のもやしを作られて、ついにはチコリのお酒まで作られるに至った。
また、オーガニックのカット野菜、さらに46万坪の水耕栽培でないオーガニック野菜工場を建造するとの事。
一代で、ここまでに至るとは、驚きである。
また、中津川に小泉記念館も作って、先生の全蔵書を展示されている。
先日、先生から、社長が来札されるので、まほろばに一緒に立ち寄られる旨を伝えられた。
何でも、今や100億円の売上高に達するほど、急成長を遂げられた、との事。
お会いするや、ご夫婦して、大変頭が低く謙虚であられることに感銘したのです。
仏教大学を出られ、お母様の「感恩報謝」のみ心が生きておられたのです。
志は、気宇壮大にして、歩むはモヤシの一袋から。
実に堅実にして、遠大である。
これからの、益々のご発展を祈る次第であります。
TVカンブリア宮殿より、その説明案内文を添付いたします。
西洋の高級野菜「ちこり」を国産化・ちこり生産量日本一の中津川!
年間2億1900万パックの出荷実績!
創業70年、無添加・
本気で生きれば必ず道は開ける
1袋で数十円という激安のもやしビジネスで、年商72億円(現在100億円)、33年連続の黒字経営を続けている驚異の企業がある。岐阜県のサラダコスモだ。全国有数のもやしメーカーだが、そこに至るまでには数々の挑戦と苦難があった。実は今では当たり前となった「無漂白もやし」も、このサラダコスモが広めたものだ。そしていま社長の中田智洋が目指すのは、何と南米パラグアイ。もやしの種を、日本からはるか遠いパラグアイで栽培するという。もやしに情熱を注ぎ、挑み続ける中田流“型破り経営”の全貌に迫る。
“不思議な野菜”もやし!無添加・無漂白はここから始まった
1袋数十円という驚きの安さで売られているもやしが、一体どうやって作られ、利益を出しているのか?あまり知られていないが、もやしは実に不思議な野菜なのだ。岐阜・中津川市にあるサラダコスモは、そんなもやしの大手メーカー。もともと社長の中田の家業は、ラムネ飲料の製造販売業を営み、もやしは「冬の副業」として栽培していたに過ぎなかった。だが中田は、このもやしに賭ける。?今から40年以上前、もやしは殺菌などのために漂白剤を使っていた。「子どもや孫が安心して食べられるもやしを作りたい」と、中田は無添加・無漂白のもやしを開発する。だが色も悪く、日持ちもしないため、全く売れない…。そんな中で取引をしてくれたのが、生協だった。当初は業界からの逆風も受けた中田のもやしだったが、「安心・安全」は業界に広まっていった。
カイワレ事件で壊滅的被害…雇用を守った社長の決意
順調に成長を続けていたサラダコスモは1996年、突然の危機に見舞われる。売り上げの柱の一つとなっていたカイワレ大根が、「O-157事件」で壊滅的な被害を受けたのだ。売れ残ったカイワレを泣きながら焼却する従業員たち…。そんな中でも中田は「自分の資金が底をつくまで、雇用は守る」と決意。経営の立て直しに奔走する。まず実行したのが、生産する発芽野菜の品目を増やすこと。今ではその数、10品目に及ぶ。ヨーロッパ原産の発芽野菜「ちこり」も、その一つだ。中田はこれを日本で初めて生産。さらに地元・中津川の地域再生のために、「ちこり村」というテーマパークまで作った。休耕地を活用してちこりの種芋を育てる一方、高齢者の雇用も生み出す仕組み。2006年にオープンしたちこり村には、年間28万人が訪れる。
63歳、南米パラグアイで壮大な夢に挑む
日本では、もやしの種は輸入に頼っているのが現状。中田はその種を、自分の手で栽培しようと乗り出した。種を栽培する場所は、日本からはるか遠くの南米パラグアイ。1000ヘクタールもの土地を借り、開墾を始めたのだ。中田がパラグアイを選んだ理由の一つに、日系移民の農家の存在がある。彼らの知恵と力を借りて、すでに種づくりを始めた。「収支のめどが立っているわけじゃない。でも、これは意義深いよ!」。中田の型破り人生の挑戦が、再び始まった!